記憶の回廊
人の記憶には様々な種類があるが、大きくは4つに大別される。――もちろん、諸説ある。
1つ目は『エピソード記憶』。出来事そのものを記憶するもの。
2つ目は『意味記憶』。文字や言語等、世界に対する知識を記憶するものだ。
3つ目は『手続き記憶』。この世界の貴族における食事の作法だったり、魔力の扱い方だったりと、体に染みついた技術を司る記憶。この記憶がなければ、俺は多くのことを一から学び直さなければならなかっただろう。
そして4つ目が――『感情記憶』。
1つ1つの出来事に対して、自分自身が何を思い、何を感じたのかを刻む記憶だ。
俺はずっと、単に『今世』の体と人格で、『前世』の記憶を思い出しただけだと思っていた。だけど、実際は違った。
前世としての俺の魂が、『今世』のソック・ブライドの肉体へ憑依するような形で入り込み、この世界の知識や技術を受け継いでいたに過ぎない。本当のソック・ブライドの魂を闇に葬り――乗っ取って。
その時、俺は一体『何の』記憶を受け継いだのだろうか?
◇◇◇
「……ここは?」
気づけば、俺は見慣れた屋敷の廊下に立っていた。
学園へ入学する前まで暮らしていた、ブライド家の屋敷。
その先には、1つの茶色い扉がある。
「……これは、俺の部屋の扉?」
恐る恐る扉を開く。
そこには見慣れた自室が広がっていた。
いつも眠っていたベッドに窓際の机。
『俺』になって最初にアンナと話したのも、この部屋だったな。
そんなことを思い出した、その時。声が聞こえた。
「ソック。お前は来年、王都パラキアへ赴き、魔力適性診断を受けることになる。それまでに、ある程度は魔力の扱いを覚えておく必要がある。どうだ、私と一緒に訓練でも――」
「めんどくせぇよ、父さん。そんなのやらなくても魔法くらい使えるし! アンナに教わるもん!!」
6歳ほどの『オレ』はそう言って、父アーノルドの隣に立つアンナへ駆け寄った。
しかし、アンナは優しく笑いながらも、きっぱりと首を横へ振る。
「ソック様。あなたの魔力操作は、まだ基礎もできていません。ですから、今はお教えすることは何もありません。まずはご自身で努力なさってください」
「やだよーー!! やだやだ!!」
床へ座り込み、子どものように駄々をこねるオレ。
俺は、この光景を『知って』いた。
だけど――。
何も感じなかったから、いつしか忘れかけていたのだ。
「――ッ!」
その瞬間、頭の奥へ杭を打ち込まれたような激痛が走る。
魔法がまともに使えない焦り。才能のない自分への劣等感。
アンナに認めてもらえない悔しさ。
そのすべてが、俺の胸へ一気に流れ込んできた。
「ぐっ……あああぁっ!!」
『どうだ』
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、純白の世界で出会った『成長したオレ』が壁へ寄りかかっていた。
『大量の感情記憶が流れ込んでる最中だからな。痛ぇだろ?』
「はぁ……はぁ……」
息を整えながら、俺はオレを見る。
「……というか君、アンナのこと好きだったのか」
『アンナ”さん”な』
オレは即座に訂正した。
『まぁ、そうだけどな』
少し照れくさそうに頭をかく。
『でもさ、魔法も勉強も全然取り合ってくれなかった。だから、そのたびに自己嫌悪してた。情けねぇ話だよな』
「土の大精霊だって知ってたのか? というか、あの姿は擬態だぞ」
『知らなかった。お前の中にいて、そのことを知った時は衝撃だったよ』
オレは苦笑する。
『そんなこと、オレには何1つ教えてくれなかったからな。"信用されてないんだな"って勝手に落ち込んでた』
少しだけ視線を落とした。
『でもさ、オレの世話は嫌な顔1つしなかった。どんなわがままを言っても付き合ってくれた。多分――オレのことは”守るべき子供”として見てたんだろうな』
そして俺を見る。
『でも、お前になってからは違う。1人の人間として接してた。きっと、周りのみんなも』
「……」
アンナの本当の気持ちは分からない。
だけど、この時のオレが抱いていた感情を知った今なら分かる。
認められたい――その想いだけは、本物だったのだ。
ゴゴゴゴ……。
俺の部屋の左右に、新たな2枚の扉が姿を現した。オレは顎でその扉を示す。
『好きな方を開けな。ここは記憶の回廊。あらゆる記憶をお前は追体験していく必要がある』
俺は静かに右側の扉へ手を掛けた。
そこから先は、まるで走馬灯だった。幼い頃、初めて父へ反抗した日や王都で魔力適性診断を受けた日。
微弱にしか魔力を出すことができなかったことに対して、何とも言えない表情をするアンナ。
つまらないことでアンナへ八つ当たりしてしまった日。ラウナホール国の王になりたいと、本気で夢見た日。
だが、そのどれもが、ただの記憶では終わらない。
その時にオレが抱いていた感情だけでなく、『今のオレが抱いていた感情』までもが、俺の中へ直接流れ込んできた。
悔しい、羨ましい、認められたい。
才能が欲しい。何もかもが面倒くさい。
それでも、王になりたい。
そんな相反する感情が濁流となって俺を飲み込んでいく。
「ぐっ……ぁぁぁぁぁっ!!」
自分ではない誰かの人生が、そのまま俺の人生へと塗り替えられていくような感覚だった。
感情が流れ込むたび、俺の頭は悲鳴を上げる。
あまりにも膨大な感情の奔流に、意識が何度も途切れそうになった。
――どれほどの時間が流れたのか。
気づけば、俺は1枚の扉の前へ立っていた。
今までのものとは明らかに違う。黒曜石のように漆黒で、重厚な扉。
表面には複雑な紋様が刻まれ、その隙間から禍々しい魔力が漏れ出している。
『これが最後の扉だ』
オレは静かに言った。
『この先にあるものを乗り越えた時、試練は完了する』
「……最後か」
俺は扉を見つめたまま、オレに対して声をかける。
「君は……それでいいのか?」
オレは首を傾げる。
「このまま消えても。本当は王になりたかった。アンナやみんなにも認められたかった。その全部を俺に託して、本当に後悔しないのか?」
オレは少しだけ目を伏せる。
『……いいんだよ。言っただろ。オレが消える前に、お前へ託す。オレの野望を果たしてほしいって』
静かな声だった。そして、少し照れくさそうに笑う。
『だから、さっさと開けろ』
俺はゆっくりと扉へ手を伸ばした。
ギギギギギ……。
重々しい音を立てながら、最後の扉が開いていく。
その先に広がっていたのは、巨大な石造りの円形空間だった。
天井は見えず、床には無数の魔法陣が淡く光っている。
そして――。
「……なんだ、あれは」
部屋の中央に、それはいた。黒い瘴気をまとった異形の魔物。
全身は岩のような漆黒の外殻で覆われ、4本の巨大な腕が地面を抉るように垂れ下がっている。
顔には4つの目と不気味に裂けた2つの口があった。
口元からは紫色の瘴気が絶え間なく漏れ出し、空気そのものを震わせていた。
一目見ただけで、その圧倒的な存在感に本能が警鐘を鳴らす。
そして、一番上の目のさらに上。
漆黒の外殻には、赤黒い文字でこう刻まれていた。――【4D】と。
見た瞬間に全身を殺気が貫き、オレの声がした。
『ソック・ブライド』
隣に立っていたオレが、不意に笑った。
その笑みは、今まで見せたどの笑顔とも違う。冷たく、歪みきっていた。
『さっきの話だけどな――ありゃ嘘だ』
オレの瞳が憎悪に染まる。
『オレはな。どんな形であれ、いきなり人生を奪いやがったお前をどうしても許せねぇ。そこまでお人よしじゃねぇんだよ。だから――ここで死ね』
オレは魔物へ向かって手をかざす。そして、口元を大きく歪めた。
異形の魔物が咆哮を上げ、巨大な腕を振り上げた。
『今度はオレが、お前の【才能】と【知識】を全部奪って――オレが乗っ取ってやる』
『じゃあな、【ソック・ブライド】』




