57 乙姫物語と浦島事件
――翌朝。
俺たちはチャーター船に揺られ、那覇の港からロケ地である“無人島”へと向かった。
眼前に広がるのは、透き通ったエメラルドグリーンの海と、眩いほどに真っ白な砂浜だ。
今回のロケ地は無人島といっても、最低限の施設は整備されている。リゾート地らしく、浜辺では一般の観光客たちがマリンスポーツを楽しんでいるのが見える。
俺たちが桟橋に船を寄せると、撮影隊という大所帯の登場に、周囲の注目が一斉に集まった。そして、その中心に鏡見が姿を見せた瞬間、観光客の間にさざ波のようなざわめきが広がる。
「え、あれってもしかして『あかりん』じゃない……?」
「うそ、本物!? 撮影かなにかかな」
あちらこちらで、そんな驚きの声が上がり始める。
「さすがは人気アイドルだな。帽子とサングラスで変装してるっていうのに、一瞬でバレたぞ」
「それはやっぱり、滲み出るオーラが違うんですよ、先輩!」
感心する俺に、藤宮が自分のことのように胸を張って答える。
「お前も、妖怪相手なら負けてないクワッ!」
背後から、余計な一言を投げかけてきたのはブッチだ。
「おいブッチ。お前、河童のくせに海水は大丈夫なのか?」
「対策は抜かり無いクワッ」
自信満々に言い放つブッチの頭には、皿を海水から完全ガードするように、ド派手な黄色の水泳キャップが被せられている。
「特製クワッ!」
「ブッチくん、すごく似合ってるよ!」
「お前はやっぱり見込みがあるクワッ!」
藤宮に褒められて、ブッチもまんざらではない様子だ。
桟橋を進むと、撮影スタッフが観光客に向けて撮影が行われる旨の説明と、協力のお願いをして回っていた。鏡見も、集まった観光客に対して小さく手を振り、丁寧に対応している。
その少し先では、着々と撮影機材が運び込まれていくのが見えた。
「じゃあ、俺たちは邪魔にならないように、あそこの店で休憩してようか」
藤宮もブッチも俺の言葉に頷き、一緒に店に向かって歩き出す。
すると、そこへ観光客と思われる男二人組が不意に話しかけてきた。
「なぁ、あんたら“あかりん”の関係者か何かか?」
いきなりの問いかけに、俺は少し身構える。
「……あんたたちは?」
「俺たち、あかりんのファンクラブに入ってるんだよ! あれって、やっぱり噂の『乙姫物語』のミュージックビデオ撮影なんだろ?」
噂の乙姫物語?
聞き慣れない単語に、俺は隣の藤宮に視線を送った。すると藤宮は、「何かを知っている」のを隠そうとして、あからさまに視線を泳がせている。
……藤宮、バレバレなんだよ。
「いや、俺たちは撮影の関係者じゃないから、内容については詳しく聞いてないんだ」
誤魔化すように、無難に知らないフリをする。
「なんだよ、少しくらい教えてくれたっていいじゃねえか!」
いや、教えろと言われても、少なくとも“俺は”本当に知らないんだって。
「だから、本当に……」
「おい、あっちでスタッフが何か説明を始めるみたいだぞ!」
男の一人が言うと、二人組は俺たちの返事も待たずに撮影隊の方へと駆けていく。
「なんなんだよ、あいつら……」
「茜ちゃんの熱狂的なファンみたいですね」と藤宮。
「……で、さっき言ってた『乙姫物語』っていうのは何なんだ?」
お前、知ってるんだろ、とばかりに俺は藤宮を問い詰める。
「うっ……。えっと、実は茜ちゃんからこっそり聞いたんですけど。今回のドラマの原作が、『乙姫物語』っていうタイトルの小説らしいんですよ」
どこから漏れたのかは知らないが、公式にはまだ未公開の情報ということか。
「結構有名な噂ですけどね」
「なるほどな」
乙姫か……。
手際よく機材がセットされていくのを眺めながら、俺はROOTSに調査をお願いしていた『浦島事件』(過去からの帰還者)の話を二人に聞かせた。
「オレっちもその噂は知ってるクワッ。リスナーから『突撃取材してくれ』ってリクエストが山ほど来てたクワッ!」
ブッチよ……お前は一体、何を目指してるんだ。
呆れる俺の横で、ふと藤宮が沈黙していることに気づく。いつもなら「面白そうですね!」と身を乗り出してくるはずの藤宮が、どこか落ち着かない様子で視線を落としていた。
「先輩、浦島事件のこと調べてたんですね……」
「ん? どうした藤宮。いつになく食いつきが悪いな」
すると、藤宮は少し体を縮めるようにして言う。
「例の事件があったじゃないですか……。だから、こういう『宇宙人に誘拐みたいな話』を聞くと、ちょっと怖くなっちゃって」
藤宮の言う「例の事件」とは、当然『口裂け女事件』のことだ。あの日、俺たちは“セイヴィア”と名乗る異星人に、救済という名で拉致された。
藤宮はもう少しで、生きたまま検体として解体されるところだった。
俺が超能力に目覚めたことで、なんとか最悪の結末だけは回避したが……あの時に味わった絶望と恐怖は、そう簡単に拭えるものではない。
あいつは、まるで俺たち。いや、人類を実験動物のように扱った。
そこに悪意はなく、ただそれが“当たり前”であるかのように。
今でも、奴の感情が一切こもらない、吸い込まれるような真っ黒で巨大な瞳を思い出すと、背筋を氷の塊でなぞられたような戦慄が走る。
「あ、先輩。そろそろテスト撮影が始まるみたいですよ」
俺がそんな事を考えていると、藤宮の声がそれを引き戻した。藤宮はスタッフの方を指さして言う。
「ほら、見に行きましょうよ!」
言うが早いか、藤宮は俺の腕をグイと掴んで歩き出した。さっきまでの怯えを振り払うような、強引な明るさだった。
砂浜に設けられた撮影現場では、すでに機材のセッティングが完了し、スタッフたちが今か今かと主役の到着を待っていた。
やがて、遠巻きに様子をうかがっていた観光客たちの間に、さざ波のようなざわめきが広がる。
「撮影禁止」のプラカードを掲げたスタッフが慌ただしく動く、その向こう側から――。
本番用の衣装に身を包んだ鏡見茜が姿を現した。その瞬間、場の空気が変わった。
その衣装は、繊細なレースとフリルを幾重にも重ねた、薄い水色のドレス。鏡見が動くたびに、陽の光を浴びてキラキラと輝く装飾が、まるで物語の世界から抜け出したかのようだ。
その上から羽織った、薄絹の羽衣。風を孕んで軽やかにたなびくその布は、エメラルドグリーンの海の色を透かし、見る角度によって様々な表情を見せる。
髪には、沖縄の自然を思わせる鮮やかなハイビスカスの髪飾りが咲き誇り、潮風になびく髪が鏡見の表情をさらに魅力的に見せていた。
透き通る海と、真っ白な砂浜。そして、その中心で静かに微笑む鏡見。
そこに佇む鏡見の姿は、まさに浦島太郎の世界から抜け出してきた『乙姫』ように、沖縄の美しい風景に溶け込むように輝いていた。




