アンナのメイド道
――夜。
昼間は人で溢れていたロースベルクの噴水広場も、今は静寂に包まれていた。広場中央の噴水だけが、絶えず水音を響かせている。
その噴水近くのベンチに、アンナとセレスティナは並んで腰掛けていた。
無論、休憩しているわけではない。
待っているのだ。ソック・ブライドと、フィリア・ミズルを。
「遅いでふね。ソック様とフィリア嬢……」
「もふもふパンを頬張りながら喋るな」
セレスティナが呆れたように言う。
アンナはもぐもぐと口を動かしながら、手に持ったパンを見下ろした。
「いやほんと美味しいですよ、これ。結局いっぱい買ってしまいました」
「はあ……。ソックは主人なんでしょ? 心配じゃないの?」
「心配です。ですが、私はソック様を信頼しています。きっと何か策を練っているでしょう。――ところで、セレスティナ。メモは見ましたか?」
「――いや、まだ見ていない。そういえば、来なかったら2人で判断していいって言ってたよな?」
セレスティナは懐から折り畳まれた紙を取り出した。広げると、最後の数行に視線が止まる。
ーーーーー
もし僕が戻らないのであれば、それはラウナホール国の王女、ルカにつかまっている可能性が高い。
そしてラウナホール国の関連施設にとらわれている可能性がある。
――例えば、『大使館』とか。
ーーーーー
セレスティナとアンナは無言で顔を見合わせた。
「大使館……リアラさんが今とらわれている場所。そこにソック様たちもいる可能性――確かにあり得ますね」
「弟を救出したら、そのまま大使館も攻め込むか」
「そうですね。おそらくソック様はここには来ない。――いえ、来れない。とにかく私たちは大使館へ向かいましょう。移送のタイミングまで張り込みです」
2人はベンチから立ち上がった。
昼間の喧騒とは打って変わり、夜のロースベルクは静まり返っている。
遠くから聞こえるのは、酒場の笑い声と風の音くらいだった。
アンナとセレスティナはなるべく足音を殺しながら、大使館方面へ進んでいく。
そして数十分後。2人はラウナホール国大使館から少し離れた茂みの中へ身を潜めていた。
夜露で草が湿っており、地面は少し冷たい。
「アンナ。張り込み方法はどうする? 交代でやるか?」
「いえ、結構です。私、寝なくても平気ですから」
「そうなのか……。助かるな。私は……少し寝る」
セレスティナは大きなあくびをすると、荷物の中から毛布を取り出して身体へ巻き付けた。
アンナはじっとそれを見つめる。
「それ、昼間買ったやつですか?」
「ああ。結構あったかいと評判なんだ」
「なるほど。まあ、とりあえず寝ててください。私のお供は――もふもふパンです」
アンナはどこからともなく大量の袋を取り出した。
ざっと見ただけでも5袋はある。
「買いすぎでは?」
「非常食です」
即答だった。アンナはもふもふパンを頬張りながら、大使館を凝視する。
それから、約5時間。
いつの間にか空は白み始め、朝陽がゆっくりとロースベルクを照らし始めていた。セレスティナは毛布に包まったまま、すうすうと寝息を立てている。
だが、アンナは一度たりとも視線を逸らしていなかった。
そして――ついに動きがあった。
大使館の正門が開き、複数の黒フードを被った男たちと、1台の馬車が姿を現した。
男たちは周囲を警戒するように視線を巡らせながら、素早く馬車へ乗り込んでいく。
アンナの目が細まった。
次の瞬間、彼女はセレスティナの頬をむにっとつねる。
「…………んあ!?」
「セレスティナ、来ました。あの馬車ではないでしょうか?」
セレスティナは飛び起きると同時に、大使館前へ鋭い視線を向けた。
そしてすぐに、顔色が変わる。
「……間違いない。弟があの馬車にいる! 奴らめ!!」
おそらく魔力探知を使ったのだろう。
怒りによって、セレスティナの周囲へ熱気が漏れ出していた。
「決まりですね。じゃあ陣形はどうしま――」
「先手必勝に決まっている!!」
気付けばセレスティナは指輪を外し、既に剣を抜いて駆け出していた。
轟っっ――!!
剣へ凄まじい炎が纏わりつく。
アンナはその背中を見ながら、大きくため息をついた。
「はあ、まったく。猪突猛進ですこと」
そう言いながら、アンナも静かに指輪を外す。
その口元には、どこか楽しげな笑みが浮かんでいた。
「まあ、お見せしましょうか――私のメイド道を」
「弟を返せええええ!!」
セレスティナが怒声を響かせながら、一直線に馬車へ突撃していく。
轟っっ!!
剣へ纏わりついた炎が道を赤く染め上げた。
突然の襲撃に馬たちが激しく嘶く。
「ヒヒィィィン!!」
御者が慌てて手綱を引き、馬車が急停止した。
次の瞬間、馬車の扉が勢いよく開く。
中から複数の黒フードの男たちが飛び出してきた。
「何者だ!!」
怒号が飛ぶ。
だが、そのうちの1人がセレスティナの姿を見ると、口元を歪めた。
「――なるほど。これはこれはセレスティナ様。戻ってこられたのですね。これで探す手間が省けました」
男はゆっくりと黒フードを脱ぎ捨てる。
現れたのは、整えられた白髪を後ろへ流した老紳士だった。
深い青色のローブには波紋のような刺繍が刻まれており、周囲の空気には微かな湿気が漂っている。
その場に立っているだけで、水魔力が空気中へ滲み出していた。
足元には小さな水球が自然発生し、まるで生き物のように漂っている。
『水の大魔術師』――セバス。
「ほざけ!! 今度こそ貴様を倒す!」
セレスティナの剣へ纏う炎がさらに激しく燃え上がる。
地面を蹴り、一気に間合いを詰めた。
だが――。
「《ウォーター・ソード》」
セバスの前方へ、水で構成された透明な剣が生成される。
ギィィィン!!
セレスティナの斬撃は、まるで流されるように軽くいなされた。
「なっ――!」
さらにセバスは即座に追撃魔法を詠唱する。
「《ウォーター・スピア》」
複数の水槍が高速で射出された。
「くそっ……!!」
セレスティナは咄嗟に剣で防御するが、衝撃を殺しきれず、そのまま後方へ吹き飛ばされた。
「ふ。やはりあなた様では私に勝てませんね。それに『炎』では『水』に相性が悪い」
セバスは余裕すら感じさせる笑みを浮かべる。
「では――おとなしく捕まってもらいましょうか」
水の剣を振り上げた、その時だった。
「本当に――そうでしょうか?」
上空から声が響く。
ズドォォォン!!
セバスの足元から巨大な土槍が突き上がった。
「な……なんだ!?」
セバスは咄嗟に飛び退く。
その直後、セレスティナの隣へ、ふわりとメイド服のアンナが降り立つ。
彼女はセレスティナの耳元へ口を寄せる。
「好きに暴れていいですよ、セレスティナ。私が完璧にサポートしますから」
「ああ、そうさせてもらう!」
セレスティナが再び剣を握り直す。
その瞬間、違和感に気づいた。
――軽い。
身体が異様なほど軽かった。
力が内側から溢れてくる。
さらに剣へ纏っているのは炎だけではない。
土の魔力までもが複雑に絡み合っている。
まるで、自分の動きに世界そのものが噛み合っているような感覚。
全能感にも似た高揚が、セレスティナの全身を駆け巡っていた。
「行くぞおおお!!」
爆発的な速度でセレスティナが突撃する。
「なっ……!?」
セバスが目を見開いた。
先ほどまでとは比較にならない速度だった。
土の大精霊――アーセラ、否。アンナは単独でも当然強い。
大精霊なのだから。
だが、彼女がソック・ブライドの専属メイドとして培ってきた力は、単純な戦闘力ではない。
究極のサポート力。
すなわち――『真の気配り』だった。
メイドに求められる素養を常に研究してきたアンナにとって、大事なのは『先回りする』力だった。
それがアンナのメイド道。メイドたるもの、どんな人間にだって『あわせて』みせる!!
パンを奪った盗人を追い詰めるセレスティナを見た時から、アンナは既に分析を終えていた。
セレスティナの動きの癖、剣筋、魔法発動までの時間と練度ーー。
全てを頭の中でシミュレーションし続けていたのだ。
「くっ……! 《ウォーター・スピア》!!」
セバスが大量の水槍を生成するが、セレスティナは驚異的な速度でそれらを回避していく。
避けきれないものは、土の防護壁が弾いた。
完璧な援護に完璧な噛み合わせ。
そして――。
「吹き飛べええええ!!!」
炎と土を纏った一撃が、セバスへ直撃した。
轟音と共にセバスの身体が吹き飛ぶ。
「ば……かな……。ここまで、能力が向上するなんて……」
そのまま地面へ転がり、セバスは意識を失った。
気付けば周囲の黒フードたちも全員倒れていた。
どうやらアンナが片付けたらしい。
「ほんとにすごいのね。アンナ――さん」
「様をつけてください」
「それはなんか嫌だ」
「では、救出しましょう。早く大使館へ向かってソック様達がいるか確かめなければ」
「ああ、そうだな」
2人はすぐに馬車へ駆け寄った。
扉を開くと1人の少年が横たわっていた。赤みがかった茶髪。年齢は12歳前後だろうか。
まだ幼さの残る顔立ちをしているが、セレスティナとどこか目元が似ていた。
少年はぐったりとしているものの、胸は上下している。
「よかった……寝ているだけのようだ」
セレスティナは安堵したように呟き、そっとリアラを背負った。
アンナはすぐに周囲を見渡す。
「では、大使館へ」
2人は朝陽を背にして、大使館へ向かって駆け出していた。




