第4話 狐憑き疑惑と池の鯉
私は胃カメラ検査を行った翌日、昼休みに高校の保健室を訪れた。
呼び出したのは“アマゾネス”南条歩希である。
「朱雀坂七津姫さん。今日来てもらった理由は察しがついているわよね」
アマゾネスは前回よりも若干柔らかい物腰で聞いてきた。
「胃カメラ検査の結果は異常ありませんでしたが、聖ダルム病院のお医者さんから南条先生に何か相談があったということですよね…」
私は検査に関することだけを答えて、当たり前だがゴイっちのことには一切触れなかった。
「あなた、私が何て呼ばれているか知ってる?」
「あのぅそのぅ……何て言うか」
私がもごもご言っていると、南条先生は自分のニックネームについて話し出した。
「ギリシア神話に出てくる勇猛な女武者の部族だとか、トルコの黒海沿岸に実在した女戦士軍団だとか言い伝えられている“アマゾネス”からつけられたニックネームということは知っていた?」
「え、いえ、そこまで詳しくは聞いていませんでした」
「今でこそアマゾネスなんて言われてるけど、私も心が折れそうになったことはあるのよ」
何か想像した展開と違う。
アマゾネスがまさかのカミングアウトをはじめるとは思わなかった。
「いい。私はこれからトラウマ級の体験を話すから、あなたには参考にして欲しいの」
私は「は、はい」と答えるのがやっとで、ごくりと生唾を飲み込んだ。
アマゾネスが語った体験談とそれにまつわる情報は次のようなものだった。
「狐狗狸さん」という妖怪を呼び出して占ってもらう遊びは明治時代からあったという。昭和に入ってから1970年代に再び流行して、メディアでも取り上げられた。一部の学校では子どもたちが 「狐憑き」状態になる事例まであり、禁止令が出たほどだ。
1980年代になると女子たちを中心に形を変えて「キューピッドさん」という降霊術が流行った。このような怖さ半分でスリルを楽しむ遊びは形を変えて残り、胸を圧迫して落とすいわゆる「失神ゲーム」は2000年代になっても続き問題視された。
アマゾネスがまだ養護教諭になったばかりの頃、赴任した中学校の保健室に女子生徒たちが駆け込んできたという。
「先生、こっくりさんをやっていたら、狐に憑かれたみたいなんです」
皆から囲まれるようにして連れてこられた女生徒は、目がつり上がった顔つきで「ニワトリ!ニワトリが逃げる」と叫んで何かを捕まえようと狐のように跳び回った。
やがて、ふらりと倒れてしまったのでベッドに寝かせて様子を見ていたところ、今度は連れてきた生徒たちが「ニワトリがいる!」と騒ぎ出した。
次々と床に倒れていったので、手に負えないと判断したアマゾネスは救急車を呼んだそうだ。
新米時代の体験談を明かしたアマゾネスは、私に向かって懺悔した。
「保健室の先生が手をこまねいて救急車を呼ぶなんて、情けないと思ったの。まだ赴任したばかりで混乱する生徒たちを落ち着かせることもできず、しばらく落ち込んでいたわ」
「でも、こっくりさんをしたのは生徒たちなんだから、先生のせいじゃないですよ。救急車だってすぐ呼ぶべきだし」
私は何とかいつものアマゾネスに戻ってほしくて励ますつもりで声を掛けた。
「だからね、朱雀坂さん。あなたを何とか救いたいの」
「え?」
どんでん返しにあったようで、言葉が見つからなかった。
アマゾネスが聖ダルム病院の医師から受けた報告によると、私は胃カメラ検査のため麻酔で眠っている間、不可解な言動を繰り返したという。
「うおー」、「ふえー」と意味不明な言葉を発したかと思えば、両手で宙をかいて泳ぐような動きをするので、検査に支障がないよう押さえつけたそうだ。
「いやいやいや、それだけを聞いたら、まるで狐憑きやし」
私は内心焦った。
「朱雀坂さん、狐憑きはこっくりさんやキューピッドさんよりもっと昔からあるのよ」
アマゾネスは、狐憑きについて再び語りはじめた。
「平安時代の昔から狐憑きと呼ばれる事象はあったけど、近代におけるこっくりさんやキューピッドさんについては研究もされているわ。狐が憑いたように錯乱状態となるのは、心の病、つまり精神病の一つであるという説が有力なの」
私がその話を聞いて違和感を禁じ得ないことを、顔色で察したのだろう。
「でもね、朱雀坂さん。私はあなたが狐憑きだと断定したくはないの。だからもっと詳しく話してくれないかな」
アマゾネスが核心を突いてきた。
私は戸惑った。アマゾネスがこっくりさんにまつわる自身の体験を明かしてくれたことには誠意を感じる。しかし、狐憑きありきで話を進めようとしているようにしか思えない。ここでもし、ゴイっちのことを話しても狐憑きと結びつけられそうな気がするのだ。
「すみません、ちょっと頭が混乱しちゃって。少し整理してからまた話を聞いてもらっていいですか」
私なりに真摯に気持ちを伝えたところ、アマゾネスもそれ以上踏み込んではこなかった。
「わかったわ。焦ることはないから。また何かあったら相談してちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
保健室を出るときは、来たときよりももっとモヤモヤしていた。
私自身が何を信じてよいかわからなくなりそうだったからだ。
「なつき!」
保健室から出ると外で君枝が待っていてくれたので、落ち込んでいた心が救われた。持つべきものは友である。
「アマゾネスに何て言われたの?」
そう聞かれたので答えた。
「うん…。実は昨日、胃カメラの検査したんだ。その件でちょっとね」
夏休み明けのさわやかな青空が広がって、中庭は緑色の芝生が輝いていた。
芝生に座って本を読む者、車座になって笑顔でおしゃべりする男女のグループ、楽器を鳴らす吹奏楽部、それぞれに「青春してる」という感じだ。
二人でぶらぶら歩きながら話した。
「検査結果はどうだったの?」
君枝は心配してくれていたのだ。本当はいち早く知らせるべきだった。
「ごめん、黙っていて。胃カメラの結果は異常なかったんだけど…」
私が口ごもったからだろう。気遣うように言葉を継ぐ。
「あ、無理しなくていいよ。話しにくいことだったら…」
「でもやっぱり、君枝には聞いといてほしい」
「うん」
君枝は何かを感じ取ったようで、真顔でうなずいた。
胃カメラ検査のため麻酔で眠っている間に、奇妙な言動をしたため、病院の医師がアマゾネスに報告したくだりを話した。
「そしたら、アマゾネスは狐憑きの可能性があるっていうの。後から狐憑きと断定したくないってフォローしていたけど、何かショックだった」
君枝にもゴイっちのことまでは明かせなかった。
「うーん。私はさぁ、学食で豹変したなつきを見ているじゃん」
「だよね。何なら、私より私の変身ぶりを知っていることになるね」
私は相づちを打ちながら、君枝が何を言おうとしているのか何となくわかった。
「だから……友だちとしてこれは言っておくべきだと思うのね」
「うん」
今度は私が真顔でうなずいた。
「アマゾネスが言うことも一理あると思う」
「狐憑きかもしれないってこと?」
わかっていても、言われたらやはり辛い。
「狐憑きっていう表現があっているかはわからないけど、あの瞬間はなつきじゃなかったもん」
君枝が中庭にある池のほとりにしゃがんで本音を明かした。
そこまで真剣に心配してくれるのは君枝だけだろう。私も覚悟を決めるときかもしれない。
君枝の隣にしゃがんで、どうするべきか考えを巡らせた。
「鯉」
私は何を言ってるのだ…。
「え?恋? 何よやぶからぼうに」
君枝は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で聞き返した。
「鯉が泳いでる」
「なつき?ちょっと、どうしたの?」
今度は自分でもわかった。
自分の意志とは関係なく得体の知れない力によって体が動くのを感じたのだ。
「バシャーン」
制服のまま池に飛び込んで、鯉を追いかけて手づかみすると、口に放り込んだ。
30センチはありそうな丸々とした鯉を頭から飲み込もうとしたが、なかなか入っていかない。
「きゃー!なつきーーーやめてーーー」
君枝が池に足をつけてジャブジャブ走って来る音と、止めようとする叫び声が聞こえた。
その時、何者かが池に飛び込んできて私を羽交い締めにした。
私の口からは錦鯉の白い尾びれだけが飛び出してヒクヒク動いている。
君枝は、錦鯉の尾びれを掴んで引っこ抜くと、私を羽交い締めにしている人に問いかけた。
「あなた名前は?何年何組?」
極めて命令的だ。
「小田文吾。1年A組です」
事務的に答えた。男子生徒のようだ。
「ん~、この状態で保健室に行けば、アマゾネスの思う壺になるかも。オダブン!タクシーに乗せるから校門前まで連れて行くわよ」
「は、はい」
私は鯉を咥えていても、意識はちゃんと朱雀坂七津姫なので会話の意味もわかるし、状況も理解できる。
1年生で後輩ということもあるだろうが、いきなり「オダブン」呼びされた小田文吾とやらは君枝の迫力に完全に圧倒されていた。
とにかく、私は小田文吾から羽交い締めにされたまま、校門前まで連行されたのである。
我が校はタクシーで通学するお嬢様やお坊ちゃまが少なからずいるので、校門前には何台か待機している。
君枝は先頭に停まっているタクシーに乗って私を引きずり込むと「荒野川公園前のバス停まで」と行き先を告げた。
二人とも白を基調とした夏用のセーラー服は池の水でびしょびしょだったが、厳しい残暑とほどよい風のおかげでかなり乾いてきた。
タクシーの運転手さんも「しょうがねえな」という気配を滲ませながら、乗車拒否しては今後の営業に差し障るかもしれないので、しぶしぶ乗せてくれたという空気だった。
「オダブン。ありがとね。事情は今度会った時に話すから。あ、それと2のCの担任にスザクザカとリュウゲジは早退するって言っといて。よろしくね」
立花寺君枝。端から見ているとつくづく「やる奴」だと痛感せざるを得ない。将来はアマゾネスのような女になりそうだ。
そんなのんきなことを考えている場合ではない。これから私はどうずればよいのだろうか?
「とりあえず、なつきんちに連れて行くから。それから今後のことを考えよう」
君枝はこの僅かな時間で、私が学食の時とは違い、自我をしっかり持っていることを見抜いている。やっぱり頼りになる奴だ。
運転手さんに自宅が知られないように、少し離れた荒野川公園前でタクシーを停めてもらった君枝は、料金を払い丁寧にお礼を言った。よい意味でそつがない。
我が家に着くと、妹が小学校から帰っていた……。




