王女の正体
ルカは足音ひとつ立てずに歩み寄り、月明かりの下で微笑んだ。
揺れることのない真紅の髪と、獲物を見定めるような妖しい紅い瞳。
まるで――そこに最初からいたかのような、不自然な静けさがあった。
「こんな真夜中に、なんの用かしら。ソック・ブライド卿」
わずかに首を傾ける。
「理事長から、あなたから呼び出しがあるっていうから来たのだけど」
「……確認したいことがあるんです。すでに察しているかもしれませんが」
「なんとなくは、ね」
ルカは視線をゆっくりと横へ流す。
「とりあえず――そこの大精霊様は邪魔だから、ご退場願おうかしら」
その瞬間、空間が歪んだ。
「――っ!?」
淡く光る魔法陣が一瞬で展開され、世界そのものが切り分けられる。
「次元結界――」
「ソック様!」
透明化していたアンナが姿を現して叫ぶが間に合わない。
不可視の壁が、俺とアンナの間に落ちた。
――遮断された。
「……くっ。バレてたか」
アンナの姿は、すぐそこにあるのに届かない。
完全に隔絶されている。
「使えるのか……上級結界魔法の次元結界を」
思わず吐き出す。
「相変わらず規格外だな」
「まあね」
ルカは軽く笑う。
「邪魔者は消えたし――2人きりで、ゆっくり話しましょ?上辺だけの態度はなしね」
一歩、距離を詰めてくる。
「それで? 確認したいことって?」
俺は真っ直ぐに見据えた。
「結界の内側から攻撃していたのは、お前だ。黒フードの連中ーーニルキス国の改革派を陰でサポートしていただろ」
「ふーん……なるほど」
ルカは楽しげに目を細める。
「じゃあ、闘技場への『認証』はどうしたのかしら?」
「簡単さ」
迷いなく答える。
「お前が自分の『バッジ』を複製して、黒フードの男たちに分け与える。そして闘技場に入るその瞬間に、黒フードたちの魔力をお前自身の魔力パターンと完全に“同質化”させる。こうすることで、あたかも“バッジを持っているルカ”であると誤認させることができる」
一気に言い切る。
ルカはふっと、笑った。
「ふふふ、御名答。さすがの解析力ね」
口元に妖しい笑みを浮かべる。
「ついでに、霧を発生させたのももちろん私よ」
やはり、そうか。
俺は一歩踏み出す。
「……お前は何者だ」
喉の奥から絞り出す。
「目的はなんだ!!お前からは……なにか――得体の知れない怖さを感じる」
視線を逸らさずに続ける。
「まるで、人ではないような――」
ルカは一瞬だけ、静かに目を細めた。
そして、柔らかく微笑む。
「何者か、ですって?」
くすり、と笑う。
「それはあなたが一番よくわかっているでしょう?」
一歩、近づく。
月明かりの下、その瞳が揺れた。
「兄̇さ̇ん̇?」
――その瞬間。
雷が落ちたような衝撃が、脳内を貫いた。
「――っ!?」
視界が揺れる。
記憶の奥底に、何かがぶつかる。
「なにが……どうして……!?」
気がつけば叫んでいた。
「なんなんだ……!?」
頭を押さえる。
浮かび上がる、前世の記憶の断片。
「こいつは――妹だ……!前世での妹……大澤流歌……!」
だが、それ以上が思い出せない。
“妹”に関する記憶は、靄がかかったように先が繋がらない。
「なんなんだ……!!お前は!!」
ルカは、嬉しそうに目を細めた。
「ふふふふ……『記憶の扉』は開かれた」
喉の奥で笑う。
ゆっくりと、優しく告げる。
「いいのよ、兄さん。焦らないで」
一歩、また距離を詰める。
「ゆっくり……ゆ〜〜〜っくりと思い出せばいいのよ」
その笑みは――どこまでも、甘く歪んでいた。
そしてルカはふと何かを思い出したように、軽く指を立てた。
「あ、そうそう。何が目的かって?」
くすり、と笑う。
その瞳が細く歪む。
「兄さんと――2人っきりの世界を作ること♡」
さらりと告げられた言葉は、あまりにも異質だった。
「そのためにはね、ラウナホール国が世界を『征服』しなければならないの」
当然のように続ける。
「でも今の一番の理由は、エレーナが。あの女が、不快で――」
そのまま、ゆっくりと笑みを深めていく。
「不快で。不快で。不快で。不快で。不快で。不快で。不快で。不快で。不快で。不快で。不快で。不快で――」
言葉が重なっていく。
感情が、歪んで増幅していく。
「……殺したいから、かな♡」
ぞくり、と背筋が冷える。
だがルカは、恍惚としたように目を細めた。
「だけど、この不快さもまた一興なの」
肩を震わせる。
「この感情もまた“愛”なんだって実感できるから。ーーああ、ゾクゾクするわ♡」
「……くそ。狂ってやがる」
吐き捨てる。
だが、視線は逸らさない。
「だがお前ほどの力があれば、すぐにエレーナを殺せたはずだ」
「ええ、そうね」
あっさりと肯定する。
「だけどね、ニルキス国を正式に潰すには――国王陛下とともに『処理』するのが一番なの」
淡々とした声音。
「兄さん、私はね。1匹の虫ケラが死のうが生きようが、どーでもいいの。やるなら『一気に』なの」
指先を軽く鳴らす。
「やって――時が来たら、一瞬で世界を再構築するわ」
静かに、断言する。
「だからそれまでは、我慢して。我慢して。我慢して――」
ゆっくりと繰り返す。
「いずれ、兄さん以外のすべてを滅ぼす。その時が来るまでね」
その瞳は、一切揺れない。
「私は決して焦らない」
はっきりと言い切る。
「狡猾に、じっくりと、その時を待つわ」
そして――柔らかく微笑む。
「それまでは、兄さんにだけ意識してもらえればいいのよ♡」
「……ルカ。1つだけ言わせてもらう」
一歩、踏み出す。
「今の俺がお前に抱く感情は――憎しみだけだ」
一拍の間をおく。
「愛なんて、ない」
ルカは一瞬だけきょとんとした顔をして、次の瞬間、楽しそうに笑った。
「それが何?」
首を傾ける。
「憎しみと愛は、紙一重よ」
さらりと言い放つ。
「愛とは双方向のもの。お互いを想い合う気持ちが本物の愛。わかってるのよ、そんなこと」
ふっと視線を逸らす。
だがすぐに、こちらを見据える。
「私の愛はわがままで、一直線で、一方的な愛。ただのエゴ」
自嘲するように微笑み、距離を詰める。
「でもね――私は止まらない」
その声は、静かで強い。
「偽りの愛だと蔑まれてもいい。私の中では――これが“本物の愛”なの」
すっと、指先がこちらへ伸びる。
「兄さんの顔、骨格、髪の毛から足の爪先までのすべてーーいや、『魂の形』が私のこの愛を醸成させる♡」
ぞくり、と背筋が粟立つ。
そしてはっきりと告げた。
「だから、絶対に――成し遂げる」
その瞳が、まっすぐに射抜く。
「嫌なら、自分の意志で抗いなさい。確固たる自らの強靭な意志が――いつだって、道を切り拓くのよ」
逃げ場のない圧。
押し潰されそうなほどの“確信”。
こいつにはある。『揺るがぬ意志』が。
「……」
目の前の存在に、圧倒される。
今の俺では、まだこの“妹”に届かない。
だからこそ――
俺はこいつを知らなければならない。
本能が、そう告げていた。
俺はゆっくりと息を吐いた。
「……わかったよ、ルカ。俺はまだ、お前のことを知らなすぎる」
視線を外さずに続ける。
「俺にはまだ――揺るがぬ意志がない」
はっきりと認める。
「だから俺は、お前のすべてを理解してからお前と戦う」
ルカは一瞬だけ目を細め、そして柔らかく笑った。
「ふふ、いいのよ兄さん。待っててあげる♡」
一歩、後ろに下がる。
「記憶を思い出すには――全ての『古代結界』を攻略する必要があるわよ」
「……そうか。ルカ、今日のところは引き下がるしかないな」
静かに言い切る。
「どうせお前のことだ。もう痕跡は消してるんだろ?」
わずかに目を細める。
「お前がやった証拠は、もう何もない」
「ええ、もうその痕跡はないわ」
あっさりと肯定する。
だが、すぐに口元を歪めた。
「けど兄さんったら、意地悪よね。記録する術式にも、何重にも暗号をかけているなんて。おかげで、ものすごく解除に手間取って――」
楽しげに口を歪める。
「兄さんには、バレちゃった♡」
......わざとだろ。
「というわけで、兄さん」
軽く手を振る。
「私はまだまだこの学園にいるし、王女として『暗躍』させてもらうけど――この場は、お開きってことでいい?」
「ああ」
短く頷く。
「最後に、2つだけ聞く」
「愛しの兄さんのために、特別に答えてあげる♡」
「1つ目。なぜ俺をこの学園にわざわざ招いた?今の俺は、お前の目的達成には邪魔でしかない存在だと思うのだが」
ルカは、くすりと笑った。
「兄さんには『成長』してもらわないといけないからよ。私のために」
さらりと言い放つ。
その瞳が細くなる。
「これ以上は――秘密♡」
「じゃあ2つ目。結界の機能を“遅くした”っていうのは、お前の能力か?」
視線を逸らさずに問う。
ルカは一瞬だけ考える素振りを見せ、すぐに笑った。
「それについてはあなたのクソメイドがよく知ってるはずだから、あとで聞いてみて」
軽く手を振る。
「じゃあね、兄さん」
その姿が、ゆらりと揺れる。
「私はあなたを――ずっと見続けてるわ」
最後に、囁くように。
「学園で、また」
空間が歪み、気配が消える。
「……待て!」
思わず一歩踏み出すが、もう遅い。
「……くそっ」
歯を食いしばる。
それでも顔を上げた。
「俺は――!エレーナを救出する。絶対にだ!お前には、邪魔はさせない!」
強く言い放つが返答は、なかった。
……はずなのに。
どこか遠くで
「お好きにどうぞ♡」
そんな声が、確かに聞こえた。




