指イモムシのシチューと、「他人の不幸は蜜の味」。
不快な文章。
虫の話と気持ち悪い話。
私は「他人の不幸は蜜の味」という感情を知らない。この告白は“私は高潔だ”というアピールではなく、「悪い癖がある人間は死に方を選べない」という考えがあるため、その過程にある小さな不幸に何か思うことはない。
もちろん、そうした考えを持っている私もその対象である。私も死に方を選べないだろう。
さて、そんな自分の話はどうでもよくて、私は少年院に入っていたから、少年たちがどんな苦しみを受けているか直接見てきた。
私の見立てが正しければ、これから話す内容に「罪人が苦しんでて、不幸の蜜が美味しいな〜。」と感じる人間がいるはずである。
もし楽しめなかったのなら、それは私がまだ不幸から湧き出る蜜の味を理解していないということでもあるから、それは申し訳ない。
あなたはどんな人間?
◇
私がいた少年院では週に2回、カレーかシチューが出てくる。少年院の食事は、国からの予算や配置されている人員の調理スキル事情もあって、金たわしが生えている唐揚げや、洗剤の味がする鶏肉など、バラエティ豊かな献立である。
その中でもとりわけ「指イモムシのシチュー」は、社会の理不尽さを思い出させる、よくできた料理だと思う。
「指イモムシのシチュー」とは、大人の人差し指くらいはある太ったイモムシが混入しているシチューのことだ。
運が良ければ、一口目としてすくったスプーンの上で、干された布団のように垂れ下がる大きなイモムシの姿を見ることになる。
イモムシの足裏や膨らんだ腹脚。
人間とは違う様態の半開きになった唇。
それは少年院にいるような肝が据わった人間だとしても顔をしかめ、「⋯うわっ」と声を上げるくらい不快な体験である。
そしてその不運な体験をした少年は難しい選択をしなければならない。
・食べれば「巨大な虫が身体を温めていたシチューを自分の意思で食べる不快な体験。」
・食べなければ「自分だけがシチューを食べられず、『教官が取り替えてくれる』といった望んだ救済が、予算やスケジュールに縛られている少年院では“無い”という無情な体験。」
どちらを選んでも、自身に起きた不運を回復することはできない。
これは、一般的な「不幸」にあたるのだろうか?
それとも、少年院に入るような人間であるから「妥当な体験」だと解釈されるのだろうか?
あなたはどう感じる?
この話に蜜は湧き出てる?
◇
私は少年院に入った。
そしてそこで洗剤の味の鶏肉や、金たわし入りの唐揚げ、小さなイモムシが数匹入ったシチューを何度か食べてきた。
少年院に入る前の施設では、髪の毛が入った食事はもちろん、市販の靴下をとめている金具のような物が入った食事にも当たったことがある。
私はそれに対して特に何も思わなかった。
家で出てくる食事は基本的に水浸しであり、フヤケた揚げ物や虫が集まってくるパスタ。腐った肉をケチャップで炒めたものに、舌に乗せただけで舌の感覚がなくなる漬物。
死んで放置された熱帯魚の水槽からは腐敗臭が漂って、熱帯魚から生えた白い糸が揺れているのを尻目に食べる、極小の幼虫と一緒に炊かれた白米。
そうした不幸な経験が、私の食事に対する基準を下げていたから、家で食べていた味も悪く、見た目も悪い食事よりは、少年院などの“ときたま不運な食事”はだいぶマシに思えた。
さて、私の話を聞いて蜜は湧いた?
たぶん湧いていないと思う。
「不幸が美味しい」というよりは、不快で理解できないエピソードが多いから「同情」のほうが強まるのではないかと思う。
あなたはどんな人?
【あとがき】
そもそも「水浸しの料理とはどんな状態なのか?」という話だが、私の実家で出てくる料理は、白米に、メインとキャベツの千切りを一皿にまとめた物というのが基本だ。
母はキャベツの千切りをすると水を張ったボウルに入れて保存するわけだが、冷凍の揚げ物を皿に盛ったあと、キャベツの水を切らずに皿へ乗せるから、お皿の中には大量の水が溜まる。
面白いよね。
意味がわからなくて。
私はアダムスファミリーとか結構好きなんだけど、そこのお父さんが娘に向かって「私の嵐よ!」と言っているのを見て「面白いなー」って思った。
たぶん、愛しい娘を見たときの言い表せない感情を嵐に例えてるんだと思う。
不思議で奇妙なものって、面白いよね。




