第157話 雨
甲板で涼んでいると、キョウが現れた。
「キョウ」
真剣な表情をしている。
何かあったか。
「アビ。ひょっとしたら——アオ様が言っていた核爆弾が、使用されたかもしれない」
その言葉に、言葉が出なかった。
「アオ!ちょっと降りてきて!」
飛翔板で他の兵たちと遊んでいるアオを呼んだ。
◇
「なるほどね。おそらく放射能だろうね」
呪いとやらの正体に心当たりがあった。
当然、自分が経験したことはないが、知識としては知っていた。
「とにかく、近づくことすらできないらしいんです。アオ様、お力をお借りできませんか」
キョウはアオに頭を下げた。
アオはそっとキョウの肩を抱いた。
「キョウ、あなたとワタシの仲じゃない。安心して。様子を見に行って、助けられる人は助けてくるわ」
「アオ様……」
キョウが目をうるませた。
「なんなら、そのショウも領土ごと消し飛ばしてくればいいのね」
「いえ、そこまでは。ショウの仕業とも限りませんので」
アオの雑すぎる解決策にキョウも思わず引いた。
「それに言われて気がついたけど、クロが先に動いてるみたい。私を呼んでるわ」
そう言いながら、アオは宙に浮く。
「頼んだわよ。気をつけてね」
「じゃあ、行ってくるわ」
アオはそう言うと光の球になり、音よりも速く空の彼方へ消えていった。
◇
「これは、なんということだ……」
ショウは丘の上に立ち、爆心地の中心近くを眺めていた。
呪いがあると配下に止められた。
それでも来た。
自分の領地で何が起きたのか、自分の目で見なければならなかった。
すべてが瓦礫だった。
建物の形が消えていた。木が消えていた。人の形が消えていた。
所々に、人の塊のような肉塊が見えた。アンデッドとなった者たちが、その死肉を漁っていた。
昨日まで町だった場所に、死しかなかった。
ショウは思わず一歩、また一歩と近づいた。
部下が袖を掴んだ。
ショウは振り払った。
焦げた臭いと、腐乱の臭いが混ざり合い、喉の奥に貼りついた。
「民よ、ブンセッツよ‥‥どこに行った。」
答える者はいなかった。
(ここに住んでいた者たちは、ブンセッツ含めて私の民だ)
アンデッドの群れが見えた。
焼けただれた顔で、皮膚の剥がれた腕で、ゆっくりと生を求めてこちらへ向かって歩いてくる。
「おえ……」
隣の部下が嘔吐した。誰もとがめなかった。
ショウの意識が遠くなる。
落馬した。
地面に体を打ちつけた。
「閣下!」
部下たちがショウを助け起こす。
「……大丈夫だ」
痛みで意識が戻った。
しかし立ち上がれなかった。
ここ数日、眠っていなかった。
食べていなかった。
馬を駆け、剣を振り、民を運び、指示を飛ばし続けた。
それでもまだ足りないと思っていた。
「閣下、ここに長くいてはなりません。本国へお帰りください。現場は我々にお任せを」
「いや、民も兵も……まだここにいるのに、私だけが——」
「閣下はここ数日、まったくお休みになっておられません」
部下の声が、どこか遠かった。
「お連れするぞ。あとでお叱りを受けても構わん」
ショウは抵抗しようとした。
できなかった。
担がれるようにして、馬に乗せられた。
遠ざかっていく瓦礫の中に、まだアンデッドが見えた。
昨日まで誰かだったものが、ただ彷徨っていた。
ショウの意識は闇におちた。
◇
爆心地の上空。
黒髪の女が大きな袋を担いで浮かんでいた。
玄武竜クロである。
「ようやく来たか」
クロはニヤリを笑う。
光の球が音より早く、しかし無音で現れた。
衝撃波すら起きなかった。
「なんだ、結局私たちだけか」
クロはアオに言った。
「キョウとアビに頼まれたからね。アカや究姫たちは?」
「アカ子はバイトだってさ。究姫や凍子が手伝うわけないだろ」
クロが呆れたように言った。
「あなたは来たのね。」
「霊教が、つまりは四霊が私に喧嘩を売ったも同然だ。犯人を見つけたら 、死よりも重い罰をあたえてやる。」
クロが忌々しげに言う
「じゃあ、二人でやろうか」
アオがクロに手を差し出す。
「ああ。私はこの放射線をなんとかする。お前はアンデッドと怪我人をなんとかしろ」
「たまには神らしいところを見せないとね」
「この仕事が終わったら、久しぶりにどうだ?」
「いいわよ」
二人はかるく唇を重ねて、離れた。
「じゃあ、やりますか。【大地よ甦れ(イス・キャンセラー)】」
クロが手をかざすと、高速で無数の光の球が周囲に放たれた。
目には見えない。
しかし放射線が、瞬く間に除去されていった。
次にクロは袋の中身を空にまいた。
「じゃあアオ、種付けといきますか!」
それは植物の種だった。
クロを中心にして、あたり一面に種が散布される。
「なによ、その言い方」
アオはくすりと笑うと、天空に手を掲げた。
【再生の雨】
天空へ光が走った。雨雲が呼ばれた。
◇
「クソ……オレはもうだめか」
アンデッドに囲まれた兵士は、剣を自分の首にあてた。
せめてアンデッドにだけはなりたくなかった。
その時、雨が来た。
一粒。
また一粒。
最初は気づかなかった。
しかし目の前のアンデッドたちが、ぐらりと揺れた。
そのまま、音もなく崩れ落ちた。
自分の手を見た。
傷が、塞がっていた。
「……な」
声が出なかった。
傷が塞がるだけではなかった。
身体の奥から力が戻ってくる。消えかけていた熱が、戻ってくる。
「こ、これは……」
膝が折れた。
ただ、折れた。力が抜けて、そのまま地面に膝をついた。
「神よ……」
祈る言葉も知らなかった。
ただ、雨の中で、膝をついたまま、祈った。
◇
「お母さん!死なないで!お母さん!」
少女が叫び続けていた。
母親は焼けただれ、もう目も開けられなかった。
呼吸が浅く、途切れ途切れになっていた。
少女は母親の手を握り続けた。
冷たくなっていく手を、それでも握り続けた。
雨が来た。
最初、少女は気づかなかった。
母親の手が、動いた。
「……え」
母親の火傷が引いていた。焼けただれた皮膚が、見る間に戻っていった。
途切れていた呼吸が、深くなった。
「お母さん……?」
母親がゆっくりと目を開けた。
娘の顔を見た。
何も言えなかった。
腕を上げて、娘を引き寄せた。力なく、しかし確かに、抱きしめた。
少女が泣いた。
声を上げて泣いた。
雨が降り続けた。
荒れた大地に、細い草の芽が顔を出し始めていた。
◇
荒れ地に緑が戻り、アンデッドは消え、傷ついた者たちは癒えた。
誰も、何が起きたかわからなかった。
ただ雨が来た。
雨が来て、大地がよみがえり、死者が眠り、生者が生き返った。
人々は空を見上げた。
雨雲の向こうに、誰かがいる気がした。
名前は知らなかった。
それでも手を合わせた。
膝をついた。額を地面につけた。
神の名を知らぬまま、人々はただ祈った。
雨はしばらく、降り続けた。
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