第245話 降伏/ラーメン
夜――。
「閣下、シエンと名乗る男が降伏を申し入れ、身一つで現れました」
天幕の入り口で、側近のエイサイが静かに報告を入れた。
「何……? シエンだと。……通せ」
(シエンか……)
かつての友
そのなつかしい名を聞き、アマンはふと過去の記憶を脳裏に巡らせた。
(今更、何を言いに来たというのだ)
やがて、厳重な警護の衛兵に前後を挟まれ、シエンが天幕の中へと連行されてきた。
「シエンか。久しいな。息災だったか?」
アマンは床几にどっかと腰掛けたまま、眼前の男を冷淡に出迎えた。
「ああ、アマン殿……。だが、生憎と今日は旧交を温めに来たわけではない」
「それはそうだろうな。……この期に及んで、命乞いの降伏でもしに来たか?」
軍略机に肘をつき、頬を乗せたアマンは意地悪な嘲笑を浮かべた。
「……いや、それどころではない。極めて緊急を要する用件で参上した」
「ほう……? 緊急の用件、とは?」
「異世界の破壊兵器――『核兵器』という存在を耳にしたことはあるか?」
「何……? 核兵器だと……!?」
アマンの顔から一瞬にして余裕が消え去り、色が失われた。
(……良し)
シエンは内心で確かな手応えを感じ取ったが、それを一切表情には出さず、不気味な静寂を保った。
「ショウ様……いや、ショウが姒鯀と名乗る奇妙な男から、その核兵器を受け取ったのだ」
「何だと……!?」
「ショウの狙いは明白。貴殿の軍勢が追撃のため陣地へと踏み込んだ瞬間を見計らい、自身は安全な後方へ避難した上で起爆させるつもりなのだ」
アマンは言葉を失い、沈黙した。
(……果たして、この男の言葉のどこまでが真実で、どこからが虚飾なのか)
アマンはシエンの言う全てを真に受けるほど甘くはなかった。 しかし、その全てが虚妄であるとも思えなかった。
確かな真実の中に、巧妙な嘘が織り交ぜられているのだ。
(恐らく、姒鯀という男が核兵器を持ち込んだ……という事実までは真実だろう。だが、その後のショウの動向に関しては、全て疑ってかかるべきだな)
「その姒鯀とショウのやり取り……事細かに話してもらおうか」
「承知した」
シエンは事の経緯を、淡々と事細かに語って聞かせた。
「……なるほど。起動には二人同時に魔力を注ぎ込む必要がある、か」
アマンは数秒間、思索を巡らせながらトントンと指先で机を叩いた。
「相分かった。シエン、重厚な情報を感謝する。まずはここまでご苦労であったな、ゆっくりと身体を休めよ。……誰か、シエンを案内しろ。くれぐれも丁重にな」
衛兵に伴われ、シエンは恭しく一礼して天幕を後を開けた。
「閣下……」
足音が闇の中へ消えていくのを見届けると、エイサイが静かに口を開いた。
「あの男の言を信じられるのですか?」
「フッ……一部だけな。少なくとも、姒鯀が核兵器を持ち込んだという点までは真実だろう。だが、それ以外は全て怪しいな」
「と、おっしゃいますと……?」
「奴の言う筋書きが全て事実なら、ショウは核をどこかに埋めて撤退し、我が軍が陣へ入った絶妙なタイミングで起爆すれば良いだけの話。そうなればシエンにとっても最も都合が良いはずだ。わざわざ私に降伏して内通する意味など無い。にもかかわらずここへ来たということは……そのシナリオ自体が嘘なのだよ」
「なるほど……!」
「ショウの性格だ。姒鯀から核の使用を提案され、激昂して即座に突っぱねた可能性が高い。そして……むしろその核を使用すべきだと強く進言したのは、あのシエン自身だったのではないか?」
「えっ……? どういうことでございますか」
「そしてショウはその愚行を断固拒絶した。それでシエンはショウの敗北を確信し、私のもとへ逃げ込んできた……。こちらの方が遥かに筋が通る」
「なるほど! では……核が使われる懸念は無いと?」
「いや……そもそも姒鯀が語った『起爆には二人の魔力が必要』という条件そのものが罠である可能性が高い。それが真っ赤な嘘で、姒鯀が己の意志で任意に起爆できるとすればどうだ?」
「あっ……!」
エイサイは驚愕のあまり目を見開いた。
「我が軍が追撃のために陣へ足を踏み入れた瞬間を狙って起爆されれば……私もショウも、それどころかあの魔王の手下どもさえも一網打尽に抹殺できる。それこそが、あの姒鯀という男の真の狙いではないか?」
「では……いかに処すべきでしょうか!?」
「極秘裏にアビの仲間のもとへ使いを立て、この狂気の策を報せよ。……こればかりは、神の力を頼らざるを得ん」
「かしこまりました。……時に、あのシエンという男はどう処理いたしますか?」
「まずは働いてもらうさ。奴の告発に偽りが無ければそれで良し。もし嘘を吐いていたならば……相応の責任を身をもって取らせるまでのこと」
アマンは眼前の軍略図に視線を移し、次なる戦局を見据えた着手を開始した。
◇
一方その頃――クロとリユウ率いる隊勢は、近隣の地下宿場町にて束の間の休息を甘受していた。
「このような場所に、これほど賑やかな街が存在したとは……」
リユウは驚嘆の眼差しで辺りを見回した。
そこは地底深く掘り進められた、小人族たちが治める地下都市であった。
飛び交うのは魔族や獣人たちの熱気あふれる声であり、人間の姿はごく稀である。
「お待たせしましたー!」
威勢の良い掛け声と共に、テーブルへ湯気と芳醇な香気を放つ大鉢が並べられた。
「こ、これは一体……?」
リユウとジョイエルは、珍しそうに大鉢の中身を覗き込む。
「これは異世界の極上な名物料理でね。『ラーメン』というらしいよ。とにかく悪魔的なまでに美味いんだ! 四の五の言わずに食べてみなよ」
クロは艶やかな長い黒髪を後ろでサッと纏め上げると、豪快に麺をすすり上げた。
「……では、頂きます」
ジョイエルとリユウもそれに倣い、互いの髪を丁寧に束ねる。
「……ッ!? う、美味いッ!!」
「な、何だこの濃厚な旨味の塊は……!?」
周りの兵士たちから、一斉に歓喜と不覚の叫びが上がる!
「おいしい……っ」
リユウもあまりの衝撃に、思わず吐息を漏らした。
「こ、これはもしや……一口食べたら抜け出せなくなる禁断の毒薬でも仕込まれているのでは意図的ですか!?」
そう口では戦慄しつつも、ジョイエルの箸を動かす手は一切止まらない。
「これは『豚骨醤油』という味付けでね。ここの顔役が異世界人でさ、様々なラーメン屋同士を競わせて切磋琢磨させているんだよ」
「ここ最近はずっと味気ない保存食ばかりでしたから……なおさら腹にしみ渡ります……!」
リユウはあっという間に一杯目を平らげると、迷わず二杯目の追加注文を給仕へ通した。
「あー、ちょうど良かった。君たちに伝えておくべき重要な情報があったんだ」
クロは香ばしい焼き色のついた餃子の皿を、リユウの元へスッと押しやった。
勧められるがままに、リユウは焼き立ての餃子を一つ口へ運ぶ。
――そして、訪れる至高の沈黙。
「……これも……なんて幸福な味がするのかしら……っ! 私もジョイエルのように、今すぐクロ様を神として崇め奉りましょうかしら……っ!」
リユウは感極まって瞳を潤ませながら、二つ目の餃子へと手を伸ばした。
その光景を見た兵士たちも、雪崩を打つように「餃子を追加でくれ!」と叫び始める。
「君たちが捜しているジョカエルだけどさ、ハクの居城へやって来たらしいよ」
クロはキンキンに冷えたビールのジョッキを傾けながら、至極あっけらかんと告げた。
「え……!? ジョカエル様が……!?」
リユウの箸がピタリと止まった。
「うん。自分の腕試しに殴り込んできたみたいだね」
「で、では……カイ陛下は!? 陛下はいらっしゃるのですか!?」
「いやー、そこまでの詳細は聞いてないけどさ。ハクの街ならここから目と鼻の先だよ。一日も歩けば着く。今日はここに一泊して、明日あたりに出発するかい?」
「いいえ! 今すぐ向かいます!! ……あと一杯だけ食べてからッ!」
リユウは目を血走らせ、給仕に向かって三杯目のラーメンを叫ぶように注文するのだった。
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