魂の奥底
「こっちよ」
アリアに手招きされ、俺たちはミレム湖のさらに奥へと足を踏み入れた。
木々は空を覆うように枝葉を広げ、木漏れ日が柔らかな光となって地面へ降り注いでいる。湖畔とはまた違う、ひんやりとした澄んだ空気だった。
不思議なことに、ここまで魔物の気配は一切ない。
鳥のさえずりと、風が葉を揺らす音だけが森に響いていた。
「ここよ」
やがて森の最奥で、アリアが足を止める。彼女は静かに右手を前へとかざした。
ブゥン……。
空間そのものが小さく震え、目の前の景色が水面のようにゆらりと歪む。
そして、何もなかった空間に巨大な銀色の門が姿を現した。
繊細な蔦模様が一面に刻まれ、その隙間には澄んだ魔力が静かに流れている。まるで何千年もの時を見守り続けてきた神殿の門のようだ。
「おおお……」
フィリアが思わず感嘆の声を漏らした。
そして、アリアは当然のように門へ歩み寄る。
「さ、入って」
俺たちは顔を見合わせ、小さく頷くと門をくぐった。
そして――。
「……っ!」
その光景に思わず息をのむ。
柔らかな陽光が天窓のように木々の隙間から降り注ぎ、透き通る滝が岩肌を伝って静かに流れ落ちている。
滝壺からは淡い青い魔力が霧となって立ち昇り、小さな水の精霊たちが楽しそうに宙を舞っていた。
色とりどりの花々が咲き乱れ、その花弁には朝露が宝石のように輝いている。
水が奏でるせせらぎがまるで音楽のように心へ染み渡り、胸の奥の緊張が自然とほどけていく。
――ここが、水の大精霊の住まう場所。
何一つ疑わないほど幻想的な光景だった。
そして、その景色の中心には、白木で造られた、小さなコテージのような小屋が静かに建っていた。
壁には蔦が絡まり、窓辺には青い花が飾られている。
「あそこの一室で、『試練』をやるわよー」
アリアは鼻歌でも歌いそうな軽い足取りで歩き出す。俺たちはその後に続き、小屋の中へ入った。
案内された部屋の中央には、大きな木製の長テーブル。
俺とフィリアが並んで腰を下ろし、その向かいにグリムベルとレイナが座った。
みーちゃんはというと、アリアの頭上をふよふよと浮かびながら興味深そうに部屋を見回していた。
窓からは柔らかな陽射しが差し込み、部屋全体を優しい暖色に染めている。
……油断すれば、そのまま眠ってしまいそうだ。
「さて、みんな集まったわね」
アリアはそう言うと、棚から白磁のティーカップを4つ取り出した。
1つ1つ丁寧に並べると、小さな銀缶を開け、さらさらと乾いた茶葉をティーカップへ落としていく。
ふわり、と爽やかな香りが部屋いっぱいに広がった。
続いて、湯気を立てる白いポットのようなものを持ち上げる。
コポ……コポポ。
静かな音を立てながら熱湯が注がれると、茶葉がゆっくりと開き始め、美しい琥珀色がカップの中へ溶け出していった。
やがて部屋中が、上品で落ち着く紅茶の香りに包まれる。
「はい、どうぞ」
アリアは優雅な所作で、俺たちの前へティーカップを置いた。
「試練のルールを説明するわ。今からあなたたちには『10種類』の紅茶を飲んでもらう。1つ飲み終わるごとに、原材料を答える時間を設けるわ。その時、1回でも正解できたら――試練は合格よ☆ 答えられた人から、この部屋を出て先へ進んでいいわ。あ、みーちゃんは精霊だから試練の対象外ね」
「つまり、10種類すべて飲まなくても、正解すれば出られるってことだな?」
俺が確認すると、アリアは頷く。
「ええ、そうよ。各人の持ち時間は1分ずつで他の人との私語は厳禁。ちなみに、これから出す10種類の紅茶は原産国も全部ばらばら。できるだけ公平になるように選んであるから安心して」
「さて――ここまでで質問は?」
「もし、10種類すべて飲んでも正解できない――もしくは、わからなかった場合はどうなる?」
俺の問いに、アリアの笑みがほんの少しだけ意味深なものへ変わる。
「それは、人によるわ」
一拍置き、静かに続けた。
「あらゆる『結末』が想定される――とだけ考えておきなさい」
部屋の空気がわずかに張り詰める。
「……わかった」
「それじゃ、スタート!」
俺たちは、それぞれティーカップへ手を伸ばした。
「――美味しいっす!!」
一口飲んだレイナが、目を輝かせる。
確かにこれは……美味い。
上品な渋みと華やかな香りが絶妙に調和している。
前世で飲んだ高級ダージリンティーを思わせる味わいだった。気づけば一気に飲んでしまうほどの美味しさ。
「ふふ、みんな美味しそうに飲んでくれて嬉しいわ。どれも自信作の紅茶なのよねぇ」
アリアは満足そうに微笑む。
「さて、回答の時間です。今から喋っていいのは、原材料と思われるものと『わからない』という単語だけよ?」
「じゃ、フィリアちゃんから」
「うーーん……ラウナホール国産の『フェレウスの木の葉』!」
……そんな木があるのか。
植物の勉強なんて、ほとんどしてこなかったことが今になって悔やまれる。
「不正解! じゃあ次、ソック君」
「……わからない」
「あてずっぽうでも言えばいいのに~~! じゃあ次はーー」
結局、1種類目はグリムベルもレイナも外れ、誰1人として正解者は現れなかった。
続く2種類目も、全員不正解に終わる。
そして、動きがあったのは4種類目だった。
4種類目の紅茶を一口飲んだ瞬間、レイナの表情が驚きに変わる。
そして――。
「これは、『ダバナ国産ブカチオットの葉』っす」
「……正解!! やっと正解者が出たわね~。じゃ、レイナちゃんは合格! この部屋を出なさい」
レイナは立ち上がると、俺たちを見回して口を開いた。
「みんな、この試験は――」
言いかけた、その瞬間。
アリアから放たれた、ほんのわずかな殺気。その一瞬で空気が凍りつく。
レイナは言葉を飲み込んだ。
「言ったわよね? 私語は『厳禁』だって。さっさとこの部屋から出なさい。次、同じようなことしでかしたら――全員不合格よ?」
レイナは悔しそうに唇を噛みしめながらも、何も言わず部屋を後にした。
部屋には、再び静寂が訪れる。
「それじゃ、続けましょうか」
アリアは何事もなかったかのように微笑み、新たな紅茶を淹れ始めた。
6種類目の際、フィリアが恐る恐る答えた
「……サンガリア国産、『アルネシアの花』!」
「……正解♪」
「や、やった!」
フィリアはぱっと表情を明るくし、俺たちへ視線を向けた。
しかし何も言わず、小さく頭を下げるだけで部屋を出ていく。
私語厳禁ーーレイナの1件を見た以上、それを破る勇気は誰にもなかった。
続く7種類目、グリムベルが静かにティーカップを置く。
「ダバナ国産、『ルクシアの若葉』」
「正解よ」
「……失礼する」
グリムベルは短く一礼すると、そのまま部屋を後にした。
部屋には俺とアリア、そしてみーちゃんだけが残る。
8種類目、9種類目。
......わからない。
あてずっぽうでそれらしい植物名を口にしても、ことごとく不正解だった。
――くそっ。
こんな時ほど、自分が紅茶や植物に疎いことを後悔したことはない。
いや、本当にそれだけなのか……?これはただの『知識』を問うものなのか?
胸の奥に、言いようのない違和感が広がっていく。
もし、このまま全問不正解だったら――。
アリアの言う『あらゆる結末』はまともな未来ではないことだけは確信できた。
鼓動が早まり、喉が渇く。
気づけば、手のひらにはじっとりと汗が滲んでいた。
俺は震える手で最後のティーカップを持ち上げ、一滴残らず飲み干した。
そして、俺が最後のティーカップを置いたその時だった。
「ねえ、ソック君。知ってる?」
それまで試練以外の話を一切しなかったアリアが、不意に口を開く。
「人間の体はね、成人でも約60%は『水』でできているの。そして――魂の構成要素にも『水』は存在するのよ」
俺は答えない。私語厳禁を守ったまま、アリアを見つめ返す。
だが、アリアは気にした様子もなく、穏やかに続けた。
「私はね。『水』を通して、その人間の性格・記憶、感情……そして『魂の形』を知ることができるの」
ふわり、とティーポットを持ち上げる。
「だから、この『特製紅茶』を通して、その人物を徹底的に品定めするのよ」
その笑みは優しい。なのに、背筋が凍るほど恐ろしかった。
「純粋な魂を持つ者には、その紅茶に使われた原材料の記憶が自然と流れ込む。だから答えられる。」
「逆に、不純な魂を持つ者は――魂を少しずつ溶かされ、永遠の死を迎えることになる」
アリアは一拍置き、細めた瞳を俺へ向ける。ぞくり、と俺の全身を悪寒が駆け抜けた。
「つまり、この試練は知識を試しているんじゃない。『魂の形』を示す試練なの」
静かに、はっきりと言い切って――アリアはゆっくりと立ち上がる。
「でもね、ソック・ブライド」
その青色の透き通る瞳が、俺の心の奥底まで見透かしてくる。
「あなたの魂だけは、見極めることができなかった。――それは何故か?」
アリアは口元に笑みを浮かべる。
「あなたには、魂が2つあるからよ」
ドクン――。
心臓が激しく脈打ち、全身から汗が噴き出した。
「あなたは、この世界とは異なる世界から来た魂を持っている」
その一言だけで、俺の頭は真っ白になった。
「そして、あなたがやって来る前に存在した『ソック・ブライドの魂』も、今なお心の奥底で静かに眠っている」
あり得ない。誰にも話していない。
俺が転生者だということは――。『あいつ』以外、知らない。
「あなたの魂は、まるで天秤のよう。2つの魂が危うい均衡を保ちながら、1つの器に収まっている」
その笑みが、わずかに深まる。
「そんな不安定な魂では――『あの女』には勝てないわね」
「……何が......言いたい?」
耐えきれず、俺は声を漏らした。
頭が割れるように痛い。吐き気が込み上げる。
心臓がーー締め付けられるように痛む。
怖い。俺は……。
俺は、死ぬのか――?
視界がぐらりと揺れた。力の入らなくなった体が前へ倒れ込む。
ガシャンッ!!
ティーカップが床へ落ち、甲高い音を立てて砕け散った。
アリアの表情には、慈愛とも残酷ともつかない深い笑みが浮かんでいた。
「あなたの『本当の試練』は、ここから。ふふふ……どんな『結末』になるのか、楽しみねぇ」
最後に、頭の奥底へ誰かの声だけが響いた。
――オノレの魂と向き合え。




