第243話 悪魔の囁き/ジョカエルとハク
「兵糧庫が焼き尽くされただと……!?」
届いた一報に、ショウの全身を激しい戦慄が駆け抜けた。
「愚かな! アマンはほぼ全軍をこの正面に集結させているはず! それに……ウキョウは! ウキョウはどうしたのだ!? 防衛には十分すぎるほどの兵を配置していたはずだぞ!」
ショウは机を激しく蹴り飛ばして立ち上がり、報せを持参した兵の胸ぐらを掴みかねない勢いで詰め寄った。
「わかりかねます……! 兵糧庫は跡形もなく業火に呑み込まれ、煙と化しておりました。兵たちが交戦したような痕跡すら残っておらず……」
兵は恐怖に体を震わせ、ショウの激怒した表情を見ないよう、額を固い地面にこすりつけた。怒りの矛先が自身に向かわぬことだけを、ただひたすらに祈っていた。
「閣下……こうしてはおられませぬ。兵糧を失った以上、一刻も早く軍を撤退させるほかございません……!」
魔道士シエンが声を震わせながら進言した。。
「この私が……栄高きエン家が敗北するというのか!? 十倍もの圧倒的兵力を擁しながら……神の絶大な加護を得たこの私がか――ッ!」
「まだ……終わってはいないよ」
重苦しい幕舎の中に、聞き覚えのない冷徹な声が低く響き渡った。
どこから侵入したのか、漆黒のローブを纏い、顔を不気味な仮面で覆った男が、いつの間にか帳の陰に佇んでいた。
「何者だッ!?」
ショウの近衛兵たちが刃を抜き、疾風のごとく男を取り押さえに飛びかかる。
しかし男は一切の予備動作なく、襲い来る護衛たちをただの素手で、玩具のように一瞬で叩き伏せた。
「おのれ……!」
コウが凄絶な気迫で剣を抜き放ち、ショウを庇うように立ち塞がる。
「落ち着け」
仮面の男は静かに片手を掲げ、その場の狂気を制した。
「俺は姒鯀という者だ。四神や四凶どもに……少々借りがあってね」
「姒鯀……だと!?」
ショウはその不吉な名を、かつてクロから聞き及んでいた。この世界で最も危険な忌むべき存在として。
「この戦いは不公平が過ぎる。裏で玄武竜、青竜……さらには究姫やあの凍子までもが意のままに動いている。ショウよ、お前も気づいていたはずだ。凍子の撒き散らす不快な気配に。奴は目と鼻の先にいる。だから……俺も長居はできん」
「あ、あの不気味で恐ろしい気配は……凍子なる者のものだったのか!? 道理で……!」
「四霊はお前に神器を授けたようだが、それでもまだ不公平だ。だから俺も、お前にこれを授けてやろう」
姒鯀が何もない虚空へ手をかざすと、空間が歪み、大人が抱えるほどの巨大な異形の大卵が忽然と姿を現した。
「こ、これは……まさか……!?」
ショウの顔面から一瞬で血の気が引いた。
「そうだ。異世界の理が生み出した兵器――『核兵器』だ。以前使われたものよりは小型だが、アマンの兵勢を跡形もなく爆砕するには余り有る威力だ」
「ふざけるな……! このような忌まわしい狂気の産物、使えるはずがなかろう!」
「そうだな。お前の言うことは至極正論だ。だが……このままではお前の完全な敗北だぞ?」
姒鯀は淡々と語りながら二つの革鞄を取り出し、その一つを開いてみせた。 中には、鈍い光を放つ鉱石のような物体が埋め込まれている。
「爆破の条件は至って単純だ。この二つの鞄に埋め込まれた石へ、同時にほんの僅かな火の魔力を注ぎ込む。それだけで起動する。距離など無関係だ。ここにいる者なら誰でも……それこそ魔力のない庶民でさえ起動できる。誤爆を防ぐため、鞄同士を密着させて並べ、二人同時に魔力を込める必要があるが……手間はそれだけだ。これこそが、あらゆる不平等を覆す『公平な力』だよ」
「何もしなければ、これ自体から魔力が漏れ出すことはほぼ無い。故に、四神の魔力感知すらこれを捉えることは困難だろう。兵を無事に撤退させた後、使うか使わないかはお前が決めろ」
姒鯀はそれだけを言い残すと、躊躇なく踵を返した。
「待てッ! お前の真の狙いは何だ!? 一体何のためにこのようなものを寄越す!?」
ショウの悲痛な叫びが、男の背中に叩きつけられる。
「力ある者どもによって支配される世界など……不平等極まりないだろう? これさえあれば、流石のあの魔王アビの手下どもとてタダでは済むまい。俺は……奴らに一泡吹かせてやりたいだけさ」
「魔王の手下だと……!? あの魔人たちはやはりアビの手先だったのか!? アマンは裏で魔王と内通していたのか!?」
「さあな……そこまでは知らん」
姒鯀は嘲笑うように肩をすくめた。
「だが、あの連中が魔王の手先であることだけは紛れもない事実だ。少なくとも、俺はお前の敵ではないし、あいつらがどうなろうと知ったことではない。……それ以上問答をしている時間はないな。凍子あたりが気まぐれにここを覗き見るだけで、俺すら殺されかねん。ではな。幸運を祈るよ」
次の瞬間、姒鯀の気配は空気へと溶けるように消え去っていた。 静まり返った幕舎の床には、異形の卵と二つの鞄だけが重々しく取り残されていた。
◇
「アマン殿、言われた仕事は完遂したぞ」
徐姫はただ一人、アマンの張る本陣の幕舎内へと煙のように姿を現した。
「ご苦労であった。約束の報酬だ」
アマンは自ら、傍らに置かれていた暗幕を引き払った。 そこに積まれた眩い金貨の山が、ランプの揺らめく灯火を反射して怪しく煌めく。
「ほう……話が早くて助かるのう」
徐姫は金貨を一枚指先でつまみ上げ、その本物たる質感を確かめる。
「それよりも徐姫よ。どうだ、正式に私の陣営へ仕えてみる気はないか?」
「フフフ……魅力的な打診じゃな。じゃが……妾が人間で主と仰ぐのは、ただ一人と決めておるのじゃ」
指先で金貨を軽やかに弾き飛ばしながら、徐姫はどこか哀愁を帯びた眼差しで伏し目になった。
「……ロフのことか」
「そうじゃな。まあ、時が流れれば心変わりもするかもしれぬが、今のところは気ままな放浪の身が肌に合っておる。安心するがよい、流石にショウと契約を結ぶような真似はせぬ。……だがアマン殿、アビとだけは絶対に敵対なさるなよ?」
「……なぜだ?」
「なぜ、とな? 妾の真の主は究姫様じゃ。そして究姫様は、あの女をえらくお気に入りのご様子での。あの方の意に背くなど、流石の妾とて出来ぬわ」
「ということは……アビに仕える可能性はあるということか?」
「絶対無いとは言わぬが、あの方は妾にそこまでの強制はなさらんよ」
徐姫は金貨を『野槌』で吸込と、滑らかな動作で背を向けた。
「これからどこへ向かう気だ?」
「とりあえずは霊都の歓楽街で酒でも呑みながら……ロフの奴の墓参りでもしてくるとしよう」
「面白いな。悪魔であっても墓参りなどという真似をするのか」
徐姫は足を止め、振り返って不敵に微笑んだ。
「人間の魂というものは、我ら精神体とは異なり、消滅しない限りは混迷なる混沌へと還るのじゃ。そして巡り巡って、別の存在へと再生される。そういう意味では、人の魂も自我の連続性がないだけで不滅と言えるな。そして……死した場所や墓には、その魂の強い残滓が留まる。ロフの魂も、まだあそこに残っておる」
「それは興味深い。人は死せばすべて終わり、というわけではないのだな」
「終わりではない。その魂のエネルギーは次の生命へと受け継がれ……我ら精神体はそれを喰らって糧とする。あのアビとやらもそうじゃ。それをスキルとして昇華させておる。あれは……強大じゃぞ」
「……敵にならないことを切に願うよ」
帳がゆらりと揺れ、徐姫の存在感は完全に消失した。 アマンは広げられた軍略図へと視線を落とし、兵糧を失い窮地に陥ったショウの軍勢を追い詰めるべく、追撃の手配を開始した。
◇
私はスマホの画面越しに、ヨクトへ詰め寄った。
「華侯姫と結婚することになったぁ!?」
「ま、まあ……戦場のノリというか、流れでそうなっちまったというか……」
画面の中のヨクトは気まずそうに目を泳がせ、ボリボリと頭を掻いていた。
「ひどい! 私とのあの情熱的な夜はただの遊びだったのね!?」
「遊びに決まってんだろ!!」
まあ、言われてみればぐうの音も出ない正論なのですが。
「陛下、よろしいでしょうか?」
ヨクトの肩越しから、神聖な白い翼の端が覗いた。華侯姫だ。
「ヨクトと結婚するなら、あなたも私の義妹みたいなものだし、今まで通り名前で呼んでいいわよ」
「では……アビ様。ひとつだけお願いがございます」
「何かしら?」
「ヨクト様が魔族へ転生することをお許しください」
「ちょっと待てぇ!!」
画面が激しくブレた。ヨクトが必死でスマホを分捕ろうとしたらしい。
「人間のままでしたら、ヨクト様はすぐに年老いて死んでしまうではありませんか!」
「俺はそれで満足なんだよ!!」
「まあまあ、その件については後でじっくり二人で話し合って。今は戦の真っ最中なんだから。……ガリョウ、両軍の動きはどう?」
私は隣で複数のモニターを鋭く凝視しているガリョウへ確認を入れた。
「詳細な意図は不明ですが、ショウの本陣に幹部たちが頻繁に出入りしております。近いうちに大きな動きがあるかと」
ガリョウは視線をモニターから外さずに淡々と報告する。
「無理は禁物よ。ショウを討ち取ること自体が目的じゃないんだから。危なくなったら……ううん、そうなる前に即座に撤退しなさい」
私はヨクトやビゼンたちに向けて釘を刺した。
◇
ショウの陣営から少し離れた漆黒の暗がり――。
「うまく……事は運んだか? 姒鯀」
岩陰から、溢れんばかりの威圧感を放つ大柄なダークエルフがぬっと姿を現した。
「驩兜か……わざわざお前まで見物に来たのか」
「ああ、俺も久々に暴れ回ってやろうと思ってな」
「やめておけ。戦の決着自体はすでに付いた。もうすぐ終わる」
「例の『兵器』はどうだ? ショウの奴は使いそうか?」
「さあな。だが、奴は受け取った。それが全てだ。仮に奴が使わなくとも、俺が魔力を注ぎ込めば一瞬で起爆する。巻き添えになる訳にはいかん、遠くへ離れるぞ」
「今のアンタの力でも防げないの……?」
いつの間にか存在していたのか、ダークエルフの女が姒鯀の背後からひょっこりと顔を出した。
「混々(コンコン)か……。驩兜、なぜこの女まで連れてきた?」
「いや……止めたんだが、面白がってついてきやがってな」
驩兜は気まずそうに頭を掻いた。
「しかし……人間という種族はこんなにもウジャウジャいるんだねぇ。私たちより遥かに寿命が短いというのに」
混々は、ショウの陣営を埋め尽くす無数の篝火の群れを不気味に眺めた。
「俺たちが子を残さなすぎるのだ。このままでは俺たちの方が滅びかねん。……そんなことより、ここを離れるぞ。間もなくショウはこの地を捨てる。そうなればアマンの軍勢が雪崩れ込んでくるはずだ。それを合図に核を起爆させる。そうなれば……魔王の手下どももまとめて終わりだ」
「もし……ショウが核を携えて撤退した場合は?」
驩兜が太い腕を組んで尋ねる。
「ショウを持ち去らせた場合はショウに死んでもらい、アマンを勝たせる。そしてアマンに魔王アビを討たせる。逆にショウが核を置いて逃げた場合はアマンを全滅させ、ショウに魔王アビを打倒させる。その後に……お前たちが魔王の座を目指せばいい。こんな茶番は終わりだ」
「あんた……本当に恐ろしい男だねぇ」
混々は自身の体を抱きかかえ、ゾクゾクとした歓喜に身を震わせた。
「とにかく、すぐにこの場を去るぞ。凍子に見つかれば元も子もない」
三つの漆黒の影は、静寂の闇の中へと溶けるように消え去った。
◇
はるか西方――。
ジョカエルと魔王ハクは、広大な闘技場の中央で対峙していた。 観客の歓声はない。 存在するのは、魔王ハクの配下と弟子、そしてジョカエルの付き人であるリジュエルのみ。
「さあ……どこからでもかかって来い」
ハクは両腕をだらりと下げ、一切の構えすら取らない。
(やはり……解析不能。神の神聖なる領域はコピー不可か)
(ならば――!)
ジョカエルは全身の魔力を凄絶に練り上げた。
「穿て! 【銃魔】――ッ!」
背後に現れた翼を持つ幾重もの砲身が、宙を狂おしく舞う。 武術大会で獲得したスキルであったが、極めて高い威力を誇り、ジョカエルが重宝している全方位攻撃だ。
ドォンッ!!
瞬間、ハクの足元の頑丈な石畳が大爆発を起こして炸裂した。
間髪を容れず、ジョカエルの殺意が追撃を放つ。
【邀撃牙】!
空間の裂け目から巨大な魔力の牙が突如として出現し、ハクの肉体へと襲いかかる。 しかしハクは意にも介さず、肉を深く引き裂かれながらも凄まじい脚力で間合いを強引に詰め、疾風の一撃――正拳を繰り出した!
『四霊法術・コード・霊亀』!
ジョカエルの眼前へ瞬時に多層の絶対防衛シールドが展開される。
しかし――ハクの解き放った正拳は、防壁ごと空間を破砕して突き抜けてきた!
(殺られる――!?)
覚悟を決めたその瞬間、ジョカエルの眼前数ミリの地点で、ハクの拳がピタリと停止した。 凄まじい拳圧の風速だけで、ジョカエルの髪が激しく跳ね上がる。
(寸止め……!?)
「まず一本……だな。まだやるか?」
ハクはゆっくりと拳を引き戻した。
「……ずいぶんと、お優しいのですね」
ジョカエルは優美なドレスを脱ぎ捨て、しなやかな戦闘服姿へと変貌を遂げた。
そして、腰から一筋の小太刀を抜き放つ。
(『霊刀・虚』……霊神様より賜りし神器。どこまでこの神に通じるか!)
神器の覚醒に伴い、ジョカエルの魔力が跳ね上がっていく。
(感じる……わずかだが、ハクの魔力の底を……!)
(しかし……これは……!?)
(強大…… だが――)
そこでジョカエルは、ある驚愕の真実に気がついた。
ハクは今、自身の魔力出力を『ジョカエルと全く同等』にまで意図的に引き下げているのだ。
そしてその魔力の全量を、極めて基礎的な身体強化と術式のみへ集中させている。
(なるほど……。この状態のあなたに勝利できれば、私は己の限界を完全に突破できるということね……!)
ジョカエルは『霊刀・虚』に全身全霊の魔力を注ぎ込んだ。
「私は――限界を超えてみせる!」
ジョカエルは全身を眩い極光の輝きで包み込み、絶対の神へ向けて果敢に躍り出た。
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