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救出前夜

 大使館からの脱出騒動から2日後。

 俺たちは王都マチルダとロースベルクの中間に位置する街、『ソーデリア』へと身を潜めていた。ソーデリアはロースベルクほど華やかな観光都市ではない。


 街道沿いには商店が並び、人々が行き交っているものの、観光客で溢れ返るほどではない。かといって田舎町というわけでもなく、少し路地へ入れば住宅街が広がり、住民たちの日常の会話が聞こえてくる。


 騒がしすぎず、静かすぎもしない。そんな穏やかな空気の流れる街だった。


 そして、そこのとある宿屋。

 その一室で俺は魔法陣を展開しながら、すっかり元気になったリアラと向かい合っていた。


「ソックさん、この術式の中のこの文字列ってなんて読むんですか?」


 リアラが魔法陣の一角を指差す。


「『ラピスリ』って言葉さ。ラウナホール国の言葉で『繰り返す』って意味の単語だ」


 俺は魔法陣へ指を滑らせる。


「だからこの部分は繰り返し処理を意味している」


「なるほど。ここで繰り返し処理――すなわちラピスリ構文を入れることで結界の自動修復に必要な魔力量を即座に計算しているんですね」


「その通り。理解が早いな」


 思わず頬が緩む。


「でもこの処理の後に例外処理用の構文を入れないと術式が終わらなくなったり――」


「つまりは無限ループですね」


 こんな議論を始めてから、気付けば1時間以上が経過していた。

 リアラの知的好奇心は凄まじい。結界術式の中身についてここまで深く質問してくる人間は、今までいなかった。


 そのせいだろうか、俺もついつい聞かれてもいない部分まで熱弁してしまった。


「すごい勉強になります。ソックさん」


 リアラは感心したように頷いた。


「ただ、ニルキス国だと『繰り返す』って意味の言葉は『ローサリー』って単語なんです。ニルキス国で扱う結界術式にするには色々と翻訳(ほんやく)や修正が必要ですね」


「そうなのか……」


 俺は頭を抱える。


「ニルキス語も覚えなきゃいけないかもしれないけど、難しいんだろうなぁ……」


 ふと、アンナが以前言っていた言葉を思い出した。


『結界の術式を正しく扱うには、文字の理解が不可欠です』

 ――まさしくその通りだな。


 俺はアンナへ視線を向けた。

 当の本人は部屋の隅で、もふもふパンをひたすら頬張っていた。


「アンナってどの程度、他の国の言語が分かるんだ?」


「基礎的な部分であればニルキス、ダバナ、サンガリア――まあ、全ての国の言語はいけますね」


 さらりと言う。相変わらずだな。


「今度教えてくれ」


「それは大変ですよ?」


 アンナはにこりと微笑む。


「1年間はみっちり文字の読み書きの授業ですね」


「ごめん、やっぱり勘弁して」


 そんなやり取りを見ていたセレスティナが、ついに我慢できなくなったらしい。


「お前たち、いいのか!?」


 勢いよく立ち上がる。


「こんなのんびりしていて!ここ2日間でやったことといえば、この宿を確保したのと近場で軽く情報を集めたくらいだぞ!」


 セレスティナは拳を握り締めた。


「早くエレーナ王女と国王陛下を救出しに行くべきではないのか!?」


 俺が口を開こうとした、その時。

 先にリアラが声を上げた。


「姉さん。大使館騒動の余波はまだ残っている。警戒が強いこの状況で派手に動くのは得策じゃないよ」


「リアラ、だけど――」


「姉さん、僕を信じて」


 リアラは真剣な表情で続ける。


「エレーナ王女の処刑まであと10日くらいある。だからあと5日くらいは動きを攪乱(かくらん)できるんだ」


攪乱(かくらん)?」


「うん」


 リアラは頷いた。


「ギリギリすぎるのは不測の事態に対処できない。だから5日前くらいに救出するのがちょうどいいんだよ」


 そして静かに言葉を続けた。


「全世界へ処刑日程を公表している以上、そう簡単に前倒しもできないはずだから」


「なるほど……」


 セレスティナは渋々ながらも納得したようだった。

 すると今度はフィリアが手を挙げる。


「じゃあ、どっかお出かけしようよー!ソーデリアには美味しいスイーツのお店があるんだって!!」


「それは別の意味で『派手な動き』になるから却下」


 俺は即答した。


「むぅ……」


「もちろん、いつまでもここにはいない」


 俺は机の上に広げた地図へ視線を落とした。


「これから5日間、毎日宿を変える。リアラが人目につきにくい『穴場』の宿をリストアップしてくれたんだ」


「えへへ」


 リアラが少し誇らしげに笑う。

 俺は横の紙に記載された宿の一覧を指差した。


「今日はソーデリアの宿にいるが、明日はロースベルクの宿へ移動する。そして明後日はまたソーデリア側の宿だ。こんな感じで交互に移動する」


 セレスティナが首を傾げた。


「なんでそんな回りくどい動きを?」


 俺とリアラは顔を見合わせ、同時に答えた。


「僕たちの動きを、改革派及びラウナホール国――ルカに悟らせないためだ」


 俺は静かに続ける。


「ラウナホール国の王女――ルカは『時』に関する能力を持っている」


 アンナは間髪入れず口を挟んだ。


「ソック様、その件は私から説明しま――」


「いや、いいよアンナ」


 俺は首を横に振った。


「大体推測はついているから。とにかくルカは『時の大精霊』と同じ『権能(けんのう)』を持っていると思われる」


 その瞬間、部屋の空気が静まり返った。

 セレスティナもリアラも、そしてフィリアまでもが真剣な表情になる。


権能(けんのう)』ーー魔法とは一線を画す存在で世界の理そのものへ干渉する力。

 そんなものを人間が扱っているなど、普通なら冗談にも聞こえない。


「多分今は全ての『権能(けんのう)』は使えない状態だと思うけどな」


 俺は腕を組みながら続けた。


「そこで厄介になってくるのが『時間を止める』能力だ。発動したら最後、俺たちは為す術もなく捕らえられる」


「そんなの――どうすればいいのぉ!?」


 フィリアが思わず叫ぶ。


「でもその『時間を止める能力』にも制限がある。無制限に使えるなら今この瞬間にも使われて俺たちは終わっている。おそらく使える時間や距離に限りがある」


 そしてさらに続ける。


「だからこそ俺たちはルカの『射程距離』に入らないようにしなければならない。目立たないように動き回って、動きを読ませない。それが今の最善策なんだ」


「なんでそんな面倒なことを……。サクッといって斬り込みに行けばいいではないかぁ」


 セレスティナが不満そうに頬を膨らませる。

 するとリアラが呆れたようにため息をついた。


「少しは『我慢』というものを覚えてよ、姉さん」


「むぅ」


「ソックさんやアンナさんがいなかったら、今頃僕は死んでいたかもしれないんだよ?」


「それはそうだが……」


 セレスティナは視線を逸らした。

 だが次の瞬間。


「でも私の弟とソックが仲良くしてるのはなんかむかつく!!!」


「なんでだよ」


 思わず俺は突っ込み、リアラは苦笑いしていた。

 そんな空気をぶち壊すように、フィリアが元気よく手を挙げる。


「1回くらいはスイーツ屋さん行きたいよお」


「どうしてもというのなら持ち帰りだ。買ったらすぐ転移で離れなきゃ駄目だぞ」


「いいの!?やったあ!!」


 フィリアは飛び上がるほど喜んだ。

 ついこの前まで捕まっていた人間とは思えない。

 この精神力は見習うべきなのかもしれないと俺は少しだけ羨ましく思った。


 その時、アンナが真面目な表情で口を開く。


「ソック様、リアラ様。作戦については理解しました。ですが、エレーナ王女及び国王陛下の居場所は分かっているのですか?」


「アンナさん、それなら分かっています」


 リアラが真剣な表情で答える。


「僕が捕まっている間、見張りの兵士たちの会話にはずっと耳を立てていましたから。2人がいる場所は王都マチルダの城――『ガリア城』です。その地下にいる可能性が高い」


「お見事です、リアラさん」


 アンナが素直に感心する。

 だがリアラは首を横に振った。


「でも、あくまで兵士が口走っていた情報でしかありません。この5日間で情報収集とガリア城の下見もしましょう」


 その瞳に強い意志が宿る。


「今持っている情報を『確信』へ変えるために」


 それからの5日間、俺たちはひたすら動き回った。

 宿を転々としながら、酒場や図書館で情報を集める。


 アンナ、リアラ、セレスティナはガリア城周辺の下見へ向かった。

 その間、俺とフィリアはスイーツを買いに行っていたのだが。


「これ美味しいー!」


「声が大きい」


「こっちも美味しいー!」


「だから声が大きいって」


 緊張感の欠片もなかったが俺は内心で常に警戒していた。


 しかし、この5日間ルカの気配を全く感じなかったのだ。

 ラウナホール国の視察団もいつの間にか姿を消していた。


 まるで何事もなかったかのように、ロースベルクの街も普段通りの賑わいを取り戻している。


 ――だからこそ不安だった。

 不気味なほど静かすぎる。


 あのルカが何もしてこないはずがない。

 嫌な予感は日に日に大きくなっていった。


 そして、5日目の夜。

 俺たちはソーデリアの中で最も王都マチルダに近い宿へ集結していた。


 俺は全員を見回して言い放つ。


「今夜、いよいよエレーナ達を救出しに行く」


 全員の表情が引き締まった。


「この5日間の情報収集の結果、やはりガリア城の地下に囚われていることは確定のようだ」


 そしてリアラへ視線を向ける。


「侵入経路の方は?」


 リアラは地図を広げた。


「ガリア城の裏門から侵入できます。手前に城壁がありますが飛行魔法で越えられそうです」


「城を覆う結界についても解析済みです。ソックさんからいただいた簡易結界術式を発動すれば、一時的に気付かれることなく解除できます」


「城の中は私に任せろ、ソック」


 セレスティナが胸を叩く。


「騎士団の任務で何度かガリア城へ入ったことがある。内部構造は大体把握している」


「私は転移要員だよねー」


 フィリアがぶっきらぼうに言った。


「そうだ。だけど全員で脱出するためにはフィリアの転移が必要だ。ある意味、一番重要な役割かもしれない」


「ほんとー!?」


 フィリアの顔がぱっと明るくなる。

 俺は咳払いして静かに立ち上がった。

 胸の奥で緊張が高まっていく。


「……では、みんな行こう」


 全員が静かに頷いて宿を出た。俺たちは認識阻害の指輪を装着した。

 指輪のないリアラにはアンナが認識阻害魔法をかける。


 目指すは王都マチルダのガリア城ーー。

 エレーナ救出は、目前に迫っていた。

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