↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/20

3話

 「カーター・アイゼンハルト。国からの特務です。二年前の凍てつく凶霧(フロスト・タイド)の討ち漏らし……残党の後始末ですよ」


 部屋の入口に立つ、鼻持ちならないエリート魔導師は、兄弟の視線を受けるなり、そう告げた。


 ――二年前の凍てつく凶霧(フロスト・タイド)……。

 ビィの肩が小さく跳ねる。


 兄、カーターは、もともと王宮勤めの騎士だった。

 軍の中でも精鋭部隊に所属し、将来を嘱望されていたようだが、二年前、ビィのために職を辞した。

 しかし、その後も時折特務の名目で、危険な仕事――並みの兵士や魔導師の手に負えない難敵の討伐が宛がわれていた。この伝言係の手によって。


 ――そもそもこの人、ほんとに宮廷魔導師なのかな……。国中で選び抜かれた魔導師が、伝言係って、おかしいよね……。


 うろんな眼差しに気づいたのか、ヴァルカーがビィへ視線を向けた。


 「なにか?」

 「ひぇっ。な、何でもありません……」


 冷たい視線に肩をすくめ、思わず兄の後ろに隠れる。

 ヴァルカーは不愉快気に鼻を鳴らすと、手元の書類へ視線を落として、詳細を淡々と告げ始めた。


 「対象は鏡の魔獣《イルジオンシュピーゲル》。二年前の惨劇以降、息を潜めていたが、ふた月ほど前から哭き声の森(ハイレン・ヴァルト)近郊で、対象のものと思われる被害が確認され始めた」


 鏡の魔獣《イルジオンシュピーゲル》。その名に、ビィの背筋が粟立つ。

 鏡面で、人の心を映す幻影を見せると言われる魔獣だ。

 その幻影で、精神を蝕み自滅させる。物理的な脅威は低いが、あの夜の混乱に拍車をかけ、深霧(ティーフネーベル)を壊滅させた一因となったとも言われている。


 「近隣では、幻惑被害や行方不明者が多数発生。国から討伐隊が派遣されたが、二度全滅。三度目の派遣では一人帰還したものの、ひどく錯乱しており、正確な情報は得られなかった」


 聞かされた被害の大きさに手が震え、ビィは思わず兄のシャツの裾を握った。

 しかし、カーターは、怖気る様子もなく、ヴァルカーから書類を受け取る。


 「に、兄さ……」

 「今回は、私も同行します」


 思わぬ声に、ビィはバッと顔を上げた。


 「……えっ?」


 ――き、聞き間違い?


 「ヴァルカーさん、ついてくるんですか? 今回の任務……。伝言係なんてやってるのに、大丈夫です……ひえっ」


 細められた紫青の眼が、ビィを突き刺す。

 秀麗な眉が、ぴくりと動き、引き攣った顔が、何かを言いかけた形のまま固まる。


 そして深くため息をつくと、低く削れた声で、吐き出した。

 「……失礼な方ですね、相変わらず」


 「す、すみません……。でも、本当に……」

 「ビィ」


 静かな声が、差し込まれた。


 「ヴァルカーなら大丈夫だ。来てくれるなら、心強い」

 「兄さんが、そういうなら……」


 ビィは、カーターの背に隠れたまま、ヴァルカーをちらりと見やった。

 ヴァルカーは、場を取り持ったはずのカーターを、なぜかじろりとねめつけていた。


 「これ以上、被害を広げるわけにはいきません。明朝、馬車で霧除けの街(アイヒェンベルク)へ向かいます」


 そう言い残すと、ヴァルカーは踵を返した。

 廊下から、冷えた空気が流れ込んでくる。

 兄さんを危ない目に遭わせたくない。そう思うたびに、胸の底でじくりと灯るものがある。


 ――今度こそ、役に立たなければ。


*


 ヴァルカーが去ると、部屋に静けさが戻った。

 カーターが椅子を引いて座る。ビィも向かいに腰を下ろした。霧が窓を白く塗り潰している。


 「今回の任務だが」


 抑揚を抑えた、静かな声。


 「対象は、二年前の鏡の魔獣《イルジオンシュピーゲル》……”媒介”にも期待できそうだ」


 ビィは、ごくりと息を呑み、小さく頷いた。


 禁忌の術の媒介となるという高魔力結晶——それを求めて、二人はずっと各地を巡っている。

 その結晶は、強力な魔力を帯びた魔獣の体内に、稀に生成されるという。

 だから兄は、危険を冒して国の任務に従っている。


 高魔力結晶を求めているのは、王都の奥深くで禁忌の研究に没頭しているという、大魔導師。


 万魔の魔導公(グリモワール)。


 二年前の凍てつく凶霧(フロスト・タイド)を鎮めた英雄。

 そして、今は王都で隠遁し、屍を操る死霊術に、死者を冥界から呼び戻すという反魂術、などという、禁忌の術を研究しているという噂が、まことしやかに囁かれていた。


 カーターは、かつて王宮で、万魔の魔導公(グリモワール)の専任護衛騎士を務めていた。

 そして、辞任の条件として、高魔力結晶の入手を言いつけられたのだという。

 相手は国の英雄、大魔導師。従う他道はなかった。


 それもこれも、すべてビィのせいだった。


 二年前、あの惨劇の日、ビィは他の魔導師協会員と同じく、街の防衛任務に就いていた。

 例年どおりであれば、魔獣たちは前線の魔導師団に阻まれ、街に到達することはないはずだった。

 しかし、前線は瓦解。魔獣の群れが街を襲った。そのうちの一体の爪がビィを切り裂き……気がつくと、病院のベッドの上だった。


 目を覚ました瞬間の、鼻を突く薬の匂い。身体を内側から焼くような高熱。瞼を開けるのが、糊で塗り固められたように重かった。


 視界が滲む中に、兄の顔が見えた。

 ビィの額に触れた手が、ひんやりとして、心地よかった。熱に浮かされた身体に、その冷たさだけが、澄んでいた。


 後から知った。

 自分が生死の境を彷徨っていた間に、カーターは宮廷騎士という栄職を、辞していたのだと。

 ビィをすぐそばで守るために。――相談も、報告も、一切なしに。


 ――兄さんの未来を、僕が奪った。


 「……兄さん」


 ビィは机の木目を見つめながら、言い募った。


 「結晶が見つかれば、グリモワール様との交換条件が果たせる。そうしたら兄さんは、あの人に縛られなくて済む」


 カーターは、静かにビィを見つめていた。

 だんだんと、早口になっているのが、自分でもわかった。


 「そうしたら……そうしたらまた昔みたいに――!」


 その言葉の裏側を、自分で聞いてしまった。


 ――僕だけの兄さんに、戻ってほしい。


 兄を解放したいという気持ちと、取り戻したいという欲が、区別もつかずに絡まっている。


 ――最低だ。

 ――兄さんは栄誉の道を捨てて、今もそばにいてくれている。なのに僕は、自分のことばっかり……。


 ビィは俯いた。


 「……ごめん。変なこと言った」

 「変なこと?」


 兄の声に、気にした様子はなかった。

 いつもと同じ、穏やかな微笑み。


 しっかりしなければ。

 エゴを、贖罪に変えなければ。

 兄の未来を奪ったのなら、取り戻す手伝いをする。縛り付けているものを、解き放つ。

 そのために強くなる。いつか本当に、役に立てる「相棒」になる。


 「次の任務、絶対に成果を出す」


 ビィは顔を上げた。


 「約束する」


 カーターは笑みを深くして、頷いた。

 霧が、窓の外で静かに流れていた。


*


 翌朝、ビィとカーターは宿を辞して、ヴァルカーとの待ち合わせ場所へ向かった。


 朝の白い霧の中、街の中心部を走る大通りを進む。

 霧の中にヴァルカーの姿が浮き上がり、声を掛けようとしたところで、ともに現れた影に、ビィは間抜けたように口を開けた。


 「よっ、四頭仕立ての、高級馬車……」


 細かな彫刻が施された黒塗りの車体。前方に二頭、後方に予備の二頭、立派な毛並みの馬が繋がれている。


 「なにをぼんやりしているんです。さっさと出発しますよ」


 ヴァルカーは呆れたように声を掛けると、そのまま馬車に乗り込もうとする。


 「で、でもっ、こ、これっ、馬車代っ……!」

 「馬車代? ここから三日ほどですから、金貨二、三枚ほどですかね」

 「き、きんっ……!」

 「何をそんな気にして……ああ。あなたは気にしなくて構いませんよ。私持ちです」

 「ふぇっ……」


 理解が追い付かないビィの背を、カーターがそっと押した。


 「ビィ、大丈夫。気を付けて乗り込め」


 ビィの頭が再び動き出したのは、馬車に揺られて、半刻ほどもたった頃だった。


 「……ヴァルカーさん、ほんとに宮廷にお勤めだったんですねぇ……」

 「なんだと?」

 「す、すみませっ……」


*


 馬車に揺られて数刻は経っただろうか。

 窓の外には、この国では珍しい、貴重な薄日が差していた。

 にもかかわらず、四頭立ての豪華な馬車内だけは、極寒の地と化していた。


 「……わ、わぁ、外はいい天気ですねぇ」

 「そうですね」


 「…………さすが高級馬車、全然揺れません!」

 「そうですか」


 「……………………」

 「無理に話を振る必要はありません」


 ――き、気まずい……。


 馬車内は三人だけ。

 手持無沙汰もいいところで、もう二回も荷物の点検をしてしまった。


 「ヴァルカー、少しくらい話し相手になってやってくれないか」


 カーターがとりなすように声を掛ける。

 が、ヴァルカーは露骨に眉をひそめると、何も答えず、慣れた手つきで内ポケットの小袋からドライフルーツをつまみ、口へ放り込んだ。


 ――か、感じわるぅ……!

 ――……敵……敵だ……ヴァルカーさんは敵!


 ビィの中のヴァルカー評は、ついに地底をぶち抜いた。

 むくれたまま、行き場のない手で荷物を開き、三度目になる点検を始める。


 薬草を一本一本数え直し、包みを整え、調合道具をしまい直す。

 小さくため息をつき、薬草の束を手に取った、その時だった。

 じっとこちらを見つめる視線に気づき、ビィは顔を上げる。


 「……どうかしましたか?」

 「いや。……月光草の蒸留液は用意していないのですか?」

 「月光草?」

 「今回の対象は鏡の魔獣《イルジオンシュピーゲル》。奴の幻影を暴くには、月光の魔力特性が必要です」


 まるで「当然持ってきているはずだ」と確認するような口ぶりだった。


 「えっと、今回の現場……哭き声の森(ハイレン・ヴァルト)、今は『反転霧』の状態なので……月光系の触媒は魔力干渉を起こして、使った瞬間に術式が爆発すると思いますよ……?」


 話が噛み合わず、ビィは思わず首を傾げた。


 「……反転霧、ですか」


 紫青の目が、わずかに細められる。


 「霧の粒子が、通常と逆の魔力特性を帯びる、という。……あの与太話を、本気で前提にしていると?」

 「与太話って……月光草の蒸留液を使うと、魔力経路が逆流して……」


 ビィは、頭の中で文献の記述を辿りながら、思い当たる文献を一つずつ挙げていく。


 「《氷森の弔い歌》にも載ってるんです。『霧の底で月を歌えば、銀の糸が逆流して命を食らう』、って」

 「あんなものは酒場の酔っ払いが歌う、出鱈目な叙事詩でしょう。傍流の道楽研究所が騒いでいるらしいが、魔導院では実証されていない」

 「や、でも、アーベント遺物研究所とクライス気象導力研究所の共同研究では、あの詩の『銀の糸』は反転した魔力経路の隠語だと実証されていて……」


 ヴァルカーは目を瞬かせた。

 一瞬、ばつの悪そうな沈黙が落ちる。


 「ほら、実際に、今回の現場の報告書の気象記録の欄に――付記のところです――霧の組成値が通常偏差の一・七倍という数字があったでしょう? あの数値だと、反転霧の発生条件を満たしていると思うんですが……」


 こんな基本知識で、どうして話が噛み合わないのだろう。


 「……え? ヴァルカーさん、宮廷魔導師……ですよね? 大丈夫、ですか……?」


 ヴァルカーは目を見開いたまま固まった。

 そして、見る見るうちに引き攣っていく。


 ビィは、はっとした。


 「だ、だからヴァルカーさん、伝言係なんてやらされ……」

 「おい……!」


 地を這うような低い声。


 「ひぇっ! ご、ごめんなさ……っ!」


 ビィは思わずカーターの腕にすがりついた。


 ――やっぱり、この人とは仲良くなれそうにない。


 ビィは心の中で深くため息をつきながら、馬車の外へ視線を逃がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。