第88話 ちょっとホラー
「ひー!」
火種ちゃんの声が、建物の間で反響する。
俺たちの靴音まで、普段より響いた……気がする。
さっきから続く静けさは、中心部へ進むほど深くなっていた。
「……レンリ。さっきより、祈力が濃くなっているわ」
『静かすぎる』
『ノイズキャンセル?』
『なんかホラー』
『バグってる感』
視線を動かし、辺りを見ているリィン。
「……この通りに満ちているのは、祈跡からあふれた祈力よ。高密度の祈力ね」
「音が聞こえにくいのはそのせいなのかな」
ニーナは白いドレスのような服を揺らし、少し跳ねるように歩いていた。
「中心部に近づいてる」
「恐らくこの通りを抜けた先です。ですが、明かりが少なくなっている感じがしますね」
頭上の街灯は灯っている。
だが、白い光はぼんやりとしており、地面まで届いていない。
周りを見回した。
その時。
閉まっていたはずの扉が開いて見えた。
しかも二重に重なって見える。
「今……ドアが」
「私も見えました。ドアが開いたように」
隣の建物も、窓が細長い形へ変わり、瞬きをする間に普通のガラス窓へ戻っていた。
「……見間違いではないわ。この場所の記憶だと思う。わたしの祈力を重ねれば、もう少し長く映せるかもしれない」
「土地の記憶?」
俺の言葉に対し、リィンは頷く。
「……そう。ただ、見ても危険なことはないと思う。思い出したの」
細い道が交わる場所で、足を止めたリィン。
「分かった。やってみてほしい」
「……わかった」
リィンが儀仗杖を地面へ向ける。
乃々さんとニーナがリィンの近くへ寄り、俺は通りの奥が見える位置へ移動した。
「……祈る。地脈と四つ角の主。地脈の連なりに在るものよ、応えよ」
金色の光が辺りに満ちていく。
「……其は暗きを照らし、仄かに輝く。薄暮の光、灯火」
現代的なビルや家屋の上に映るかのように、別の風景が重なっていく。
土地の記憶とは……どういうことなんだろうか。
過去の時代の風景ではない……これは異世界の風景。
「配信にもリィンちゃんの祈跡が映ってますね」
軒先には白い布が垂れ、店らしい建物の前には果物が積まれている。
建物も道具もはっきり見えるのに、人の姿はなかった。
「……待って。向こうに誰かいる」
奥を注視すると、何かぼんやりしたものが見えた。
「白い服を着た人影が、一人……こちらへ歩いてきます」
「ほんとだ」
人影は長く白い儀式用の服装で、フードが顔を覆っていた。
しかし、特徴的なのは……渇いて褐色になった肌。
「あれは……人じゃない。顔も手も、もう生きている色じゃない」
「……屍者よ。でも、普通の屍者ではないわ。かなり高位の……」
当然だが、白い屍者は俺たちへ反応しない。
歩幅も進路も変えず、顔を伏せたまま近づいてくる。
「ひー……」
火種ちゃんが俺の肩の後ろへ寄り、その身を小さく揺らした。
「……これは、過去に起きたことを繰り返しているだけ——」
屍者が、リィンのすぐ横を通り過ぎる。
「止まりました」
「……待って。今のわたしたちは、この記憶の情景にはいない。止まる理由がないわ」
身体は前に向けたまま、首だけがゆっくりと……動いた。
顔はまっすぐリィンに向いている。
その動きに気づいた視聴者のコメントが、《フライ》が映すホログラムへ流れる。
『こっち見た』
『記憶を映す魔法じゃないのか?』
『なんでリィンちゃんだけ見てる』
『異世界の風景? 屍者?』
『こえええええ』
「……祈力を絶つわ」
リィンが儀仗杖を地面から持ち上げる。
辺りにあふれていた金色の光が消えていく。
「あれ……? 風景が戻りませんよ……!」
リィンが流していた祈力は止まったはずなのに、異世界の街並みも屍者も残っている。
「どうして……もう祈力を流していないのに。本来なら、さっきまでの揺らぎに戻るはずよ」
「まだリィンのこと、見てる」
屍者が向きを変えた。
リィンへ向かって足を踏み出す。
『リィン様、あの方をお救いください』
かすれた声が聞こえた瞬間、過去の街並みが一斉に消えた。
街灯の明かりが戻る。
白い屍者も、もういない。
「配信は切れていません。今の人影も、記録に残っています。ですが……」
『何か聞こえた?』
『ノイズ走った』
『最後見えなかった』
『配信飛んだ』
よくわからないが、配信は問題があったようだ。
背後で乃々さんが《フライ》に向かって話している。
異常な静けさは変わらず、耳が痛くなりそうだ。
「リィン、大丈夫?」
「……ええ。驚いただけ」
声は落ち着いている。
「さっき何か言ってたけど……」
大きな杖を握る指にはまだ、力が入っている。
続いて、リィンが身につけている《忘れものの鈴》が、静まりかえった小径で小さく鳴った。
「あ……《忘れものの鈴》が鳴りました」
「今の人を見て、何か思い出した?」
「……何も思い出せない。でも、初めて会ったとは思えないの」
ニーナがリィンの手を取り、両手で包む。
「リィン、手が冷たい。ニーナも、そばにいる」
「……ありがとう、ニーナ」
「連理さん。さっきの人影が踏み出した場所を見てください!」
乃々さんの指先を追う。
舗装された道路に残る足跡。
「この足跡も、リィンの祈跡の影響?」
リィンはゆっくり首を振る。
「……違う。わたしの祈力が残したものではないわ」
消えた人影がいた場所を、リィンは見つめ続けていた。
「……あの人……わたしに何か……」




