襲撃の足音
照明のまぶしさに俺が目をこすっていると、目の前のアリアが微笑みながら声をかけてきた。
「お帰りなさい。――で、今はどっちのソック君なのかな?」
それは、試すような視線だった。俺はゆっくりと姿勢を正し、小さく笑う。
「僕は僕だよ、アリア。もう転生者でもなんでもない。ブライド家の一人息子、ソック・ブライドさ」
「ふーん」
アリアは俺をじっと見つめる。その青い瞳が、魂の奥底まで覗き込むように細められた。
「どうやら、『クリア』したみたいね。おめでとう。纏う魔力も、比べものにならないくらい鋭くなってるわ」
「クリアしたかどうかは、試してみればいい」
俺は部屋にあるティーポットへ視線を向ける。
「――『11種類目の紅茶』を淹れてくれよ」
「あらあら。少し生意気になったじゃない☆いいわ。だったら、最後の確認をしてあげる」
そう言って、アリアは新しいティーカップを取り出す。
ゆっくりと紅茶が注がれ、芳醇な香りが部屋いっぱいに広がった。そして、俺の前へ静かにカップが置かれる。
「でも――」
アリアは笑みを浮かべた。
「この11種類目だけは、答えられなかったら死ぬわよ?」
「問題ないさ」
俺は迷いなくティーカップを手に取った。
もう恐怖はない。むしろ――どんな味がするのか、楽しみだった。
ゆっくりと紅茶を口へ運んだ瞬間だった。紅茶の香りとともに、1つの『答え』が、ごく自然に頭の中へ流れ込んでくる。
……なるほど。これが本来の感覚か。
「ラウナホール国産『ブリュータスの葉』」
アリアは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに微笑みに変わる。
「……正解よ!」
その表情は、どこか嬉しそうだった。
「魂の純度が見違えるほど洗練されてる。それに、あなたの底知れない魔力量と才能もはっきり感じ取れるわ」
「ありがとう」
俺は自然と笑みを浮かべる。
「なんだか今なら――ルカとだって、戦える気がする」
そう呟いた瞬間だった。
部屋の照明が、不意にふっと暗くなる。
「それは、ちょぉっと調子に乗りすぎじゃないですかぁ?お兄さん♡」
聞き覚えのない、甘ったるい少女の声が部屋へ響いた。
視線を向けると部屋の扉の前に1人の少女が佇んでいた。
桃色の長い髪に宝石のように輝く桃色の瞳。黒と桃色を基調とした妖艶なドレスを身にまとい、男なら誰もが目を奪われるほど妖しく美しかった。
しかし、その笑顔から漂う気配は普通ではない。
本能が警鐘を鳴らす。――危険だと。
目の前にいるのは、まともな人間ではない。
「……何者!? 私の領域へ侵入できるなんて……!」
アリアが珍しく声を荒げる。
少女は上品にスカートの裾をつまみ、小さく一礼する。
「これはこれは、水の大精霊アリア様♡」
そして俺へ視線を向ける。
「それからルカ様の愛しのお方、ソック・ブライド様♡あたし、お兄さんのこと、大っ嫌いなんですよねぇ♡」
その笑顔のまま、言い放つ。
「なにはともあれ、初めまして♡あたしは『災厄の七席』第一席、ミレア・カートノットと申します。以後、お見知りおきを♡」
「『災厄の七席』……。とにかく、ロクな連中じゃないってことだけは分かったな」
「あら、正解です♡あたしたちは、ルカ様が組織したラウナホール国の最高戦力――全員、人格破綻者ですから♡」
「で? その最高戦力サマが、何の用なんだ?」
俺は決して視線を逸らさない。
「そんなに怖ぁい顔しないでくださいよぉ♡」
ミレアは悪戯っぽく笑うと、人差し指を立てた。
「まずは、お兄さん宛てにルカ様からお話があります♡」
そう言ってミレアは右手をゆっくり掲げる。
すると、光属性の魔力が空中へ展開されて1つの鏡へと変化する。その鏡には、遠く離れた場所が鮮明に映し出されていた。
鏡の向こう側に映っていたのは、ラウナホール国、レマリス城。
王の間の玉座へ腰掛けたルカだった。
『まずは、試練の合格おめでとう。ぱちぱちー♡』
ルカは満面の笑みで手を叩く。
その軽い口調とは裏腹に、深紅の瞳は獲物を見つめる蛇のように冷たかった。
『魂の格が一段と上がって、少しはまともになってよかったわ☆ でも――まだまだ甘い』
「……どう甘いんだ?」
俺が問い返すと、ルカは楽しそうに笑った。
『【前の自分の魂】を滅ぼさなかったこととかね♡』
一拍置いて、口角を吊り上げる。
『私は前の【ルカ・ラウナホールの魂】は、徹底的に蹂躙して壊したわ♡』
「……!お前も……試練を受けたのか?」
『んー、それは秘密♡』
ルカは人差し指を唇へ当てた。
『ともかく、これからリュクトラン攻略へ向かうのでしょう?だから、その前に兄さんへ余興を用意したの♡それを伝えたくってね♡』
「……余興?」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が嫌な音を立てて俺の背中を冷たい汗が伝った。
ルカは、その反応を見て嬉しそうに微笑む。
『簡単に言うとね♡兄さんの今の故郷――ブライド領が、地獄に変わるってこと♡♡じゃあねぇ』
ブツンッ。
「なっ!? どういうことだ!! おい!!」
俺が叫ぶより早く、ミレアが軽く腕を振った。
鏡は音もなく砕け、粒子となって消えていく。静まり返った部屋の中で、ミレアだけが楽しそうに笑っていた。
「ここからは、あたしが説明しまぁす♡」
甘ったるい声で続ける。
「あなたたちがここへ来ている間、アーノルド・ブライド様とナザリー・ブライド様には、『とある罪を犯した疑い』がかけられましてね♡ルカ姫殿下の勅命により、お二人をブライド領ごと粛清することになりました♡」
タイミングが良すぎる。罪など後付けだ。
俺をブライド領からいなくなったタイミングを見計らって――仕組まれていたことだ。
エレーナを救うには、一刻も早く『エルドラッドのイヤリング』が必要だ。だからリュクトラン攻略を止めるわけにはいかない。
だけど――。父と母、そしてアンナの顔が脳裏へ浮かぶ。
守らなければならない。俺が帰るべき、大切な場所。
そんな俺の葛藤を見透かしたように、ミレアはくすくすと笑った。
「行かせるわけないでしょ♡」
その笑みには、絶対の自信があった。
「あなたはここで、この余興を最後まで楽しんでください♡」
パチン、とミレアが指を鳴らす。
すると足元へ巨大な魔法陣が展開され、淡い光が広がった。
次の瞬間、3つの人影が床へ投げ出される。
「みんな!!」
倒れていたのは、グリムベル、フィリア、そしてレイナだった。
3人とも静かに眠っているが、その顔色は青白い。
「今はあたしの《スキル》で眠ってもらってます♡」
ミレアは無邪気に笑う。
「妙な動きをしたら……どうなるか、分かりますよねぇ?さらにこの周囲には転移無効の結界をはってあります。さすがのお兄さんでも、解除するのは手こずるんじゃないかなぁ?♡」
「……ッ!」
俺は拳を握り締めた。
今ここで飛びかかれば、真っ先に危険なのは仲間たちだ。しばらく黙ったまま立ち尽くし、やがて俺は静かに椅子へ腰を下ろした。
今は、今だけは――アンナを信じるしかない。
「大丈夫よ、ソック君」
アリアが静かな声で言う。
「アンナは強いわ。それに、あいつは今まで何度も修羅場を潜り抜けてきたもの」
「そうですよねぇ♡憎たらしいくらい厄介なのは、あたしたちもよぉく知ってます♡」
ミレアの桃色の瞳が妖しく細まる。
「だからこそ、こちらも相応の戦力を投入しております♡」
その一言だけで、俺の胸騒ぎは確信へ変わった。
ブライド領で始まる戦いは、もはや一領地の争いには収まらないレベルになると。
そして、ミレアは愉快そうに微笑みながら、最後の一言を告げた。
「さて――かの大精霊様は、守り切れるかな?♡」




