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顔色

 エレーナ・ニルキスは人の『顔色(かおいろ)』を見てきた人生だった。

 物心ついた頃から人の『表情』に敏感だった彼女は、顔を見れば心の奥底にある感情をも感じ取れた。

 怒り、喜び、悲しみ、楽しさ――人の心の奥底にある感情が、まるで『色』となって見えていたのだ。

 怒りの赤色、喜びの黄色、悲しみの青色、楽しさのピンク色。


 エレーナの世界は、いつだって様々な『色』で満ち溢れていたのだ。


 ニルキス国第一王女として生まれた彼女は、王族として様々な教育を受けた。

 地理、歴史、軍事、魔法――多くの知識を叩き込まれた。エレーナはそれらを難なくこなした。


 魔法の才能もあったし、理解も早かった。両親はそんな彼女を褒めてくれた。


「よく頑張ったな、エレーナ」


 父親が微笑む。


「さすが私たちの娘ね」


 母親が頭を撫でてくれる。

 その笑顔の奥に、いつも悲しみの青色が少し混じっていることをエレーナは知っていた。


 どうしてそんな色をしているのか、幼い頃の彼女には分からなかった。

 エレーナが10歳の頃、母親のヘレン・ニルキスは病で亡くなった。


 透き通るような水色で、優しくて温かい色。

 エレーナが心から安心できる数少ない存在だった。


 その色は、あまりにも早く消えてしまった。

 それからだった。周囲の色が、少しずつ濁り始めたのは。


 ラウナホール国との貿易交渉に失敗し、食糧の輸入が困難になった。

 追い打ちをかけるように『テッセン病』が蔓延し、小麦の不作も続く。


 王女として、エレーナも様々な会合へ参加するようになった。

 関わる貴族、商人、外交官たちはみんな上辺(うわべ)()()だった。

 だけど、その奥に見える色は違う。


 欲望、嫉妬、打算、恐怖。

 吐き気がするほどに、濁った色が渦巻いていた。


 もちろん、綺麗な色を見ることもあった。

 地方視察で訪れた村で無邪気に走り回る子供たち。

 その色は明るくて暖かく、見ているだけで心が軽くなった。


 だけど――、結局人は変わる。

 大人になり、立場を持ち、欲を持つ。そして色は濁っていくのだ。


 唯一変わらなかったのは契約精霊のみーちゃんくらいだった。


 だからエレーナは見ないことにした。

 心の奥底にある色なんて。他人の本音なんて。


 見たところで苦しくなるだけだから。

 上辺(うわべ)だけ見ていればいい――、そう思っていた。


 だけど、どうしても()()()()()()のだ。

 だから――逃げた。

 ニルキス国から。人々の感情から。そして、自分自身から。

 国から離れたミッドライト学園への入学も、その理由の1つだった。

 学園の生徒も多種多様な色を(かも)し出していたが、それでも幾分(いくぶん)かはマシだった。


 エレーナはニルキス国民の想いを理解していた。

 理解した上で、目を逸らし続けた。


 なぜなら決断が怖かったから。

 誰かのために何かを選べば、必ず別の誰かの色が変わる。

 悲しみになるかもしれないし、怒りになるかもしれない。


 だから決められなかった。王女なのに、何一つ。

 やがてエレーナは、自分自身が本当はどんな色をしているのかすら分からなくなっていた。

 けど、それでいいのだ。表面上が綺麗な色なら、それで――。


「だからあなたは弱いのよ。エレーナ・ニルキス」


 気が付いたら、エレーナは真っ白な空間にいた。そして、目の前にはルカが立っていた。

 空もない、地面もない。

 目の前にはただ『白』だけが広がっていた。


「ここは……?」


「この場所がどこかなんて、別にどーでもいいじゃない。エレーナ、あなたは人の『顔色』なんか気にするから――負けるのよ」


「どういう……ことですか?」


 ルカは肩をすくめた。


「言葉通りの意味。国民なぞという有象無象の虫ケラなんかを気にしてさ」


「ルカさん。じゃあ、あなたは考えないの……?感情を、想いを」


 エレーナは震える声で言った。


「ええ」


 ルカは迷いなく答える。その瞳に揺らぎはない。


「だって、いらないもの。いつだって優先するのは自分の意志よ。他人が入り込む余地なんて作らせない。だからこそ、私は()()()()()。捨てて、力を手に入れた」


 エレーナの背筋に冷たいものが走る。


「何を……捨てたの?」


 ルカは口元を歪めた。

 そして優雅に両手を広げる。


「ふふ。特別に見せてあげましょう」


 真紅の瞳が妖しく輝いた。


「あなたにも私の見ている()()を見てもらうわ」


 すると、景色が切り替わった。

 エレーナの視界は一気にガリア城の上空へと引き上げられる。

 そこから見えるのは、歓声を上げる王都の民衆だった。


 だが、その光景を見た瞬間――。


「おえええええっっ!!」


 エレーナはその場に吐き出した。

 あまりにもおぞましかった。

 あまりにも異常だった。


 民衆に顔がないのだ。誰一人として。


 男も女も、老人も子供も――そこにいる全員が。

 ()()()()()()()()()()()


「いや……」


 震えが止まらない。

 不気味だ、不気味すぎる。顔そのものがないなんて。怖い、怖い、怖い――。


 近くにはザックの姿もあったが彼ですら同じだった。

 顔がない。ただ胴体だけがそこにある。


「な……に……これ……。なんなの!!!」


 ルカはくすくすと笑う。

 まるで当たり前のことを語るように。


「これなら余計な『顔色』なんて気にしなくていいわよね?」


 エレーナは言葉を失った。

 ルカは楽しそうに続ける。


「兄さん以外の『顔』なんて不要なの」


 そして、耳元で囁くように告げた。


「虫ケラという表現は、まさしく()()()()()()()


 この光景は人の顔ばかり見てきたエレーナにとって、心が折れるには十分だった。

 顔がないということは。優しくて温かい色さえ、全く感じ取れないではないか。


 逃げ続けた結果が――これか。

 もっと向き合っていればよかった。

 後悔がエレーナを埋め尽くそうとした、その時だった。

 ふと、別の姿が目に入る。


「ソック卿――!?」


「エレーナ、君は確かに逃げ続けた人生だったかもしれない。俺も同じなんだ。嫌なものからは、ずっと目を逸らし続けてきたんだ」


 目の前のソック・ブライドは続けて話す。自分の幻覚なのかもしれないが。


「だけどな、エレーナ。逃げることだって勇気が必要なことだと思う。人の『想い』を感じ取れる君の能力は、一種の『優しさ』なんだと思う。それが例え――自分のエゴからくる偽善だったとしても」


(なぐさめ)めに来たとか、()めに来たとかじゃない。多分どっかで間違えていたのは事実なんだ。それでも――俺は君から確かな優しさをもらったんだ」


「お世辞だとしても、ありがとう。......そうね、ソック・ブライド。私はずっと逃げていた。今さらどう向き合えばよいのか、結局わからないままだけれど」


 だとしても。ソック・ブライドの声には少し優しい色を感じたのだ。


「――さよなら」


 微笑むと同時に、エレーナの視界が歪む。

 こうして、エレーナの意識は深い深い闇の底へと沈んでいった。

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