第240話 神の武器/ジョカエルと白虎竜ハク
ショウが『美静弓・魔姫』から放った矢は、大気を引き裂く甲高い打撃音とともに空を割り、ビゼンに向けてまっすぐに飛翔する。
(この『美静弓・魔姫』で放たれた矢を防ぐことも、交わすことも絶対に不可能――!)
ショウは即座にビゼンの確実な死を確信した。
やがて、その殺意を秘めた閃光がビゼンの魔力感知領域へと侵入する。
(なんだ……!?)
ビゼンは咄嗟に『青竜冷艶鋸』を旋回させ、飛来する矢を容赦なく叩き落とした。
(どこから撃ち込まれた!?)
ビゼンは鋭い眼光で矢の飛来した方角を凝視する。
(何もない……いや、まさかあそこか!?)
はるか彼方、かすかに佇む見張り台が視界に入った。
(あの超遠距離から解き放ったというのか……!?)
一瞬、ビゼンは驚愕に目を見開いた。 しかし次の瞬間、仮面の下で口元をニヤリと歪める。
「なるほど、あそこか。モス、次の目標が決まったぞ!」
ビゼンはそう告げると、流麗な動作で再びベヒーモスの背へと飛び乗った。
◇
(叩き落とした……だと!?)
ショウは魔力感知を通じて、己の絶対の一撃がやすやすと打ち落とされた光景を目撃した。
(この『美静弓・魔姫』で撃ち出した矢が防がれたことなど、過去に一度たりとも無かったはず……!)
ショウは必死に意識を研ぎ澄ませ、再度矢を放とうと魔力を練り上げる。 その時、違和感に気づいた。
(なんだ……あの者が手にしているあの薙刀は!?)
(我が『美静弓・魔姫』と同等、いやそれ以上の重厚な霊力を感じる……!)
それこそが、ビゼンがアオから授かりし至高の武器『青竜冷艶鋸』であった。
(あれか……あの武器のせいなのか!?)
(ならば……せめてあのベヒーモスだけでも仕留める!)
方針を切り替え、標的を巨大な魔獣へと切り替えた。 ――その瞬間。
異次元の方角から、得体の知れない圧迫感を伴う霊力が感知網を揺らした。
(な、なんだ……これは!?)
(あの霊神様とすら匹敵するほどの、底知れぬ巨大な魔力は……!?)
それは、悠然と静観していた凍子の魔力であった。
本来であれば、凍子の魔力を人間が感知することなど不可能に近い。
しかし、神器たる『美静弓・魔姫』を保持し、意識を異常なまでに研ぎ澄ませていたからこそ、ショウはその破滅的な魔力の一端を拾い上げてしまったのだ。
「一旦引くぞ――ッ!」
背筋を凍らせたショウは、恐怖のあまり本陣へ向けて叫んでいた。
その時、ベヒーモスが地響きを立て、ショウの本陣へ向けて突進を開始した。
兵たちは巨大な魔獣の襲来に顔を引きつらせ、我先にと陣を捨てて逃走し始める。
アマン軍はこの好機を逃さず追撃を掛け、初戦はアマン軍の完全な勝利で幕を閉じた。
「なんだ……逃げ出すのか。興が削げたな」
敗走する敵軍を見送り、モスとビゼンはその場から撤退を開始した。
◇
アマンの陣営は初戦の勝利に沸き立ち、勝利の宴の熱気に包まれていた。
しかし、総大将アマンの心は少しも晴れなかった。
(あれが……魔王となったアビの側近、ダークエルフのビゼンか。以前対峙した時とは比べものにならん圧迫感だ……)
「閣下、顔色が優れませんな」
親衛のオウキが酒杯を手に歩み寄ってきた。
「今日の勝利は……拾ったようなものだ。あの魔王軍の介入がなければ、我らが潰されていたかもしれん」
アマンは差し出された酒杯を受け取りながら重々しく呟いた。
「えっ……? あのベヒーモスと凄絶な動きを見せた魔人は、魔王軍の者だったのですか!?」
オウキは驚愕で目を見開いた。
「フッ……気づかなかったか。表立って我らを支援することはできんが、アビにとっても我らがここで倒れるのは都合が悪いのだろう。ならば今回ばかりは、知らぬ顔を決めて利用させてもらうまでだ」
アマンはそう言うと、静かに酒を口に含んだ。
◇
(一体……何だったのだ、あの禍々しい魔力は……)
軍議の席につきながらも、ショウの心は先ほど感知した謎の存在への恐怖に支配されていた。
(初日にして、カイチとフェイスフルの両将を失うとは……くそっ!)
「閣下! まずはあのベヒーモスと魔人を何とかせねばなりませぬ!」
武官の一人が悲痛な声を上げてショウに進言する。
「待て! あのベヒーモスを討つだと? 倒せぬとは言わんが、こちらにも甚大な被害が出る。閣下、ここはアマンと一時休戦を結び、共にあの魔獣を討つべきです!」
魔導士のシエンが必死の形相でショウに提言した。
「馬鹿な! これほどの兵力差がありながら、アマンごときと休戦などあり得ん! 魔獣を打ち払い、そのままアマンも叩き潰せば済む話ではないか!」
怒号が飛び交うやり取りを耳にしながら、ショウは先ほどのベヒーモスと魔人の不可解な立ち回りを反芻していた。
(そういえば……奴らはアマンの陣営には一切向かわず、なぜ我が軍のみを執拗に狙ってきたのだ?)
(……まさか奴らは魔王の手先であり、アマンは魔王と密約を交わしているのではあるまいな!?)
(ならば、アマンと手を組むなど到底不可能――!)
ショウは眼を鋭く光らせ、不退転の決断を下す。
「否、アマンと組む選択肢など無い。あの魔獣はなぜかアマン軍へは向かわず、我が軍のみを標的にしていた。……まずはあのベヒーモスと魔人を叩き潰す! その後、アマン軍との決着をつけるぞ!」
「ハッ!」
ショウの毅然とした一言に、群臣たちは魔獣との決戦に向けて意気を吹き返した。
◇
「じゃあ、明日は俺が行かせてもらうぜ!」
「私がヨクト様とともにお供いたします」
黒髪を揺らし、佇む一人の女がヨクトの隣に立った。
悪魔族の華侯姫である。
「ヨクト、あんたの槍を貸して」
凍子はそう告げると、ヨクトから使い慣れた槍を受け取った。
凍子が指先から絶大な魔力を注ぎ込むと、矛先から禍々しい波長が奔流となって溢れ出す。
「ビゼンはアオから授かったみたいだしね。君には私の加護をあげよう。その名も【邪矛】だ」
ヨクトは渡された矛を受け取った。 矛全体が、不気味で濃密な漆黒のオーラを纏っている。
「いや……なんか凄まじい黒いオーラが見えるんだけどさ。これ、触ってるだけで寿命が吸い取られたりしないよな……?」
ヨクトは引きつった表情で矛をじっくりと凝視する。
「まあ、雰囲気作りみたいなものだよ。試しに使ってみてよ」
「で、どんな効果があるんだ?」
「それは君次第だね。アオの『青竜冷艶鋸』を超えるかもしれないし、あの『獣剣・蒼月』を超えるかもしれない」
「へっ……礼は言っておくよ。ありがとう、凍子様!」
ヨクトは覚悟を決めると、邪矛を軽快に一閃させ、その感触を確かめた。
◇
カイ王は宿を出て、茫然と立ち尽くしていた。
(本当に……いないのか? どこか近くで見張っているんじゃないのか……?)
何度も振り返り、空を見上げる。 しかし、どれだけ目を凝らしてもジョカエルの姿は見当たらなかった。
(これから……どうすればいいんだ……)
カイ王は行くあてもなく、力なく歩き出した。
◇
「ジョカエル様、本当に放っておいて良かったのですか!?」
並んで歩きながら、リジュエルが不安げにジョカエルを責め立てた。
「一応、見張りは付けてあるわよ」
「裏切る可能性は……?」
「裏切ったらあいつらを殺すと脅してあるわ。【追跡】のスキルで位置も把握しているし、陛下も追っているわよ」
「それでも……もし誘拐されてしまったら?」
「奴隷に売り飛ばされるかもしれないけれど、殺されはしないでしょうね」
「ですが……この国には人食いの魔人も生息していますよ?」
ジョカエルはほんのわずかに沈黙した。
「……それは考慮に入れていなかったわね。けれど、それで死ぬならあの子の運命はそこまでということよ。今はハクに会うことが最優先。私だってハクと戦って無事に生きて帰れる保証なんてないのだから」
ジョカエルとリジュエルは静まり返る玉座の間へと足を踏み入れた。
玉座には、白髪に褐色の肌をした大柄の男が深く腰掛けていた。
平伏しようとする二人を、男は手で制する。
「まさか、噂のジョカさんが自分から会いに来てくれるとは思わなかったよ。再会できて嬉しいね。……この姿で会うのは初めてだな。俺が魔王にして、四神の一人――ハクだ」
「再会……? 私は陛下とお会いするのはこれが初めてのはずですが」
ジョカエルはその言葉の真意を押し量りかね、眉をひそめる。
「じゃあ、これで分かるか? 魔力感知で俺の魔力を探ってみろよ」
「これは……!?」
(武術大会にいた……あのコンとかいう男か!?)
ジョカエルは息をのむ。
「ククク……まさかあの方がハク様だったとは。どうりで規格外の強さだったわけです……」
「君こそ、あれから随分と腕を上げたみたいじゃないか。すごいな、スキルを何十個も所持しているのか? そんな怪物は見たことがないぞ」
ハクは楽しそうに笑うと、玉座からゆるりと立ち上がった。
すると――その巨躯がみるみるうちに縮んでいき、大柄な男からジョカエルと同等ほどの小柄な少女の姿へと変貌を遂げた。
「これでフェアだな」
「それが……ハク様の本来のお姿なのでしょうか?」
ジョカエルはあっ気にとられたように尋ねた。
「まあ、俺たちにとって『本来の姿』という定義は難しいな。だが当然、肉弾戦ならリーチが長い方が強いし、女性より男性の方が身体能力は上だ。お前に合わせただけさ。……そして、さらに」
そう口にした瞬間、ハクの顔色がみるみる土気色へと変わっていく。 目の下に濃いクマが浮かび、腕は痛々しいほど痩せ細っていった。
「ハ、ハンデはこのくらいでいいか……?」
掠れた声で語るハクの鼻からは、鼻水すら垂れていた。
その痛々しくも奇妙な光景に、リジュエルとジョカエルは呆然と佇むしかない。
「あ、あの……昔、東の王国で人間に敗北したという伝説は、まさかその状態で挑んだのですか……?」
「ああ、そうだな。負けた負けた。これでスキル無しで勝てるか試したが、さすがに無理があったな。一本取られたよ」
そう語りながらも、ハクはすでに立っていることすら苦しそうに身体を震わせている。
ジョカエルはクスリと小さく笑うと、静かに呟いた。
「そんな状態のあなたに勝利したところで、何の発散にも特訓にもなりません。……最初の姿にお戻りくださいな。それで勝負を」
その言葉を受けるや否や、ハクの姿が再び膨らみ、威圧感を纏った白髪褐色の巨漢へと戻った。
「いやあ……やっぱりあの状態はキツいな! じゃあ、これでやろうか。ルールはこうだ。俺は攻撃系のスキルを一切使わねえ。あくまでこの素手だけで戦う。強化系や防御系もお前が使えると同等のものに限定する。ただし、お前のスキルを封印するような類のものも使わない。前の武術大会も基本はこの条件で戦ったからな。……構わないか?」
「ええ、問題ありません。それでやりましょう。……リジュエル、下がっていなさい」
ジョカエルが静かに告げると、二人の間に漂う空間が、激しい魔力の軋みとともにじわじわと歪み始めていった。
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