第119話 誘惑
その日も、ジョイエルは霊教会で信徒たちからの相談を受けていた。
個室で、一人ひとりの悩みを聞いていく。
彼女が聞く悩みはほとんどが人間関係の悩みだ。
メンタルヒーリングのスキルも習得していた。
彼女と話すことにより、多くの人の心の悩みが緩和された。
また、冒険者たちの呪いや大怪我の治療を引き受けることもあった。
今回、事前に聞いていたのは今までに聞いたこともない呪いだった。
性器以外の体全体が女性化しているという呪い。ただし、教会の神官では解析すら不能だという。
(そんなふざけた呪いは聞いたことがない。)
相談者の名前は「クロ」。
しかも、あの青竜に呪いをかけられたというのだ。
(四神の呪いか。)
そう考えながら机の脇に置いた短刀、白面を見る。
短刀ではあるが、チュウエイに渡した獣剣蒼月と同じく霊神の加護を得た霊刀だ。
(この力があれば青竜の呪いといえど恐るるに足らん。)
ドアがノックされた。
「どうぞ。」
ジョイエルが声をかけると二人の女性が入ってくる。
黒髪の女性と、朱色の髪の女性。
「はじめまして。」
黒髪の女性が笑顔で声をかける。
朱色の髪の女性は無愛想に頷く。
「どうぞ、お座りください。」
ジョイエルは机の対面に座るように促した。
「どういったことでお困りですか?」
ジョイエルは呪いについて確認しようとした。
「この都は碌な宿もなくてね、寝床がほしいんだ。君はこの都で王族以外では一番偉いんだろ。君の部屋を寝床にさせてほしいんだが。」
ジョイエルは固まった。
(……!?)
(意味がわからない。)
「あの、クロさんですよね。」
「そうだけど。」
クロは笑顔で答えた。
「クロさんは、四神の青竜に受けた呪いでお困りだと聞きましたが。」
「ああ、そうなんだけど、それはいいんだよ。それより寝床で困ってるんだ。」
会話をしながらも、ジョイエルは自身のスキルで二人の解析を進める。
そこで、異変に気がついた。
呪いどころか種族すらも解析ができない。
(こんなことがあるのか。)
長年、ジョイエルは様々な存在を解析してきた。
人間、エルフ、魔物、悪魔——どんな存在でも必ず何かが見えた。
しかし今、目の前にいる二人からは何も見えない。
完全な無。
それはつまり——
「あ、あなたたちは何者なのだ?」
まさかと思いながらジョイエルは思わず疑問を口にした。
「はじめまして、だな。私は玄武竜のクロ、こっちは朱雀竜のアカ子だ。」
「やめてよ、そのあだ名。私はスカーレットだ。」
アカ子と呼ばれた女は嫌そうな顔をしながらひじでつついた。
(なに?)
(こいつらは何をいってるの?)
(この二人が四神?)
(しかし、それなら私の解析スキルで何も感知できないのもわかるけど。)
「な、何をいってるのかしら?」
ジョイエルは極力、動揺を隠しながら答えた。
「何をいってるんだ?さっき、私たちを解析して、何もわからなかっただろ?それでわかっただろ?」
ジョイエルは落ち着きを取り戻そうとした。
しかし、取り戻せなかった。
霊神への信仰をよりどころに、長年積み上げてきた精神的な平静さが、今、初めて揺らいでいた。
「それで、クロ様とスカーレット様が宿がほしいと?それなら紹介させていただきますが。」
「いや、そうじゃないんだ。私は君が気に入った。君の寝室で君と寝たい。」
クロがジョイエルをまっすぐ見つめる。
その目が笑っていた。
悪意はなかった。
ただの本音だった。
それが逆に——恐ろしかった。
思わず、ジョイエルの動悸が上がる。
(なぜだ。)
(なぜ私は動揺している。)
その瞬間、クロが視界から消えた。
気づいたときには横に瞬間移動していた。
そのまま押し倒される。
そのとき、偶然、霊刀が落ち、ジョイエルの手に当たった。
わずかに手に傷がつき、その痛みで正気にもどる。
(精神支配か!)
頭ではそう判断した。
しかし——
なぜか、悪い気がしなかった。
まるで恋人にじゃれつかれているよう。
(違う、これは幻覚だ。惑わされるな。)
(そうだ、これがある!)
ジョイエルはとっさに霊刀を抜き、クロの胸に突き刺した。
血が噴き出し、ジョイエルの胸にしたたり落ちる。
(これで——)
しかし、クロはそれを気にすることなく、ジョイエルに口づけをした。
クロの唾液がジョイエルの口に溶けていく。
満たされていく幸福感。
(なぜ。)
(刺されてもなお、私をもとめてくれるの?)
ジョイエルの中で、何かが崩れ始めた。
長年信じてきた教えが、ひとつひとつ、音を立てて崩れていく。
霊神は姿を見せない。
声も届かない。
祈っても、何も返ってこない。
しかし今、目の前にいる存在は——確かにそこにいた。
血を流しながら、笑いながら、ジョイエルを見ていた。
「これほどの傷を負っても、私をもとめてくれるの?」
声が出た。
自分でも気づかなかった。
ジョイエルはクロの「誘惑」に堕ちた。
◇
「あなた、大丈夫?剣が刺さってたけど。」
スカーレットがクロに聞いた。
「こんなものが私たちに効くわけがない。一瞬テンプテーションが解けたみたいだけど。」
そういいながら、クロは霊刀を抜く。
霊刀はクロの掌の中で塵になった。
「ク、殺せ!」
ジョイエルは霊神への信仰心を絞り、声を上げる。
最後の抵抗だった。
「誤解してもらっては困る。私はお前に惚れたんだ。殺すわけがない。今までどおり、霊教の仕事もすればいいだろ。でも——君は霊神、いや四霊にも疑問を持ってるだろ?」
「それは……!?」
それはジョイエルにとって図星だった。
「神使になっていないからね、君は。」
(なっていたらテンプテーションは効かなかったかもしれない。)
「とりあえず、ゆっくり話をしよう。」
クロはそういうと上着を脱いだ。
目の前に現れた神の姿を見て——
ジョイエルは、姿を見せない神への信仰を、静かに手放した。
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