第73話 無慈悲な夜の女王
《秘密の抜け穴♡》を抜けた先で、俺は突き当たりの小さな扉を押した。
見えたのは、天井の高い中央区画。
「すごい……本当に先回りできました! と思いましたが……」
乃々さんが声を弾ませた直後、右手の通路から足音が響いた。
《オブリージュ》の三人が、こちらへ駆け込んでくる。
「京ちゃん、後ろ閉まる!」
「見えている。夏、先に入れ!」
「はいはいー。二人とも急いでねー」
園田夏が床へ小瓶を投げる。
砕けた瓶から白い光が広がり、三人の足を速めた。
《オブリージュ》が滑り込んだ直後、通路の防火扉が落ちる。
「裏道で先回りしたつもりだったんだけど、ほとんど同着だったね」
「裏道があったんだねー」
「また君たちか。裏ルートまで同じ区画へつながっているとは、ずいぶん趣味の悪い砦だ」
その時、低い咆哮が会話を遮った。
「グルルルァ!」
区画の真ん中で、ひときわ大きなコボルトが長槍を床へ打ちつける。
「あれは……ハイ・コボルトだよ! コボルトたちのボス的なやつ!」
みゅーの声に、高城が応えた。
「二メートルは超えているように思えるな。確かに、ボスという感じはある。隊長……という感じか」
盾兵が区画の幅いっぱいに並び、大盾同士を重ねた。
間隙なく。
その背後には槍兵。
頭上の足場では、弓兵が二列になって矢をつがえている。
「盾兵、槍兵、弓兵。かなり堅いです」
「みんなヘルメットかぶってるし現場監督が強い」
そう呟くニーナに対して、俺は返した。
「感心してる場合じゃないんだけど、ちょっと分かる」
『合流したと思ったら包囲』
『隊長の配置がガチ』
『これ正面から抜けるの無理では』
隊長が槍を振り下ろす。
大盾の列が隙間なく迫り、足場の弓兵が盾列の上から俺たちを狙った。
「ボクが正面を受ける。みゅー、上を落とせ」
「りょーかい。夏ちゃん、弓避けちょーだい」
「五秒だけねー」
夏の小瓶が割れ、光が一帯を包む。
放たれた矢は見えない何かを避けるように外れていった。
その間……。
高城は迫る盾列へ正面からぶつかり、その頭上をみゅーの魔砲が貫いていく。
早い。そしてお手本のような連携だ。
「なるほど。判断が早いね」
「感心している暇があるなら手を動かしたまえ!」
「そうだった。よし、ニーナ、矢をお願い」
「《結晶盾》」
青く透き通る結晶の塊が頭上へ広がり、降り注いだ矢を受け止めた。
俺は高城の横から《燻り火の剣》を大盾の隙間へ滑らせる。
ガギン!
だが、隊長が槍を横へ倒すと、盾兵が一斉に角度を変えた。
「おっ……と」
剣を挟まれる前に引き抜いた頭上へ、次の矢が降ってくる。
「連理さん!」
後方へ跳躍した。
乃々さんの腕を引いて鉄柱の陰へ入る。
矢が足元で音を立て、避けるたびに段々と追い詰められていく。
どうやらこの盾での追い込みが、コボルト達の得意戦術らしい。
「前を止めても、上が空かない。上を狙えば盾兵が詰めてくる……」
「……隊長が槍を向けるたび、盾と弓が一緒に動いているわ」
「さすが現場監督……って感じかな」
必死に様子をうかがうリィン。
なるほど。狙うべき相手は分かった。
けれど、ハイ・コボルトまでは……遠い。
「レンリ。こういう時のために新しい魔法、考えてた。ふふん」
「新しい魔法?」
「うん。冴の魔法から思いついた。広い範囲を重くする。でも味方も巻き込む」
「重く? なるほどね。どこまで下がればいい?」
ニーナが背後を指した。
床を横切る黄色い停止線。
その向こうは、閉じた鉄扉まで何も置かれていない。
「あの線より扉側。準備には少しかかる」
「分かった。ニーナは先に下がって準備して。乃々さんとリィンも一緒に。高城たちも黄色い線の向こうへ!」
「理由も明かさず、ボクたちに撤退しろというのかい?」
「ニーナが新しい魔法を使うってさ。俺も見たことはないけど、ここに残ると巻き込まれる」
「なるほどね。どのみちこのままなら膠着だ。すぐに退く。ボクたちまで巻き込んだら承知しないよ」
大盾兵たちは、もう目の前まで来ていた。
「火種ちゃん、コボルトたちを上から照らして!」
「ひー!」
火種ちゃんは久しぶりの活躍に、気合いが入りまくっている様子が見えた。
小さな火が盾兵の上へと飛び、炎を膨らませた。
コボルトたちから伸びた黒い影が、重なり、全体が一つに。
これで影を止めれば、全体の動きを止められる。
「《刻の縫い針》! ——《影縫い》」
針が影の先端を貫いた。
「長くは止められない。今だよ!」
「夏、みゅー! 後方に退避だ!」
「よくわかんないけど、りょーかい。全員、速くするよー!」
消費アイテムの光が全員の足元を包み、全員が飛ぶように動いた。
盾で矢を弾きながら下がる高城。
「全員出たよ! ニーナ!」
「うん。わかった」
ニーナが敵部隊へ向き直った。
「深い光の名の元に。奪えよ。非情なる者。冷酷なる者。其は脚に。其は腕に」
いつもより多い魔力のうねりが、辺りに流れを作っていく。
ニーナが右腕をかかげた。
そして。
「へし切り、拐う……ちょっとだけ」
天井の照明が、一斉に消えた。
かに見えた。
「停電ですか……?」
「……違うわ。天井を見て」
鉄骨と配管に覆われていたはずの頭上へ、白い月のようなものが浮かんでいる。
「怒れ、《夜の女王》」
一気に腕を振り下ろすニーナ。
バギィ、という音。
次に各所で鉄骨が悲鳴をあげた。
範囲内の全てが一段沈んだ……ように見えた。
コボルト達も一気に、床にひれ伏す。
「これは……重力ですか!?」
「みたいなもの。上から魔力で押さえつけてる。でも魔力だけで押すというより、空間を押してるというか……うーん。難しい」
「確かに魔力だけで押さえつけてる感じじゃないですね」
月光が落ちた……。そんな感じがした。
盾兵の身体が床へ叩きつけられ、槍兵も武器を支えきれずに沈み、弓兵は矢を落とす。
頭上の足場まで、支柱ごと揺れて下がる。
『月!?』
『ニーナちゃん新魔法!』
『隊列が全部沈んだ』
『《夜の女王》かっこよすぎる』
「ニーナちゃん、すごいです!」
「ありがと。なんかやってみたらできた」
「あの範囲に残っていたら、ボクたちも同じだったのか」
「同じ。だから、出てもらった」
そのとき、月光の中央で金属が擦れた。
ハイ・コボルトが長槍を鉄床へ突き立て、沈んだ膝を持ち上げる。
鎧をきしませ、ひび割れた床を踏み抜きながら、ゆっくりと立ち上がった。
「ニーナ。隊長だけ……立ち上がりそうだ」
「うん。周りは止められた。でも、あのハイ・コボルトはまだ戦える。もうちょっと出力を上げてもよかった。グロくなるけど」
「いや、それはちょっとやめておこう」
ゆっくりと立ち上がっていくハイ・コボルト。
「グ……オオォ!」
隊長は白い月を見上げて小さく吠え、俺たちへ槍先を向けた。
部下の隊列を失っても、隊長の戦意は消えていなかった。




