第145話 野望の終わり
「なぜ、こんなことに……」
コウロは城に戻り、偽りの玉座に座り込んだ。
息はあがり、膝が震えている。
「これ!だれかいないか!?蜂蜜酒をもて!」
静寂が返ってきた。
「……だれか。」
もう一度、今度は小さく言った。
やはり、誰も来なかった。
女たちはいずこかに逃げてしまっていた。
玉座の間に、コウロ一人だけが残されていた。
「ええい!だれかおらんのか!?」
壁に向かって叫んだ。
こだまだけが返ってきた。
「閣下、お待たせしました。」
リングがやってきた。
火傷が全身を覆い、応急処置の回復魔法も追いついていない。
それでもコウロのもとへ来た。
「おお!リングか!よかった!今すぐ和平の準備をしろ!」
「和平……とは?」
「うむ!アマンにわしの娘をやろう!奴は未婚だったろ!公爵の、いや、他国の王の娘とあればアマンも誇り高いであろう!」
リングは首をふった。
「ああ、まだおわかりになりませんか……。」
「なにがだ!?」
「アマンはそんなもの望んでいません。むしろ、貴族制度そのものをなくそうとしているふしがあります。」
「なに!?それではやつのほうが、大逆の破壊者ではないか!?」
貴族制度をなくす。
コウロにはその言葉の意味がわからなかった。
「コウロ様、ここは潔く降伏してください。あるいは——」
リングは手元から短刀を取り出した。
「なんだ!?貴様、余に死ね、というのか!?この大公爵たる余に!?長年、王家に忠誠を誓ってきたエン家のわしに!?」
「ええ、コウロ様が自決されれば、アマンはお嬢様や奥様まで手にかけることはないでしょう。刃物には毒が塗ってあります。ほんの少し肌を傷つけるだけで、眠るように亡くなれます。」
「うごおおお……」
コウロは唸った。
玉座の肘掛けを、両手で強く握った。
長い沈黙だった。
「わかった。」
コウロはゆっくりと息を吐いて立ち上がった。
「わしは死ぬ。」
「閣下……」
リングは短刀を差し出し、コウロはそれを手に取った。
リングの目に、尊敬の色があった。
最後の最後に、この方は覚悟を見せた——
リングがそう思った、その瞬間だった。
「ぐお!」
短刀がリングの腹に深々と刺さっていた。
コウロが突き立てたのだ。
「コ、……ウ……」
リングはゆっくりと崩れ落ちた。
床に倒れ、動かなくなった。
「ばかめ!」
コウロは短刀を引き抜き、リングの遺体を見下ろした。
「なぜわしが死なねばならん!お前ひとりが死ね!」
コウロは自分が作らせた王の服を脱いだ。
それをリングに着せた。
リングの遺体を引きずり、玉座に座らせた。
火傷だらけの顔が、玉座の上で前を向いた。
「だれかおらんか!リングが乱心した!わしは逃げ……いや、ショウのもとに行くぞ!金を用意しておけ!敵の包囲の少ないところを探せ!」
駆けつけた兵の前で、コウロは命令した。
その声だけは、まだ王のように響いた。
◇
「陛下!北門のほうが敵の数が少ないようです。」
「うむ!わしは庶民に変装してひそかに脱出する!」
「王妃様や姫様はどうなされますか?」
「後日、迎えをよこすゆえ、城においていく!」
「は?……しかし!?」
「代わりの死体を置いていくから、わしは自決したと伝えろ!いくぞ!」
コウロは数名の兵だけを連れ、北門から走り出た。
妻も娘も置いて。
玉座に残したリングの遺体も置いて。
だが、それをアマンの魔導士は【望遠】スキルで見ていた。
◇
「コウロはどこだ!!」
「このあたりにいるはずだ!?」
「探せ!」
アマンの兵がコウロを追った。
(なぜだ!なぜわかる!?)
コウロは森の中を一人、走っていた。
連れてきた兵たちはいつの間にか散り散りになっていた。
もう誰もいない。
持っていたものは何もない。
ただ一つ——魔力感知を妨害する、代々伝わる魔道具だけが、今もかろうじてコウロを人の目から隠していた。
(逃げ、いや、ショウのもとへ行くのだ。そうだ、あいつに王を譲ってやろう。そうすれば……!)
何かに縋るように、コウロは走り続けた。
肺が燃えるように痛かった。
足がもつれた。
それでも走った。
◇
「ほんとに、こっちにコウロがくるのかよ?」
ヨクトが空を見上げながら言った。
空は青い。
のどかだった。
「まあ、こなきゃこないでいいわよ。来たら捕まえろと言われてるだけで、前金はもらってるしね。」
ワタシはヨクトに答えた。
傭兵の仲間たちも退屈そうに笑いあっている。
コウロの城の反対側では激しい戦闘があったと聞いているが、こちらには魔力感知でも兵は見当たらない。
アオも周囲に兵はいないといっている。
もっとも彼女にとっては十万の兵も脅威ではないので、あまり参考にはならないが。
「リーダー!向こうのほうに爺さんが倒れてるらしい!」
偵察に行っていたソウが駆け戻ってきた。
「じいさん?こんなところで?旅人か?」
「仲間が介抱してるが、もう助からないかもしれない。ずいぶん衰弱してる。」
気の毒だな。
最期くらいは看取ってやるか。
そう思って、ソウの後をついていった。
◇
七十くらいに見えた。
髪は白く抜け落ち、肌はしなびて、死相が出ていた。
全身が泥と汗で汚れ、衣服はぼろぼろだった。
「おじいちゃん、大丈夫?」
ワタシはしゃがんで、老人に声をかけた。
いや——待て。じいさんじゃない。
この顔。
泥の下の、この顔を、ワタシは知っている。
「お前!コウロ!」
思わず声が出た。
「え!?こいつが!?」
ソウも声をあげる。
「たしかにコウロだ!」
ビゼンも驚く。
コウロはワタシの声を聞いてうめいた。
しかし、その目はもう焦点が合っていなかった。
ワタシが誰かも、わからないようだった。
「蜂蜜入りの水が……飲みたい……」
それだけ言って、コウロは死んだ。
ワタシとビゼンはお互いに顔を見た。
(あのコウロが、なぜこんな場所で、なぜ一人でこんな格好で——)
ワタシにはわからなかった。
ただ、一つだけわかったことがある。
ワタシとコウロの因縁は終わった。
拍子抜けするほど、あっけなく。
なんとも後味の悪い終わり方だったが。
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