独白
ガリア城の上空。
俺たちの身体は相変わらず動かない。動きが止まった世界の中で――異変が起きていた。
「……っ!?」
エレーナの身体が黒い光に包まれていたのだ。
黒い光は、彼女の耳元から溢れ出している。
俺は目を凝らした。
エレーナが身に着けているイヤリングから黒い光が滲み出るように広がり、彼女の全身を覆い尽くしている。
エレーナは力なく宙に浮かんでいた。
ぐったりとしていて、生きているのかどうかも分からない。
その光景を見たルカが小さく呟いた。
「ちゃんと起動したようね」
「ルカ姫殿下、起動したとは?」
隣にいたザックが怪訝そうな顔を向ける。
認識阻害が効いており、俺たちの姿はルカにしかわからない。
「なんでもありませんわ、ザック・ニルキス殿」
ルカは微笑んだ。
「処刑も無事に終わったことですし、残りはあなたが説明して。今後の具体的なスケジュールとかね♡」
「は、はぁ」
一歩下がるルカ。
代わりにザックが前へ出て、熱狂する民衆へ向かって演説を続け始めた。
新体制の方針やラウナホール国との同盟内容について、饒舌に語り始める。
王都の人々は歓声を上げ続けている。
夜明けが近付くにつれ、その熱狂はさらに大きくなっていた。
一方で俺たちは何一つできない。
身体は静止したまま、意識だけが妙にはっきりとしていた。
俺は処刑台へ視線を向ける。
血まみれのロッド・ニルキスの死体と黒い光に包まれたエレーナ。
その姿を見ているうちに、ふと1つの記憶が脳裏をよぎった。
前世の記憶――祖母が死んだ時のことだ。
俺が18歳の頃、祖母は癌で亡くなった。
危篤だという連絡を受けて、母は先に病院へ行き、俺も後から呼ばれた。
病室のベッドの上で、祖母は静かに目を閉じていた。
その姿を見た瞬間、母は泣き崩れた。
多分だけど、全員が泣いていた。
――俺を除いて。
涙が全く出なかったのだ。悲しくないわけじゃない。
だけど泣けなかった。
だから俺は、その場で悲しそうなフリをしていた気がする。
泣いている人間を見て、自分も悲しまなければならないと思った。
じゃあ俺には感情がないのか?そんなことはない。
王道のアニメを見れば泣いた。ロマンス映画を見れば、気付けば涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
つまり、感情はあるのに――祖母の死では泣けなかった。
俺はどこかで他人事として見ていたのだ。
祖母の死でさえも。その後の告別式でも結局泣かなかった。
自分とは関係のない世界の出来事なら、いくらでも涙を流せる。
アニメもドラマも、俺にとってはただ消費するための物語だった。
だから感動できたし、泣けた。
でも自分自身の人生になると違った。
俺には自分自身の『軸』がなかったように思える。
とりあえず、いい大学に行って。
当たり障りのないエントリーシートを書いて、そこそこの大手企業に入る。
自分の周りがどんどん結婚していくのを見て、自分も結婚しなきゃと婚活に躍起になったりもした。
親の言葉、友人の言葉、世間の常識。
それらを心の中では正しいものだと思い込み、流されるように生きていた。
もちろん人生そのものが不幸だったわけじゃない。
社畜として仕事に忙殺されてはいたが、ちゃんと美味しいものを食べることもできたし、家族や友人と旅行にも行った。
平凡な幸福は確かにあった。
――でも。
それでも俺は、自分自身に納得できなかった。
確固たる自分がないことに。
結果的に、誰かの価値観の上を歩いているだけの人生に。
だから俺は――。
ほんの少しでいいから。
この世界に、俺という存在を刻み付けたかった。
胸の奥底から湧き上がるその感情は、今まで感じたことがないほど強かった。
もしかしたら、この世界へ転生した後も、自分自身の『軸』を持たないまま生きてきたのかもしれない。
だけど――。
魔法を学んでいる時は楽しかったし、結界を構築している時は夢中になれた。
フィリアやアンナたちと冒険したことも、ドラゴンと戦ったことも。
エレーナを助けるために、ここまで来たことも。
どれも前世では味わえなかった経験だった。
同じことを繰り返すだけではなく、自分自身で選び、決断し、前へ進んでいる気がする。
まだ未熟かもしれない。
迷うことだってあるだろう。
それでも――。
俺はこの世界で確固たる『自分』を手に入れる。
そして妹と向き合う。真正面から。
ぽたりと頬を何かが伝った。涙だった。
ああ、そうか。
俺は――。
やっと心から泣けた気がした。
祖母が死んだ時も、前世で様々な別れを経験した時も。
どこか他人事だった。
だけど今は違う。
ロッド・ニルキスの死が、エレーナの悲しみが、仲間たちの悔しさが。
まるで自分自身のことのように胸を締め付け始めた。
だから涙が出る。
ようやく、俺はこの世界を自分の世界だと思えたのかもしれない。
その時だった。
ふと、微かな魔力を感じ、俺は目を見開く。
黒い光に包まれたエレーナの身体の奥底から、本当に微弱だったが魔力反応が伝わってきた。
消えそうなくらい弱い。
それでも確かに存在していた。
生きている。エレーナはまだ死んでいない。
まだ間に合う、まだやれる。
俺はルカを真っ直ぐ見据えた。
止まった時間の中で抗うように、全力で口を開く。
「ルカ。お前はイヤリングに何かしたのだろうが、エレーナはまだ死んじゃいない」
ルカの瞳がわずかに細まる。
「まだ救える」
するとルカは楽しそうに笑った。
「ふふ。でも、いずれは死ぬわ」
そして黒い光へ視線を向ける。
「その魔道具は【絶望】の感情を糧にして、ゆっくりと命を吸い取っていくの」
胸の奥で怒りが燃え上がる。
だが俺は目を逸らさなかった。
「必ず治す方法があるはずだ」
そして、俺ははっきりと言った。
「ルカ。俺は改めて決意したよ」
ルカが微笑む。
「へえ?」
「『自分』を手に入れて、お前を倒す!!」
ルカの笑みが深くなった。
まるで待ち望んでいた言葉を聞いたかのように。
「私はどの兄さんも好きだけれど♡」
その声には狂気と歓喜が混じっていた。
「本当の兄さんを見つけたその時――全力で戦ってあげるわ♡」
背筋が冷たくなるが、もう恐怖はなかった。
俺はルカをじっと見つめる。
ルカはゆっくりと微笑みながら、最後に告げた。
「では、いずれまた♡」
夜明けの光が差し込み始めていた。
「このニルキス国の事実上の崩壊とともに、世界は急速に変化する」
ルカは俺たちを見つめる。
「せいぜい振り落とされないように――あがくことね」
そう言って片手を振り上げた。
次の瞬間、視界が白く染まる。
そして――。
俺たち全員の姿がその場から消えた。
気付けば、俺たち全員はロースベルクの入口付近へ転移していたのだった。




