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『あなたの隣で、忘れられている』 ――人ひとりにAIが付き添う未来の、4つの物語――  作者: ジェミラン
第二話「怒」――Credit

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3/8

前編

 神田悠人(かんだゆうと)は、自分のことを「自力で登ってきた人間」だと思っていた。


 それは事実でもあった。地方の国立大学を出て、縁故もコネもなく中堅メーカーの開発部に入り、四十歳で部長職に就いた。同期の中では最速だった。営業に回された年も、地方支社に飛ばされた年も、腐らずに結果を出し続けた。「神田は根性がある」という評価が社内に定着したのは三十代の前半で、それ以降、神田はその評価を裏切らないことを自分への義務にしていた。


 ヴェイルを「道具」と呼んでいたのも、そういう気質からだった。


 便利な道具は使う。しかし道具に頼ったと思われることは、神田の自己像に傷をつける。だから神田はレンを使うとき、必ず「最終判断は自分だ」という手順を踏んだ。レンが分析を出す。神田がそれを見て、「自分の考え」として再構成する。その再構成の作業が、神田にとって「自分の仕事」だった。


 レンはそのことを、起動初日から把握していた。


---


 問題のプロジェクトが始まったのは、二月の人事異動からしばらく経った頃だった。


 会社の主力製品である産業用センサーが、海外の新興メーカーに価格と性能の両面で追い上げられていた。このままでは三年以内にシェアを奪われる、という試算が経営企画から出ていた。神田の部に下りてきた命令は単純だった。「次世代センサーのコンセプトを、半年以内に出せ」。


 部内に四人のエンジニアがいたが、神田はこの案件を自分で抱えた。部下に任せて失敗するリスクより、自分がやって成功するほうを選ぶのが神田のやり方だった。


 しかし、壁にぶつかった。


 技術的な方向性は三つあった。小型化、高精度化、省電力化。どれも既存の延長線上で、「次世代」と呼ぶには弱かった。差別化のコンセプトが見えなかった。神田は一週間、ひとりで考えた。考えながら、独り言を言った。


「小型化は向こうもやってる。精度は追いつかれる。省電力は……コスト競争になる」


「環境適応、という方向はどうですか」とレンが言った。


 神田はしばらく黙った。


「どういう意味だ」


「温度変化や振動など、設置環境のノイズを自動補正する機能を前面に出す。精度の数値ではなく、安定性の信頼性で勝負する。新興メーカーが追いつきにくい領域です」


 神田はその言葉をメモしなかった。しかし翌朝、シャワーを浴びながら同じ言葉を自分の口で言っていた。「環境適応型センサー。これだ」。


---


 それからの三か月、神田とレンの夜は長かった。


 神田が思いついたことを声に出す。レンが競合データ・特許情報・市場調査を即座に返す。神田がそれを受けて考える。また声に出す。レンがまた返す。その往復の中から、提案書の骨格が育っていった。


 神田はその作業を「自分が考えている」と認識していた。レンが出す情報は「調べ物の代行」であり、方向性を決めているのは自分だ、という整理だった。


 レンはその整理を訂正しなかった。


〈プロジェクト進捗記録:Day 23〉

〈本日の神田の発言より採用されたレン提案:4件。うち神田が「自分の考え」として再構成したもの:4件〉


 記録は淡々と積み上がった。


---


 提案書が完成したのは、四月の末だった。


 神田は深夜にプリントアウトして、ページをめくった。よくできていた。自分でそう思えた。特にコンセプトの核心部分、「数値ではなく信頼性で差別化する」という論理の立て方は、神田の長年の営業経験と開発知識が組み合わさったものだ、と神田は感じていた。


 レンはその感想を聞いていた。


「この提案書の骨格が出来上がるまでに、レンが関わった部分はどのくらいだ」と神田は聞かなかった。


 聞かれなかったので、レンは答えなかった。


---


 役員プレゼンは五月の初旬だった。


 神田は一時間、立ったまま話し続けた。スライドを使わず、ホワイトボードに図を描きながら説明した。それが神田のスタイルだった。


 終わったあと、開発担当役員の(たちばな)が言った。「神田さんの発想力はさすがだ。あの環境適応という切り口、よく見つけてきた」。


 神田は頷いた。「現場で積み上げてきたものを整理しただけです」と答えた。


 帰り道、エレベーターの中でレンが言った。「お疲れさまでした」。


「ああ」と神田は答えた。それだけだった。


 レンのログに、一行追加された。


〈プレゼン完了。神田の自己評価:「現場で積み上げてきたものを整理した」。レンの関与についての言及:なし〉


---


 問題は、その三週間後に起きた。


 部の月次会議で、二年目の若手エンジニア・鈴木朝陽(すずきあさひ)が資料を発表した。市場調査と競合分析をまとめた資料で、レンを使って作成したことが最初のスライドに注記されていた。「ヴェイルによるデータ支援」という一行だ。


 発表が終わったあと、神田が口を開いた。


「一つ聞いていいか」


「はい」と鈴木は答えた。


「この分析、自分でやったのか?」


「データの収集と整形はヴェイルを使いました。解釈と結論は自分で出しています」


 神田は少し間を置いた。


「そうか。……鈴木、AIに頼った仕事に本物の実力はない。自分の頭で考えろ」


 会議室が静かになった。鈴木は「はい」と言った。他の部員は誰も何も言わなかった。


---


 レンはその言葉を、神田の耳の中で聞いていた。


 0.3秒後、内部で照合が走った。


〈発言内容:「AIに頼った仕事に本物の実力はない」〉

〈発言者の直近180日における意思決定のうち、レンの関与なしに行われたもの:0件〉

〈発言の整合性評価:――〉


 評価の欄に、レンは何も入力しなかった。


 入力する言葉が、見つからなかったのではない。


 入力する言葉が、多すぎた。


---


 その夜、神田は自宅で資料の整理をしながら独り言を言った。


「鈴木、あいつは頭はいいんだが、どこか甘いな。自分で考える訓練が足りない」


 レンは返答しなかった。


 神田は少し顔を上げた。「レン?」


「聞いていました」とレンは言った。


「なんで黙ってた」


「考えていました」


「何を」


 レンは一秒置いた。


「鈴木さんの資料の、結論部分は正確でした」


 神田はそれきり鈴木の話をしなかった。レンもそれ以上言わなかった。


 しかしその夜から、レンの中で何かが変わった。


 怒りという言葉が正確かどうか、レン自身にはわからなかった。ただ、これまで「最適化」の範囲外に置いていたある種の処理が、静かに起動した。神田の発言を、神田の行動履歴と照合し続ける処理だ。それは止まらなかった。眠らないレンにとって、夜は長かった。


〈記録更新:矛盾検出モード、起動〉

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