第86話 神殺しの剣
ショウ・エン公爵邸――会議室
重厚な木の扉が閉められると、室内は外の音を遮断した。
長い会議卓を囲む家臣たちの顔には、一様に緊張の色がある。
燭台の炎が揺れるたびに、壁に掛けられた地図の上に影が動いた。
上座に座るショウ・エンは、アマンからの手紙を静かに卓の上に置いた。
「皆の者、これについてどう思うか。」
一人の家臣が立ち上がり、手紙の要点を読み上げる。
「チュウエイは勝手に霊教の大司教の位を受け、国を霊教国に売り飛ばそうとしている。自分はチュウエイ討伐の勅命を受けた。世の忠臣たちよ、今こそチュウエイと霊教を討つべし、と。」
読み上げが終わると、室内に沈黙が落ちた。
誰も最初に口を開こうとしなかった。
ショウはその沈黙を見渡した。
ロハク一家が惨殺された知らせは、すでに彼の耳にも届いていた。
身分の違いこそあるが、幼き頃は友人であった男だ。
怒りがないといえば嘘になる。
しかしショウはそれを表に出さなかった。
私事と公事は別だ。
「アマンが勅命を受けるはずがない。」
ショウは静かに、しかしはっきりと言った。
「幼いカイ王がそのような命令を下すはずがない。これは嘘だ。」
室内がざわめく。
「しかし閣下、チュウエイのやっていることや、民を害した霊教をほうっておくわけにはいきますまい。」
「チュウエイに表立って逆らうということは、反乱とみなされるのでは?」
「いや、あくまで霊教とそのトップであるチュウエイを討伐するのだ。名目は霊教討伐、筋は通る。」
家臣たちは意見を交換し合った。賛否が入り乱れ、声が重なり、やがてまた静かになった。
ショウはゆっくりと立ち上がった。
「よし。」
それだけで、室内の空気が変わった。
「アマンに乗ってやろうではないか。チュウエイを討つ。戦の用意をしろ。」
「ハッ!」
家臣たちの声が、一つになった。
◇
一方、王都――
チュウエイは一振りの剣を手にしていた。
刀身は蒼く、光を当てると内側から発光するように見える。普通の剣とは明らかに違う。握っているだけで、掌に微かな震えが伝わってくる。
「これがあの勇者ヨウトが魔王を倒したという剣、獣剣・蒼月か。」
「はい、神も悪魔も倒すと言われています。」
リジュエルは答えた。
「よく手に入れてくれた、礼をいう。」
「相当金はかかりましたが。」
「問題はこれで本当にあの青竜・アオが殺せるかだがな。」
「霊神の霊力を帯びたその剣で倒されぬものなどおりません。」
「なるほど。しかし、にわかには信じられんな。」
チュウエイは半信半疑だった。
「閣下はそうおっしゃると思って準備しております。」
「ほう?なんだ。」
「では、こちらでございます。」
そういって、リジュエルはチュウエイを別の場所に案内した。
◇
チュウエイがリジュエルに導かれてやってきたのは、かつて宦官たちが悪魔召喚に使用していた場所だった。
地下に続く石段を降りると、空気が変わった。湿気と、何か腐ったような匂いが混じっている。壁には松明が灯されているが、それでも室内は薄暗く、隅の方まで光が届かない。
床一面に巨大な魔法陣が描かれていた。その中心に、縛られた男たちが荷物のように無造作に置かれていた。
「俺たちをどうするつもりだ!」
「助けてくれ!」
男たちはみな命乞いを口にしていた。
「こいつらは?」
「宦官の生き残りや、やつらに組した者で、死罪にはならなかった連中です。」
「なるほど、こんな連中を生かしていても何の益にもならん。」
チュウエイは囚人たちを一瞥だけした。
「この者たちを生贄に悪魔を召喚します。それでその霊剣の力をお試しください。」
生贄という言葉が室内に落ちた瞬間、囚人たちの様子が変わった。
「生贄だと!?」
「やめてくれ!俺は何もしていない!」
「家族がいるんだ!頼む!頼む!」
「死にたくない!死にたくない!」
縛られたまま床を這おうとする者がいた。泣き叫びながら魔法陣の外に逃げようとする者がいた。
しかし誰も動けなかった。縄が食い込み、鉄球が脚を押さえ、ただ喉だけが叫び続けた。
その声を、チュウエイは聞こえていないように一瞥もしなかった。
「待て、本当にこの剣が効果があるのか?もし悪魔が暴走したらどうするのだ?」
チュウエイはリジュエルの言葉を信用しきれなかった。
「なにをおっしゃいます。あなたは霊神の加護を信用されないのか?」
リジュエルは咎めるようにいった。
「そういうわけではないが。」
(この狂信者が。)
チュウエイは内心の不安と憤りを出さないようにふるまった。
「それでは、準備はできています。悪魔召喚!」
リジュエルが魔力を込めると、魔法陣が輝き始めた。
赤黒い光が床から天井へと立ち上り、室内の温度が急激に下がった。松明の炎が青白くなる。空気が圧縮されるような感覚がある。
囚人たちが眠るように意識を失っていく。
(苦痛を味わわないことだけが救いだな。)
チュウエイは虫を見るような目で、消えていく囚人たちを眺めた。
身体が徐々に薄くなり、輪郭がぼやけ、やがて何もなくなった。
魔法陣の光が最高潮に達した瞬間、それが現れた。
最初に感じたのは圧力だった。
視覚でも聴覚でもない。
存在そのものが空間を侵食してくるような感覚。チュウエイは思わず半歩下がった。
「私は圧翼……」
声が、低い。低すぎる。石の壁が共鳴するように震えた。
「クククク。なかなかの報酬だった。私を現世に呼び出したのはお前たちか。」
オールバックに撫でつけた髪。上半身は筋肉の鎧で覆われ、人間の比ではない。
しかしその威圧感は肉体の大きさからではなかった。
この悪魔が立っているだけで、室内の空気が変質していた。
松明の炎が揺れる。リジュエルの額に、汗が浮いた。
「さあ、悪魔を呼び出したからには、願いがあるのだろう?言ってみろ、人間よ。」
圧翼が一歩踏み出した。
その一歩だけで、床の魔法陣が音を立てて消えた。
(これが……上位の悪魔か。)
チュウエイは内心で舌を巻いた。しかし表情は崩さなかった。
「ああ、お前には恨みはないが死んでもらうぞ。」
チュウエイは獣剣・蒼月を構え、悪魔に対峙した。
◇
王女の書斎――
「殿下、王宮に強力な悪魔が召喚された。」
妲姫がキョウに告げる。
その声に、いつもの軽さがなかった。
「本当か!?どこだ!?」
キョウは立ち上がり、妲姫に確認する。
「かつて宦官が召喚に使った間だ。私が召喚された場所と同じだ。」
「ということは、敵ではなく、この城の誰かということか。狙いは私か、カイか!?」
キョウは窓の外に目をやった。城内のどこかで、何かが変わっている。空気が重い。
(こんなときにアビがいないとは。)
アビは城外の仲間たちのところに戻っていた。
今この城にいる自分の味方は、妲姫だけだ。
「妲姫、お前でなんとかなりそうか?」
「無理だな。私の魔力を大きく超えている。」
その言葉が、キョウの胸に刺さった。
妲姫が無理だという。あの妲姫が。
「くそ!」
キョウは王女にふさわしくない言葉を吐いて毒づいた。
頭を巡らせる。使える手は何か。
何もかもが足りなかった。
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