霧の湖
グリムベルたちと会議をした日の夜。
俺は管制塔の一室で、翌日の出発準備を進めていた。
今の目的地は魔獣混成地帯ーーそこに巣食うセイレーンの討伐。
荷物の最終確認を終えた俺は、机の上に広げた魔物図鑑へ視線を落とした。
「しっかし、情報が少ないな……」
ページをめくりながら思わず呟く。
近くでは、球体の姿となったみーちゃんがふわふわと浮いていた。
「みーちゃん。セイレーンの弱点って何か知ってるか?」
「んー?」
みーちゃんはくるくると回っている。
「詳しくは知らないの!でもね、セイレーンは魔物のジョウホウをキオクしてるんだーって、アリア様が言ってたの!」
「情報を記憶している……か。複製体を作り出すための『データ』をどこかで保持しているってことかもな」
もしそうなら、その情報源を破壊すれば、複製体を生み出せなくなる可能性がある。
だが、今の情報だけでは判断材料が足りない。
俺は再び図鑑へ目を落とし、既知の情報を整理しながら、頭の中で戦闘をシミュレーションする。
セイレーンはどの程度複製体を生み出すか。
みんなとの連携や結界魔法を使うタイミング。
考え続けているうちに――いつの間にか俺の意識は眠りへ落ちていた。
――翌朝。
俺は珍しく早朝に自然と目を覚ました。
だが、不思議と眠気はなかった。なぜなら、胸の奥がざわついているからだ。
まるで何か大きなものが動き出したような感覚。
ルカは今、何をしているのだろうか。
ニルキス国の未来、ラウナホール国の今後の動き、と疑問は尽きない。
だけど――。
「今は目の前のことだな」
俺は小さく呟きながら、外套を羽織って部屋を出る。
すると、廊下でフィリアと鉢合わせた。
「あれー!?珍しく朝早いじゃん、ソック!びっくりした!」
翡翠色の瞳がぱちぱちと瞬く。
「ああ……妙に胸騒ぎがしてな」
「その胸騒ぎ、当たっているぞ。ソック・ブライド」
別方向から聞こえた声に振り返る。
そこにはグリムベルが立っていた。いつものように背筋を伸ばしながらも、どこか表情は硬い。
その手には1枚の紙が握られていた。
「メリド公爵たちは各魔石の対応に早々と向かっていった。今ここにはいない。ゆえに、かしこまらなくていいぞ」
グリムベルは肩をすくめる。
そして、俺に紙を差し出してきた。
「これは昨夜、僕の元へ届いた伝書だ。読んでみたまえ」
「伝書?」
俺は紙を受け取ってみてみるがーー、見たことのない文字列が並んでいた。
「……読めないな。ダバナ国の文字か?」
「そうだ」
グリムベルは少し首を傾げる。
「マリアル結界に手を入れていたから読めるものだと思っていたんだが」
「レイナとフィリアに協力してもらって、結界に書かれていた文字だけ頑張って解読したんだ」
「なるほどな」
グリムベルは納得したように頷いた。
「まあ、要約すると――現国王のソールド・ラウナホールは不治の病に侵され、国王ではいられなくなった」
「……」
「そして次代の女王として、ルカ・ラウナホールが即位するとのことだ。近々、就任演説も行われるらしい」
俺は思わず眉をひそめた。
「……できすぎだな。あいつが作為的に国王を『そうさせた』としか思えない」
「僕も同意見だ」
グリムベルは真剣な表情で答えた。
「だが全ては憶測にすぎん。今は何もできない。だからこそ、早急にセイレーンを討伐し、第一古代結界を攻略する」
「ああ」
俺は頷いた。
「後はレイナだけか? みーちゃんはもう外だぞ」
「呼んだっすか?」
すると、上から声がした。
見上げると、レイナが天井に張り付いていた。
「相変わらずだな……」
「シノビっすから~」
レイナはひらりと着地する。
そして俺たちは連れ立って外へ向かった。
管制塔前の広場では、球体姿のみーちゃんが待機していた。
「みんな~、準備できたの?」
「問題ない」
「私も大丈夫だよ~!」
「いつでも出発できるっす!」
全員の顔を見渡す。セイレーン討伐戦の始まりだ。
「魔獣混成地帯へはどう向かう?一応聞くけど馬車では無理だよな?」
「無論だ」
グリムベルが即答する。
「舗装された道などない。飛行魔法で向かうしかあるまい」
「まあ、それしかないか」
俺は深呼吸した。
「じゃあ――いきます。《フライ》」
俺は詠唱し、みんなの身体がふわりと浮き上がった。
みーちゃんは当然のように俺の頭の上へ乗る。
「しゅっぱーつ、なの!」
俺たちは北西へ向けて飛び立った。
俺は空を進みながら地図を広げる。アンナのおかげで、飛行魔法への抵抗はほとんどなくなっていた。
「んー……ここから10キロほど北西へ進むとミレム湖だな」
「そうなのか?僕は目を閉じているから全然わからん」
「左様でございますか……」
俺は苦笑した。
「いい加減慣れて下さいよ~、グリムベル殿下」
レイナが呆れたように言う。
「いずれ克服する!!とにかく早く向かえ!」
グリムベルは即座に反論した。
そんな調子で飛び続けること2時間。
途中で木の上へ降りて休憩したり、フィリアの転移魔法を挟みながら、魔力消費を抑える。
昼前には、木の上でフィリアが用意してくれていたサンドウィッチを全員で食べていた。
「旨いな。フィリアって料理上手だったのか」
思わず声が漏れる。
「えへへー♪私って結構器用なんだよ?」
フィリアが胸を張った。
魔剣大会の時にエレーナからもらった弁当にも引けを取らない美味しさだ。
「フィリア嬢、確かにこれは美味しいっす」
レイナも感心したように頷く。
「シノビの任務にはこういう携行食が重要なんすよ。フィリア嬢を私の専属にしたいっすね~」
「せ、専属!?いや~私にはミズル領を守る義務が~~」
「冗談っすよ~」
そんなやり取りを続け、昼食を手早く済ませた俺たちは再び飛行を開始した。
そして――段々と周囲の霧が濃くなっていく。
最初は薄かった白い靄だったが、今では数十メートル先すら見えない。
空気もどこか湿っていた。
肌にまとわりつくような冷たい水気に、不気味なほど静かな空間。
全員が前方へ視線を向けると、霧の向こうに巨大な湖らしき影がぼんやりと浮かび上がった。
「着いたみたいだな」
俺がそう呟いた瞬間だった。
ぞわりと、全身の毛穴が一斉に開く。
周囲から無数の魔物の気配を感じ取ったのだ。
「っ!?」
俺たちは思わず足を止める。
魔物だ。しかも1体や2体じゃない。
数十――いや、それ以上の魔物が俺たちを取り囲むように存在している。
「ソック……」
フィリアの声にも緊張が混じる。
その時だった。湖の中央から巨大な水柱が立ち上がる。
轟音と共に水面が大きく揺れる。
「ワタシの眠りを邪魔するとは――何者だ?……人間か?」
女の声。だが、その響きには人間離れした威圧感があった。
「こんなところまで来るとは珍しい」
巨大な水飛沫とともに、その姿が霧の中からゆっくりと現れる。
長く艶やかな銀色の髪に、透き通るような白い肌。
人を魅了するほどの美しい女性の上半身だが、腰から下は巨大な魚だった。
青く輝く鱗は鎧のように重厚で、一枚一枚が宝石のような光沢を放っている。
湖面へ伸びる尾ひれが揺れるたびに、大量の水が波となって広がる。
言い伝え以上の存在感。巨大な瞳が俺たちを見下ろし、周囲の空気が張り詰める。
間違いなくーー、俺たちの目の前にいるのは、セイレーンだった。




