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試練の先へ

『こいつは――【ソウル・デボア】』


 オレは、目の前の異形の魔物を見上げながら口元を歪めた。


『かつて、魔物図鑑で見た中でオレが一番恐怖を感じた伝説上の魔物だ。魂を喰らい、その存在そのものを消滅させる化け物。もっとも――本物じゃない。オレの記憶が生み出したイメージに過ぎないがな』


 そして、俺へ冷たい視線を向ける。


『こいつに喰い殺され、お前の魂が砕け散った瞬間――オレが再び、この体を取り戻す』


「……ッ!」


 俺は反射的に右手を掲げた。


「拘束結界!」


 しかし――何も起こらない。

 結界は展開されず、魔力の反応すら感じられなかった。


「なっ……!?」


『無駄だ。この領域じゃ結界魔法は使えねぇ。言っただろ? ここはオレが作った空間だ』


 オレの目が細くなる。


『オレには、お前みたいな【結界魔法の才能】なんてねぇからな!!』


「……っ、くそ! なら――《アース・ウォール》!!」


 地面が隆起し、土壁が形成される。

 だが、ソウル・デボアの爪が軽くかすっただけで、土壁は紙のように崩れ去った。

 俺は間一髪で身をひねる。


 ザシュッ――。


「ぐっ!」


 頬が浅く裂け、血が一筋流れ落ちる。

 その瞬間、俺は直感した。――この血は、俺の魂そのものだ。


(……オレの得意な、水魔法)


 さっき聞いた言葉が脳裏によみがえる。


「あまり使ったことはないが……やるしかない!」


 ソウル・デボアが再び突進してくる。


「《ウォーター・ウォール》!!」


 轟音とともに巨大な水壁が出現した。

 先ほどの土壁とは比べものにならない厚み。

 ソウル・デボアの爪を受け止めても、破壊されない。


(やっぱり……水魔法なら戦える!)


 そう確信した瞬間、壁にもたれ掛かっていたオレが、不敵に笑った。


 ズキンッ!!


 胸の奥を鋭い痛みが貫く。


『ははははは!!』


 オレは腹を抱えて笑う。


『もっと【オレの得意な水魔法】を使えよ! 使えば使うほど、オレの魂がお前を侵食していくんだからなぁ!!』


「……っ!」


 まさしく諸刃の剣。

 水魔法を使えば戦えるが、その代償に俺自身が奪われていく。


(なら……短期決戦しかない!)


「《ウォーター・スピア》!!」


 激痛と引き換えに、無数の水槍が宙へ生まれる。

 その槍は轟音と水しぶきとともに、一斉にソウル・デボアへ降り注いだ。

 しかし――。


「傷一つ……ない!?」


 オレは笑う。


『当然だ。中級以下の魔法じゃ、そいつは倒せねぇよ』


 足元がふらつく。

 霞む視界の中で、俺はソウル・デボアの足首を見た。

 そこには赤黒い文字――【45】。


(外殻の【4D】……そして足首の【45】。何か意味がある……!)


 俺は再び水壁を展開しながら距離を取った。


(上級水魔法を使えば倒せるかもしれない。でも、一発でも撃てば俺の魂が飲み込まれる可能性が高い。だったら防御は初級魔法だけで耐えて、その間に残りの文字を探すしかない!)


 それから、俺はソウル・デボアとの死闘を繰り広げた。

 4本の腕に2つの口、そして4つの目。

 攻撃の癖を見抜き、できるだけ魔法に頼らず体術だけで回避する。


 父アーノルドとの鍛錬とグリムベルとの実戦訓練。その積み重ねが、今になって俺を生かしていた。

 それでも、4つの目は死角を許さず攻撃し、俺の体力はどんどん限界へと近づいていく。


『へぇ……。ちゃんと訓練してきただけはあるじゃねぇか。体が慣れてきてる』


 オレは感心したように笑うが、その笑みはすぐに冷たく変わる。


『でも――そろそろ限界だな?』


 俺は肩で息をする。

 もう立っているだけでも精一杯だった。

 だが、文字は見つけた。残るは3つ――【59】、【4F】、【52】。


(これは何を意味する!?ここは『魂の試練』。この文字列は何かの答えを意味しているに違いない。答えられなければ、俺の魂は崩壊する!!)


 その瞬間、ソウル・デボアの4本腕が襲いかかる。

 俺は動きを止めるため、『中級の水魔法』を詠唱する。


「《フリーズ》!!」


 氷が腕と足を包み込み、動きを止める。

 しかし、すぐに氷へ亀裂が走り始めた。同時に、俺も膝をつく。


「ぐっ……!」


 中級魔法の反動。魂が軋み、もはや指一本動かせない。


(答えなければ……死ぬ。一言……たった一言を言わなければならない)


 危機に直面した俺の魂に目まぐるしい思考が駆け巡った。


(前世の知識、今世の知識。意味記憶・エピソード記憶・感情記憶。エンジニアの知識、ソックとして積み上げたもの。――切り抜けるための『答え』)


 バキィンッ!!


 氷が砕け、ソウル・デボアが巨大な腕を振り下ろした。

 その瞬間、俺は叫んだ。


「MEMORY!!答えは――『記憶』だ!!」


 その瞬間――。

 石造りの円形空間を、眩い光が包み込んだ。ソウル・デボアが苦しむように咆哮を上げる。

 そして、その巨体は光へ飲み込まれ、やがて黒い霧となって静かに消滅していった。


『……何故、答えが分かった?』


 オレが静かに尋ねる。俺はゆっくりと息を吐いた。


「16進数だ」


 オレは眉をひそめる。


「魔物に刻まれていた文字は、全部16進数だった。例えば【4D】をASCIIコードとして文字列へ変換すると『M』になる」

「【45】は『E』。【4F】は『O』。【52】は『R』。【59】は『Y』」


 一度言葉を切り、魔物がいた場所へ視線を向けた。


「つまり、刻まれた文字を『【4D】【45】【4D】【4F】【52】【59】』の順番に並べれば――『MEMORY』になる」


 オレは目を細めた。


「でも、文字は5つしかなかっただろ?」


「いや」


 俺は首を横へ振る。


「最初に見た外殻の【4D】だけ、刻まれ方がおかしかった。あの文字だけよく見ると上下二段に刻まれていたんだ。あれは――『2回使え』という意味だったんだ」


 オレは小さく鼻で笑う。


「君は俺の前世の知識も知っている。16進数を問題にしてきても、おかしくないと思った」


『……ちっ。まぐれでもなさそうってわけか』


 オレは頭をかきながら舌打ちした。そして、小さく肩をすくめる。


『完敗だ』


「……俺が答えられるように、したのか?」


『試練だからな。最初から不可能な問題にはしない』


 オレは少しだけ笑う。


『だけど、お前は極限状態の中で、自分の力だけで答えへ辿り着いた』


 その表情は、どこか満足そうだった。


「……」


『勘違いするな。オレは、まだお前を憎んでる』


 オレは俺を真っ直ぐ見据える。その言葉に偽りはないという気迫があった。


『だけど――今の戦いを見て、確信した』


 オレは静かに笑った。


『【ソック・ブライド】という名を、この世界へ刻み込めるのは、お前だけだ』


 ゴゴゴゴゴ……。


 円形空間が激しく揺れ始めた。

 床へ亀裂が走り、天井が崩れ落ちる。

 世界そのものが、ゆっくりと崩壊していく。


 気づけば辺りは闇に包まれ、俺の体だけが淡い光に包まれながら浮かび上がっていく。

 逆に、オレの体は静かに闇の底へ沈み始めていた。


「おい!! 待て!!」


 思わず俺は手を伸ばす。


「まだ……話し足りないぞ!!」


 俺は叫んだ。

 気づけば、頬を涙が伝っていた。だが、その涙はもう届かない。

 闇へ沈んでいくオレは、最後に穏やかな笑みを浮かべた。


『オレは【魂の残滓】となって、まだお前の中に残るらしい』


 その声は少しずつ遠ざかっていく。


『いつ消えるかは……分からない。それまでは、お前の活躍を見届けてやるよ』


 優しく笑う。そして静かに告げる。


『――お別れだ』


「待っ――!!」


 ガバッ!!


 俺は勢いよく体を起こした。視界へ飛び込んできたのは、見慣れた部屋の天井。

 照明の光が、やけに眩しく感じる。

 荒く息を吐きながら、俺は自分の胸へ手を当てた。


「俺は……」


 鼓動は確かに鳴っている。

 生きている。俺は――『魂の試練』から帰還したのだ。

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