58 失踪、そして失踪
「鏡見さん、オーケーでーす」
スタッフの声が響き、何度も繰り返されたテイクがようやく完了する。
衣装を着替え歌い踊る。その姿は、普段俺たちの前で見せる「普通の女の子」としての鏡見とは別人の、まさにプロの表現者のそれだった。
「MVの撮影なんて初めて見たけど、やっぱりプロって感じだな」
「私も撮影を間近で見るのは初めてですけど、茜ちゃんかっこいいですね!」
隣で藤宮が、そんな鏡見を嬉しそうに見つめている。
撮影はその後も順調に進み、さまざまなカットシーンが手際よく消化されていく。
――異変が起きたのは、撮影も終盤に差し掛かった時だった。
「……ん? 待て、なんだあれは。撮影中止! ストップだ!」
急に声を荒らげた監督が、海の一点を見つめて指差した。
俺たちもつられるように視線を向ける。
穏やかなエメラルドグリーンの波間に、何かが浮いていた。
目を凝らすと、それは一人の男性だった。古びた木材にしがみつき力なく漂っている。
事態を察した監視員と数人の撮影スタッフが、浮き輪を持ち海へと飛び込んだ。
異様な光景に、周囲の観光客たちも「何事だ」と指をさして騒ぎ始める。
数分後、漂流していた男性は無事に浜へと引き揚げられた。
ぐったりとして意識はないようだったが、幸いにも呼吸はしっかりしており、目立った外傷も見当たらない。
しかし、俺はその男性の格好に違和感を覚える。
――何で、こんな無人島でスーツ姿なんだ?
それも、スーツの上にコートまで着込んでいた……。
撮影は一時中断。
島は華やかなロケ現場から、一転して不穏な救護現場へと様変わりした。男性は監視員の指示により、ひとまずカフェの内へと運び込まれ、救急隊の到着を待つことになった。
騒然とした空気の中、誰かが用意した毛布が男性に掛けられる。
「うっ、うぅ……」
そうしてしばらく経った頃――。
その男性が喉の奥で掠れた音を漏らしながら、ゆっくりと目を開ける。
「大丈夫ですか!? 気分はどうですか?」
傍についていた監視員が、意識を取り戻した男性に努めて穏やかに声を掛ける。
「ゴホッ、ゴホッ……! げほっ……。こ、ここは……!?」
「落ち着いてください。ここは那覇からすぐの島ですよ。あなたは海に漂流していたところを救助されたんです。一体、どうしたんですか?」
監視員の問いかけに、男性は最初、何を言われているのか分からないといった様子で、ぽかんとした表情を浮かべたまま辺りを見回していた。
やがて、少しずつ状況を飲み込み始めた男性が、震える唇をわななかせて絞り出した言葉は、その場の全員を凍りつかせるものだった。
『……私は、宇宙人にさらわれたんです』
居合わせた人たちが、困惑したように顔を見合わせる。
ショックによる精神の混乱か、あるいは――。
俺の心臓がドクリと嫌な跳ね方をした。
「宇宙人にさらわれた」その言葉は、俺にとって決して荒唐無稽な冗談などではないからだ。
◇◆◇
――その後。
救助された男性は、ほどなくして到着した救急隊のヘリに収容され、那覇市内の病院へと運ばれていった。
騒動がひと段落したのを見計らい、俺は人目を避けてカフェの外からROOTSへと連絡を入れる。
「はい、そうです。至急、照合をお願いします」
男性から聞き出した名前と住所、そして彼が「さらわれた」と主張している日付を報告し、データベースを調べてもらうようにお願いする。
数分後、返ってきた報告は、俺の予感を裏付ける内容だった。
今から約七年前、その男性と同姓同名の人物が行方不明になっている事実が判明した。
失踪場所は那覇市内。当時、会社の出張で沖縄を訪れていた彼は、訪問先の企業を出た直後、忽然と姿を消したのだという。
「先輩、これって……」
俺がROOTSからの報告を伝えると、藤宮が不安げに尋ねてくる。
「ああ、例のSNSで話題になっている『浦島事件』で間違いないな」
「宇宙人にさらわれたって話、本当なんですかね?」
「どうだろうな。ただ、七年もの空白期間がありながら、本人の主観では数時間しか経っていないかのような反応だった。何らかの超常的な事件に巻き込まれていることだけは、確実だろうな」
俺が考え込むように呟くと、隣にいたブッチがサングラスをクイと上げながら口を開いた。
「お前(神楽)がいるんだし、今回も大きな事件になる可能性が高いクワッ!」
「おい、縁起でもないフラグを立てるんじゃねーよ!」
まったく、こいつは嫌なことをいう。
だが、自信を持って否定できないのが悲しいところだ。
突き抜けるような青空とは裏腹に、俺の心中は重く沈む。
――嫌な予感しかしないんだが。
◇◆◇
――その日の夜、那覇市内の医療機関。
「先生! 例の患者たちが全員姿を消しました!」
一人の看護師が、顔を真っ青にして当直室へ駆け込んできた。
「……なんだと? どういうことだ。病室の入口には警察が常駐していただろう?」
「それが……。夜間巡視のために病室を確認した時には、既にどなたの姿もありませんでした。警察の方々も、何が起きたのか分からないと困惑していて……」
その言葉に医師は絶句した。
そこに収容されていたのは、最近沖縄周辺で相次いで発見されていた「過去から来た」と称する、例の『浦島事件』の当事者たちだった。
数年、数十年前に行方不明になった当時の若々しい姿のまま、現代に突如として現れた者たち。その中には、先ほど無人島から搬送されたばかりの、七年前に行方不明になっていたとされる、あの男性も含まれていた。
「馬鹿な……。重傷者こそいなかったが、皆ひどく混乱していたんだぞ。自力で、それも警察の目を盗んで一斉に姿を消すなどありえない」
現場を確認した医師が、ある不確かな、しかし戦慄を禁じ得ないことを呟く。
それは、「彼らは本当に抜け出したのか? まるで……その場から肉体そのものが消失したように見える」という常識では考えられない言葉だった。
◇◆◇
――遥か眼下に地球を望む、赤と黒が混ざり合う巨大な球状の異空間。
「ふむ……どうも上手くいきませんね。やはり通常の量子テレポーテーション技術の応用では、“時間移動”した先で被験者の肉体が維持できず、構造が崩壊してしまいますか」
その空間の主は、無機質で抑揚のない声で独り言をこぼす。モニターのような空間に映し出されているのは、例の帰還者たちが、光の粒子となって霧散していく光景だった。
「やはり、我々の悲願を成就させるためには……未知の力によって『瞬間移動』を成功させた個体――あの“オス”を直接確かめるしかないようですね」
そう呟いた生物の頭部は異様に大きく、真っ黒な瞳には白目が存在しない。耳元まで裂けた口が、わずかに歪む。
――その生物の名は、セイヴィア。
かつて『口裂け女事件』で神楽と藤宮を検体として拉致した、異形の救済者だった。




