第241話 悪魔は死なない
「オオオオオオッ!」
ヨクトが天を突く雄たけびを上げた。
ただその一声のみで、彼を中心とした半径二〇〇から三〇〇メートルのエリアにいたショウの兵たちの九割が、【豪傑覇気】の圧倒的な圧力に当てられ、白目を剥いて次々と気絶していった。
「行くぞ! 突撃――ッ!」
波を打つように昏倒していく敵陣へ、リョーカ率いる部隊が一気にとなだれ込む。
ヨクトが先頭を切って駆け抜けるだけで敵兵はバタバタと倒れ伏し、どうにか覇気に耐えきったショウの兵たちも、転倒した味方の下敷きとなって次々と戦闘不能に追い込まれていった。
だが――気絶して意識を失った兵たちは、まだ幸運だったと言える。
天空に漆黒の翼が舞い踊った。
華侯姫が悠然と宙を飛翔し、未だ意識を保つ手負いの兵たちを狙い澄まし、『黒羽の魔弾』で容赦なく打ち抜いていく。
そして、命を刈り取られた兵たちの魂を、華侯姫は心底愛おしそうに口元へ吸い寄せて食らっていった。
(おのれ……悪魔め……!)
ショウはその凄惨な光景を、本陣の最前線から魔力感知で正確に捕捉していた。
華侯姫は意識のある兵だけを冷酷に選別し、魔弾で射殺してはその魂を喰らっている。
ショウは激甚な怒りを込め、宝弓『美静弓・魔姫』を華侯姫に向けて極限まで引き絞る。
依然として、戦場のどこかから放たれる底知れぬ恐ろしい魔力は肌を刺していた。
しかし不思議なことに、その圧倒的な存在にはこちらを攻撃する意志が感じられない。その気になれば、いつでも陣営ごと全滅させられるはずなのだ。
ショウは思考を切り替え、標的を惨劇を撒き散らす悪魔――華侯姫一羽に絞り込んだ。
(!?)
天空を舞う華侯姫は、自身に向けられた刺すような魔力感知の存在に気づいた。
「あそこか――ッ!」
【黒羽の魔弾】!
華侯姫は漆黒の翼を大きく広げ、ショウの本陣に向けて魔弾の雨を乱射した。
(この常識外れの遠距離から反撃してくるというのか!?)
あまりの反応速度に、ショウの集中力が一瞬途切れる。
ショウは即座に兵たちへ怒号を飛ばした。
「伏せろ! 結界を張れ――ッ!」
直後、頭上から黒い魔弾の豪雨が降り注ぎ、結界の隙間で兵たちの悲鳴が跳ね上がった。
一方、ショウの手から解き放たれた極光の矢は華侯姫の防護結界を容易く貫通し、その胸を深々と穿っていた。
華侯姫は糸が切れた人形のように天空から急降下していく。
「華侯姫――ッ!」
ヨクトは落下地点へ一撃で疾走し、落ちてくる華侯姫を力強く抱き留めた。
「私は……もうダメです……」
華侯姫は儚げでか細い声を漏らし、震える手でヨクトの手を握りしめた。
「何言っていやがる! こんな傷、すぐに治るだろ! お前は悪魔なんだろ!?」
「ええ……悪魔です……。だからこそ、四霊の聖なる力が私の精神体を深く打ち抜いたのです……。今まで……ありがとうございました……」
「馬鹿野郎! 何を縁起でもないこと言ってんだ! そうだ、凍子様に頼めばこんな傷一発で……!」
「ヨクト様……もし……私が……奇跡的に戻れたら……私と……一緒になってくださいますか……?」
「ああ、分かった! だから戻ってこい! 頼むから帰ってこい!」
ヨクトは握りしめた華侯姫の手へ切実に力を込めた。
「……嬉しい」
その瞬間、華侯姫の腕からだらりと力が抜け落ちた。
「は、華侯姫えええええええッ!!」
ヨクトは天を仰ぎ、魂の叫びを上げた。
その時――静かに凍子が舞い降りた。
「凍子様! あんたなら……あんたなら、こいつを助けられるだろ!?」
ヨクトは縋りつくように凍子へ叫ぶ。
「いや、無理だよ。私には」
凍子は感情の窺えない無表情で淡々と告げた。
「くそっ……!」
ヨクトは動かなくなった華侯姫の体を強く抱きしめる。
「――この子、死んだふりをしてるだけだからね。いい加減にしときなよ」
凍子は呆れたように呟くと、華侯姫の胸へ貫手(手刀)を突きたてようとした。
「きゃあああああっ!?」
胸に矢が刺さったまま、華侯姫は跳ね起きるように跳び上がった。
「何するんですか! 本当に死んだらどうするんですか!?」
「こんな魔力の切れた矢で悪魔が死ぬわけないでしょ」
凍子はツカツカと歩み寄ると、華侯姫の胸から刺さっていた矢を無造作に引き抜いた。
「たぶん、この子が魔弾で反撃したから、ショウが威力を維持できずに魔力を弱めたね。ショウの技量の低さに助けられたんだよ」
そう言い捨てながら、凍子は抜いた矢を投げ捨てた。
「それより……ヨクト様! 私と一緒になってくれると言いましたよね!?」
華侯姫は何事もなかったかのような満面の笑みで、ヨクトへ猛烈に抱きついた。
「ま、待て! 汚いぞお前! 騙したのか!?」
ヨクトは慌てて顔を真っ赤にし、華侯姫を引き離そうと暴れる。
「リョーカ様も聞いておられましたよね!? ヨクト様が私と一緒になると、魔族になってくださると!」
華侯姫は横で呆然と立っていたリョーカを証人に巻き込もうと詰め寄った。
「いや……まあ、確かに『分かった』とは言っていたような……」
リョーカはその圧倒的な気迫に押され、引きつった笑みを浮かべる。
「待て! 魔族になるとまでは言ってねえええよ!」
ヨクトは必死で訂正を入れた。
「やっぱり言った! 絶対に一緒になるって言ったもん!」
華侯姫は一歩も引かずにヨクトへ詰め寄る。
「あー……分かった! 分かったから落ち着け! だが、俺は一応アビの家臣だ。アビに許可をもらってからでいいか!?」
その言葉を聞いた瞬間、華侯姫の表情がパッと華やいだ。
パチ、パチ、パチ――。
「おめでとうございます!」
「おめでとう!」
殺伐とした戦場の渦中、二人を祝福する拍手が周囲の兵たちから巻き起こった。
その時――上空から殺意を秘めた矢の雨が降り注いできた。
「私たちの門出を邪魔するとは……万死に値しますわ!」
華侯姫が胸の前で手をかざすと、降り注ぐ矢の群れが空間ごとピタリと停止し、そのまま反転してショウの兵たちのもとへ苛烈に降り注いだ。
「お、お前……そんな芸芸できたのか!?」
ヨクトは目を見開いて華侯姫を注視した。
「愛の力ですわ!」
華侯姫が微笑むと、背中の漆黒の翼が眩い純白の翼へと変貌を遂げ、黒いドレスは光を放つ純白のドレスへと書き換わっていった。
「へえ、すごいね! 属性が光に転換したよ!」
凍子が興味深そうに目を輝かせて華侯姫を見つめる。
「……よし、じゃあ行くか、華侯姫!」
「ええ!」
ヨクトと華侯姫は手を取り合い、再びショウの軍勢に向けて疾風のごとく突進を開始した。
◇
(なんで……こんなガキがこれほどの至高の宝石を保持しているのだ……!?)
質屋の親父は、カイが差出してきた宝石を凝視し、驚愕で目を見開いていた。
(うちの店の全財産をかき集めたところで、到底買いきれる代物じゃねえ……)
「あー……これは精巧な偽物だな、坊主。だがまあ、せっかくの縁だ。今回は特別に銅貨一枚と交換してやろうじゃないか」
男は必死に顔の引きつりを隠しながら、カイに向けて銅貨一枚を厚かましく差し出した。
「えっ……そんなはずは……」
カイは旅の当面の資金を作るため、城から持ち出してきた宝石をこの質屋に持ち込んだのだ。
自慢の宝石が二束三文の価値しかないと告げられ、己の耳を疑った。
そして――その瞬間、カイの脳裏に異質な感覚が走った。
言語化はできない。
だが、この男が明白な嘘をついているということだけが、直感的に理解できた。
ジョカエルから叩き込まれた魔力感知の要領で、目の前の男を観察する。
そればかりか五感が異常なまでに研ぎ澄まされ、男の早鐘を打つ心音すら鮮明に聞き取ることができた。
「ほら、これを持ってさっさと消えな」
男は強引に銅貨を押し付けようと手を伸ばす。
「……いえ。やっぱり、それを返してください」
「ダメだね! お前が買取りを頼んできたんだろうが!」
男は強欲な笑みを浮かべ、右手に宝石を強く握りしめた。
カイは静かな怒りを込め、その右手を強く睨みつけた。
「ぎゃああああああっ!?」
その瞬間、男が絶叫を上げ、激痛のあまり宝石を取り落とした。
「!」
カイはその隙を見逃さず宝石を拾い上げると、脱兎のごとく店を飛び出した。
「待て! 泥棒――」
男が叫ぼうと口を開いた瞬間。
カイは走りながら振り返りざま、男の口元を強く睨みつけた。
――刹那、舌を刃で切り裂かれたかのような激痛が男の口内を走る。
「ぶほおおおおおおおっ!?」
声にならない悲鳴を上げて悶絶する男を置き去りにし、カイは夜の街の闇の中へと姿を消した。
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