63 太古の夢まぼろし
「入って来い、ということらしいな」
俺たちは慎重に船を近づけ、そのまま内部に侵入した。
その瞬間、すべての電子機器に激しいノイズが走り、ついには船のエンジンまでもが沈黙した。
「スマホの電源も入りませんね……」
藤宮が不安げに呟く。
通信手段もなければ、船も動かない。
これが、ここを通過する船が行方不明になる原因か?
内部は外から見えた通り、壁も床も天井もすべてが白一色に発光しているようだった。どこを向いても光源が見当たらないにもかかわらず、一切の「影」が発生していない異様な空間だ。
そして、背後で入口が音もなく閉ざされる。
「……閉じ込められたわね」
鬼灯さんが低く、冷静な声で告げる。
「構わん。はじめから、後戻りするつもりはない」
鬼頭さんの低く力強い言葉に、俺は閉ざされた扉があった場所を一瞥し、前を見据えた。
「……そうですね」
俺が同意した、その時だった。
急にフワッと体が浮き上がるような感覚に襲われ、重力を失ったかのように軽くなった。
「きゃっ!」
藤宮が短く悲鳴を上げる。
「これって、もしかして降下してるのか……?」
視界が真っ白なため、視覚的な移動の実感はない。だが、体に伝わる感覚は、まさにフリーフォールで落下している時のそれだった。
急激な気圧の変化に耳の奥が痛み、俺は慌てて唾を飲み込む。
「どこまで下がるんですかね?」
「ああ。正確にはわからんが、既に海底近くまで潜航しているのかもしれん」
鬼頭さんが冷静に答えた直後、次第に体に伝わる違和感が収まり、視界を埋め尽くしていた白の世界が暗転した。
一瞬の闇。
そして次の瞬間、空間が爆発したかのように鮮やかな色を取り戻していく。
景色が鮮明になると、そこは、まさに別世界だった。
――一言で言えば、それは『竜宮城』。
御伽話に出てくるような、豪華絢爛な宮殿。
周囲には色とりどりのサンゴ礁が煌めき、その間を光を反射する魚たちが優雅に泳いでいる。
「ここ、本当に海底だよな……?」
あまりに現実離れした美しさに、俺は呆然と呟いた。
やがて、俺たちを乗せた「亀」が宮殿へ向けて静かに移動を開始した。
宮殿の正面に到着し、ゆっくりと停止すると、前方の壁面に小さなドアが音もなく現れる。
「あの……ここを開けた途端、海水がドバーッて流れ込んでくる、なんてことはないですよね?」
藤宮が引きつった笑顔で、不安そうに尋ねる。
「まあ、そうなったら神楽に海面まで送り届けてもらうさ」
鬼頭さんが事も無げに言った。
「ちょっと、人をタクシーみたいに言わないでくださいよ! それに、この人数を一度に運ぶのは流石に無理です!」
俺が慌てて抗議すると、鬼頭さんは口角をわずかに上げた。
「冗談だ。招き入れた以上、相手もそのくらいの配慮はしているだろう」
「だといいわね……」
鬼頭さんの返しに、鬼灯さんが不吉なフラグを立てるような呟きを漏らす。
鬼頭さんはその言葉を意に介さず、迷いなく扉の前に立つ。
すると、音もなくゆっくりと扉が開かれていく。
俺は最悪の事態――海水が流れ込んでくる展開に備え、いつでも扉の隙間に念動の膜を張れるよう意識を集中させていたが、幸いなことに鬼灯さんのフラグが回収されることはなかった。
「さあ、行くぞ」
鬼頭さんの合図とともに、俺たちは扉をくぐって外へと踏み出した。
そこは深海のはずなのに、海水は存在しなかった。肌に触れる空気はさらりとしていて、地上と何ら変わりない。
目の前を、色とりどりの魚が鮮やかに横切っていく。手を伸ばしてみたが、指先は何の抵抗もなく魚の体をすり抜けた。
「これって……もしかしてSFドラマによくある、ホログラムですか?」
隣では藤宮が目を輝かせ、通り過ぎていく魚の群れに何度も手を伸ばしている。
「……じゃあ、今見えている竜宮城も偽物?」
俺は視線を上げ、目の前にそびえ立つ豪華絢爛な宮殿を見上げた。もしこれがすべて作り物の映像だとしたら、誰が何のために?
いや、そもそもこれほど精巧かつ巨大な空間投影を維持するなど、現代の科学では到底不可能なオーバーテクノロジーだ。
俺たちがその異質な光景に圧倒されていると、頭上から傲慢な響きを含んだ声が響く。
「やっと来たか、待ちわびたぞ」
上空からゆっくりと降りてきたのは、銀髪に鮮やかな青のメッシュを入れた短髪の男だった。
不敵に吊り上がった口角からは鋭い犬歯が覗き、エメラルドグリーンの瞳が獲物を見定めた獣のように妖しく光っている。
「奴じゃ……!」
そう言って、鈴が即座に険しい表情で男を睨みつけた。
「聞いていた姿とは違うようだが……お前がフェンリルか?」
鬼頭さんが、眼前の男を射抜くような視線で問いかけた。
「ああ、俺がフェンリル様だ。……そういうお前は、なるほど。お前があのヘルとやり合った『オニ』か」
フェンリルは鬼頭さんを品定めするように見つめ、楽しげに鼻を鳴らした。
「それで、この場所は何だ」
「ここは、お前たちの言うところの“ニライカナイ”――かつての先住者の都だ」
「先住者の都だと? ……そんな場所でお前は何をしている」
「そりゃ当然、封印する予定だったんだが……見つけた時には既に力を失い、こんな子供だましを映すことしか出来ないガラクタだった。だが、お前たちと楽しむにはちょうどいい場所だったんでな、餌を撒いて待ってたんだよ」
鬼頭さんの問いに、フェンリルは不敵な笑みを深くして答える。
「つまり、鏡見に刻印をしたのは、初めから俺たちをここへ誘い出すのが目的だったのか」
「まあ、そうなるな。ここなら“奴”に余計な邪魔をされず、思い切り殺り合えるしな」
「奴……だと?」
「……『奴』のことは、そこの黒髪と隣の女が一番よく知ってるはずだぜ?」
フェンリルが俺と藤宮を見て、嘲笑うように告げる。
「……セイヴィアのことか」
俺がその名を口にした瞬間、隣にいた藤宮がビクリと肩を揺らし、俺の腕を強く掴んできた。数ヶ月前の恐怖が、彼女の中で鮮明に蘇っているのが伝わってくる。
「そうだ。ここなら奴にバレずに存分に殺り合える。それに、『邪魔なウォッチャー』に見つかる心配もねえからな」
「ウォッチャーだと!? 奴は何者だ! それに、セイヴィアとお前たちの関係は!」
「それを知ったところで、お前らにはどうにできねえよ」
俺の問いかけを、フェンリルは鼻で笑い飛ばした。
「そうか。だがな……こっちも『はいそうですか』と、黙って引き下がるわけにはいかないんだよ。特にセイヴィアには……嫌というほど『借り』があるんでな!」
数ヶ月前の恨みと、隣で震える藤宮の体温。俺の言葉には、自然と熱がこもっていた。
「ふはは! まあ確かに。……なら、存分に俺を楽しませてくれ。そしたら奴らの事を教えてやるよ!」
そう言うやいなや、フェンリルから肌を焼くような強烈なプレッシャーが放たれる。
こうして、フェンリルとの第二ラウンドが幕を開けた。




