第155話 キ州の虐殺
国は二つに割れていた。
国王カイを擁する公爵ショウ・エンにつくか、王女キョウを擁する宰相アマンにつくか。
誰もが実際のところを知っていた。
アマンは逆賊チュウエイを倒し、国賊コウロを討ち、王都をふたたび取り戻した。
一方でショウは指をくわえて見ていた。
しかし、国王カイを保護したことで、形式的にはショウが大義名分を得た。
だが、誰もが知っていた。
カイ王は幼く、ショウは何もしなかった。キョウ王女は自ら剣を取り、アマンとともにチュウエイを討った英傑であると。
小さな貴族や豪族たちはどちらにつくか決めあぐねていた。
事件は、そんなあるショウの属州、キ州で起こる。
◇
ブンセッツという領主がいた。
とびきり有能というわけではない。
策謀を巡らすような器でもない。
しかし、この男には一つ、確かなものがあった。
民が好きだった。
それだけだった。それだけで、この男は三十年間、この小さな城下町を治めてきた。
祭りがあれば先頭に立って踊り、不作の年は自分の蓄えを崩した。
領民の葬式には必ず顔を出し、生まれた子どもの名前を覚えた。
それが当然だと思っていた。
妻も同じだった。
病人が出れば薬を届け、夫が宴を開けば自ら厨房に立った。
子宝にも恵まれ、城下の子どもたちはみなブンセッツ夫妻を慕った。
そんな男のもとに、ショウから使者が来た。
『貴殿の家とわがエン家はかねて友好的な関係を築いてきた。今後も変わらぬ誼を期待するものである』
ブンセッツは使者を別室で待たせ、ユメとともに身の振り方を考えた。
「わが家はずっとエン家に仕えてきた。筋から言えば、ショウ様に忠誠を誓うのが筋だ。それに、ショウ様のもとには陛下もいらっしゃる。だが……」
「わかります。殿下は領民から人気ですものね」
キョウはチュウエイを倒したのち、各地を自ら回った。
この町にも訪れ、直接陳情を受けた。
アマンに命じて、領民たちの悩みをすみやかに解決した。
それだけではなかった。キョウは視察の途中、用水路の泥詰まりを見つけると、侍女たちが止めるのも聞かず、自ら手を突っ込んで泥をかき出した。
汚物も、臭いも、関係なかった。
「殿下、お手が……!」
「手は洗えばいい。水路は今日直さねば明日の畑に響く」
それだけ言って、キョウは泥だらけの手のまま笑っていた。
その話は城下中に広まった。
「しかし、ショウ様に逆らうわけにもいかん。かといって、キョウ殿下やアマン様に楯突くなど考えられん」
「あなたが悩むのも当然よ。でも——あなたはあなたの答えを出すでしょう」
ユメは静かに笑った。
ブンセッツはしばらく黙っていた。
そこへ使用人が声をかけてきた。
「旦那様、領民の長老や重役たちが陳情に参っております」
(もしや、この件か)
「すぐに通せ」
◇
「領主様、今来られているのは、ショウ公爵の使いでしょう」
「ああ」
ブンセッツは困ったように答えた。
「領主様、キョウ殿下はこの町に来て——汚物まで、自らの手ですくってくださいました。あのような方に背くなど、私たちにはできません」
「そうだ。あの方こそ本物の……」
「おい、めったなことを言うもんじゃない」
ブンセッツが苦笑しながら抑えた。
「なんなら、あの方にこそ女王になっていただきたいくらいだ」
「そうだそうだ!」
老いた長老が、珍しく声を張り上げた。
ブンセッツは領民たちの顔を見渡した。
鍛冶屋の親父、麦を作る夫婦、子どもを背負った若い母親。
三十年間見てきた顔ばかりだった。
「わかった。任せろ」
それだけで、領民たちは安心して帰っていった。
◇
「なにやら、領民たちが来ていたようですね」
使者は静かに笑いかけた。
「ええ、まあ」
「キョウ殿下につくと、そういうわけですか」
「・・・」
ブンセッツは黙って決意を込めた目で使者を見た。
「私の顔を見ても、意志は変わりませんか。この私が言っているのですよ」
使者の声に、かすかな凄みがあった。
(しかし、自分の顔とはどういう意味なのか。)
使者の真意をはかりかねた。
しかしブンセッツははっきりと言った。
「私は領主として、民にとって最善の選択をするつもりです」
沈黙があった。
「なるほど」
使者はふっと表情を和らげた。
「困らせてしまって申し訳ない。実はあなたと領民のために、ショウ様から贈り物がありましてね」
「……なんでしょうか」
「屋敷の外です。一緒にどうぞ」
◇
それは大きな黒い卵のような形をしていた。
表面はなめらかで、光をわずかに吸い込むような黒さだった。
キョウもアマンも、アオたちでさえ行方を追っていた、異世界の禁断の兵器。
核爆弾であることを、ブンセッツは知るよしもなかった。
「な、なんでしょう、これは」
直感的に、何か禍々しいものを感じた。
身体の奥から来るような、説明のできない不快感だった。
「これは、置くだけでその土地が栄えるという幸運の魔道具です。ぜひ、街の中心にお飾りください」
「……ありがとうございます」
使者が帰ったあと、ブンセッツは妻に言った。
「なんだかあれは嫌だな」
「あなたったら、せっかくの贈り物なのに」
「虫の知らせというやつかもしれん。魔道士たちに調べさせよう」
◇
魔道士たちは黒い卵に触れ、首を傾けた。
「何の反応も感じません。鉄の塊のようですが……」
「そうか」
「あなた、考えすぎではないですか」
妻が笑いながら夫の腕を取った。
「そうかもしれんな。ショウ様にお礼の手紙くらいは書くか」
ブンセッツはそう言って、妻と並んで屋敷に戻ろうとした。
その夜、城下では珍しく宴が立ち、笑い声が路地に溢れていた。
子どもたちが黒い卵の周りを走り回っていた。
鍛冶屋の親父が酒を飲んでいた。
若い母親が赤子を揺らしていた。
ブンセッツ夫妻は手をつないで、そんな城下の灯りを縁側から眺めていた。
「いい町だな」
「ええ」
妻が夫の肩に頭をもたせかけた。
「子供たちが帰ってきたら、一緒に祭りがしたいな」
「あの子たちももう立派になって。お兄ちゃんなんて、去年会ったときはあなたより背が高くなってたわよ」
「そうだな」
ブンセッツは笑った。
次の瞬間、ブンセッツは自分が死んだことすら気がつかなかった。
ユメも、鍛冶屋の親父も、赤子を抱いた母親も、子どもたちも——数万の命が、瞬きほどの間に消えた。
宴の笑い声が、轟音に変わった。
ブッセッツの影だけが残った。
◇
月夜。
丘の上でビエムは都市のあった方角を眺めていた。
従者が釣られてそちらを見た。
「このヨウトの顔を見て、何も思い出さないゴミが」
ビエムは静かに言った。怒鳴っているわけではなかった。ただ、淡々と言った。
「せめて実験台になるがいい」
ビエムは黒い卵の仕組みを完全に理解しているわけではなかった。
だが、起こすべき現象だけは知っていた。
この世界では、それだけで十分だった。
魔力が、異世界の複雑な機構の代わりを果たす。
ほんの少し、魔力を込めた。
空が光った。
遅れて、轟音が来た。
従者は何が起きたのかわからなかった。見たこともないきのこ型の雲が、夜空に向かって立ち上っていた。
「ヨウト様ならこうされたはずだ」
ビエムは呟いた。
ビエムは雲が広がっていくのを見ながら、満足そうに目を細めた。
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