55 タイムトラベルは可能?
――浦島太郎。
日本人なら誰もが一度は耳にする、あまりにも有名な御伽話。
それは、昔々のお話。
浦島太郎は、子供にいじめられていた亀を助けたお礼として、海の底にある『竜宮城』へと招かれる。
乙姫による豪華な饗宴に、時を忘れて過ごす夢のような日々。
しかし、いざ地上へ戻ってみれば、そこはすでに長い歳月の流れ去った見知らぬ世界だった。
変わり果てた故郷に絶望し、決して「開けてはならない」と言われていた玉手箱を開けると、中から溢れ出した白煙を浴び――一瞬にして老人になってしまう。
めでたしめでたし……で括るにはあまりに救いのない、奇妙な物語。
――そして現代。
ある物理学者が言った。
時の流れは、光の速度へ近づくにつれて遅くなるのだと。
例えば、宇宙船に乗って光速の99%の速度で一年間旅をしたとする。その船が地球へ帰還したとき、地上では“約七年”もの歳月が流れている計算になる。
では、その速度が光速の99.9999%にまで達したなら?
答えは、なんと“七百年以上”の時間が過ぎ去っていると言うのだ……。
そう、これを俗に“ウラシマ効果”という。
まさに、アインシュタインの特殊相対性理論が証明する『浦島太郎』の世界だ。
◇◆◇
もうすぐ大学の夏休みも終わり。
カレンダーを見れば、大学が始まるまであと十日ほど。
「なんで休みってのは、こんなに速く過ぎるんだろうな……」
俺の夏休みだけ光速で過ぎ去っているんじゃないか。そんなことを考えながら、俺はエアコンの効いた部屋でベッドに寝転がり、残りの休日でどの積みゲーを片付けるべきか真剣に頭を悩ませていた。
「今年の休みは結構忙しくて、思ったより消化率悪いんだよな……」
原因ははっきりしている。度重なるROOTSの事件に、文字通り命がけで駆り出されていたからだ。もっとも、その見返りとして支払われた報酬のおかげで、軍資金に困らなくなったのはありがたい話なのだが。
その象徴が、先週届いたばかりの最新型・大画面テレビだ。
部屋の主役と言わんばかりの存在感を放つテレビ。これでするゲーム体験は、これまでの環境とは比較にならないほど最高だった。
「さて、とりあえず朝飯でも買いに行くか」
重い腰を上げてベッドから起き出し、コンビニに向かおうとしたところでスマホが震えた。
着信画面に表示されたのは、Sweepの星乃社長の名だ。
星乃社長からの電話の用件なんてひとつしかない。
そう思いながら、通話ボタンを押す。
「はい、神楽です」
「Sweepの星乃よ。朝早くからごめんなさいね」
「いえ。それで、どうかしたんですか?」
俺は身構えながら、彼女の次の言葉を待った。
「実は神楽くんたちに、指名の依頼が入ったんだけど……お願いできないかしら?」
「指名ですか。……相手は誰なんです?」
「鏡見さん。彼女から調査の依頼よ」
調査?
あの『死猿』の件は片付いたはずだ、また何かに巻き込まれたのか?
いや、それを言うなら俺も人のことは言えないが……。
「詳しい内容は電話では話せないから、一度会社まで来てもらえるかしら。あと、藤宮さんとブッチくんにも連絡をお願いできる?」
「分かりました。二人にはこちらから連絡を入れておきます」
「ええ、お願いね。待ってるわ」
簡潔にそれだけ告げると、星乃社長は電話を切った。
政府や国際機関からの要請で動くROOTSに対し、Sweepはあくまで民間からの依頼を請け負う会社だ。
聞いた話によると、民間からの依頼は結構あるらしい。
中には勘違いや、完全に警察の管轄であるような相談も少なくないらしいが、そのうちの何割かには、“本物”が混ざっている。
こうして怪異の疑いが濃厚だと判断された案件が、俺たちROOTS扱いとなるわけだ。
俺は、支度をして家を出る。
移動の合間に藤宮とブッチにも連絡を入れる。
藤宮はすぐに電話に出た。
すると、すでに鏡見と合流してSweepへ向かっている最中だという。
最近の二人は、ちょくちょく遊び歩くほどの仲になっているらしい。たまに楽しげなツーショット写真をLINEで送ってくるくらいだから、今回の件を真っ先に藤宮が相談されたとしても不思議ではないか。
というか、藤宮がSweepへの依頼を勧めたんじゃないかとさえ思える。
一方、ブッチは電話にこそ出なかったものの、すぐにLINEに返信が返ってきた。
『今ライブ配信中クワッ!』
……何のライブかは知らないが、とりあえずSweepに集合だとだけ伝えておいた。
◇◆◇
Sweepに到着し、そのまま会議室へと通される。
広い室内には、すでに星乃社長と社長秘書。そして藤宮と鏡見、そのマネージャーに、守護存在である“白狐ズ”が勢揃いしていた。
スマホを確認すると、ブッチからも「もうすぐ到着するクワ」と連絡が入っていた。
ほどなくしてブッチも合流し、今回の依頼についての説明が始まった。
「それでは鏡見さん、状況を説明していただけるかしら?」
「……はい。分かりました」
星乃社長が説明を促すと、まず口を開いたのは鏡見ではなく、彼女に付き添うマネージャーの女性だった。
「最初に、前回の『死猿』の件では、本当にありがとうございました」
マネージャーの女性は深々と頭を下げ、それから表情を険しくして言葉を継いだ。
「それで今回の依頼内容ですが……実は、前回の“ストーカー”が、また現れました」
部屋の空気が、一瞬で凍りついたように引き締まる。
「えっ!? また“死猿”が現れたってことか?」
俺は思わず身を乗り出して聞き返した。あの化け物の軍勢、そして猿神を思い出し背筋に冷たいものが走る。
だが、マネージャーは首を横に振った。
「いえ、おそらく死猿ではありません。そもそも、前回のストーカー事件は、初めから死猿とは『別件』だったのではないか。……っと、鈴さんがおっしゃるんです」
マネージャーの視線が、鏡見の隣に座る白狐・鈴へと向けられる。
鈴は頷くと、話を引き継いだ。
「あの時は、あまりにもタイミングが重なりすぎておった。ゆえに、我も茜を狙うストーカーと死猿共を、同一の存在と判断しておったのじゃが……」
鈴は一旦言葉を区切り、相棒である結を見る。
「そもそも、奴らの狙いだと思っておった鏡見家の“宝珠”じゃが……結局のところ、死猿どもはそれを必要としておらなんだ」
確かに、あの事件の始まりは「宝珠の力で猿神を復活させること」が目的だと思われていた。
だけど蓋を開けてみれば、結が死猿たちに力を分け与えたことで、宝珠などなくても猿神は復活してしまったのだ。
――そして。
「あの時、我は見誤ったのかもしれぬ。……あの事件の裏で本当に糸を引いていたのは、猿神などではなかったのではないか」
鈴の静かな声が、会議室に重く響く。
猿神という巨大な脅威の影に隠れて、もっと“別の何か”がずっと鏡見を狙っていた――。
その可能性に、部屋は深い沈黙に包まれていった。




