第67話 みんな座ったほうがいい
高いガラスの壁。
高層ビル……一面に青い空が映っている。
入り口の横には、アードアノマリーソリューションの銀色のロゴ。
ザ・大企業ビルという感じだ。
「皆さん、見えていますか? こちらがAAS——アードアノマリーソリューション本社前です」
乃々さんが《フライ》へ向けて声を出すと、コメントが一気に流れた。
『なんでいるんだ』
『AAS!』
『デケー』
『どうしたの?』
ダンジョンの魔物が出た時より速いかもしれない。
「コメントがいつもより速いね。みんな何でここにって言ってるよ」
「そうでしょう……今回は《休むことを許すイス》の件です! 先日、私のところにAASから正式な連絡がありました。是非是非直接お話ししたいとのことです」
「イス、会社に呼ばれた」
「……休むためのイスを、会社が? 逆ではないかしら?」
『AAS本社!?』
『ガチ企業じゃん』
『《休むことを許すイス》の話か』
『イスで企業案件は強い』
受付を抜け、案内された会議室は広かった。
中央に《休むことを許すイス》を置く……。
場違いなようで、妙に部屋の中心に合っていた。
「AASは、アノマリーの保管、検証、企業導入を行う会社です。今回は、配信で確認された《休むことを許すイス》に打診が来ています」
「乃々さんに連絡が来たのは、チャンネルを通してなのかな?」
「はい。真名判明の場面、使用時の反応、所有者確認まで含めて、私から連理さんへ取り次ぐ形になりました」
「のの、今回はオークションじゃなかった」
「まぁ、そこは色々考えまして……ね」
話をしていると会議室の扉が開き、社長が入ってきた。
今回の話も社長から直々に、だったので驚いた。
見ると……派手な雰囲気はない。けれど、こちらを見る目は落ち着いていた。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「こちらこそよろしくお願いします」
乃々さんが礼をして、全員が続く。
「配信はそのままで構いません。金額だけでなく、何に使うつもりなのかも見ていただきたいので」
「配信OKというのは珍しいね」
俺の言葉に社長は正面から答えた。
「はい。今回はどちらかというと会社というか私個人の話なので……問題ないですよ」
『いくらだ』
『Sランクだしやばそう』
『手震えてきた』
『AASが出す額、気になる』
社長は一度だけ《休むことを許すイス》を見てから、はっきり告げた。
「今回は、1,200,000ゴールドでお取引できないかと思います」
「1,200,000ゴールドですか」
乃々さんの声が、そこで止まりかけた。
「大きい数字だね」
「お金の問題じゃないけど、本気」
「……この世界では、休むための道具に、それだけの価値があるのね」
『!?』
『桁がおかしい』
『イスだぞ!?』
『いやSランクアノマリーだぞ』
『売れ売れ売れ』
『休めるイス、社会が欲しすぎる』
『宝箱ガチャやばい』
「コメント、かなり速いです」
たしかに速い。
しかし、金額だけで決めていいものには見えなかった。
社長がどう考えているか……重要なのはそこだ。
今回は会社ではなく個人という話だが……。
「金額は分かった。ひとつ聞いてもいい?」
「もちろんです」
その言葉に対して、社長はやわらかく微笑んだ。
「そのイス、誰を座らせるつもり?」
「あはは、そこですか……」
「うん。《休むことを許すイス》だからね。高く買われることより、どう使われるかが気になる」
社長はすぐには答えなかった。
ごまかす沈黙ではない。
言葉を選ぶ沈黙だった。
「社員を休ませたいんです」
「社員を?」
「制度はあります。休暇もあります。けれど、休めと言われても休めない人がいます。席を離れても、頭の中で仕事を続けている人がいます。仕事量を減らすなどしてみたんですが、それ以上のことをしてくださいまして……」
「時間があるだけでは、休めない……ですか」
乃々さんの言葉に対して、社長は少し黙った。
一呼吸置いて、言葉を続けた。
「はい。《休むことを許すイス》は、そういう人に必要だと思いました。働くためではなく、休むために価値があるアノマリーです」
リィンがイスを見る。
彼女は、眠っていたのに休んではいなかったと言った。
その言葉と、社長の言葉が、不思議なところで重なった……気がした。
「……休むことに、許しが必要な人がいるのね」
「イス、座る人を休ませる……社長は休んでる?」
「……」
ニーナの疑問を耳にして、社長は完全に止まった。
「今、かなり長い沈黙がありました」
「まず社長」
「その話は後ほど」
「後ほどにした時点で、だいぶ休めてないよね」
『まず社長w』
『沈黙長い』
『この人が座れ』
『説得力がありすぎる』
『休めない人が休ませる側に回ってる』
「耳が痛いですね……」
「社長さんご自身も、運用対象に入れた方がよさそうです」
「検討します」
「検討で止まると、また後ほどになるよ」
「社長、逃げた」
「逃げてはいません。少し順番を考えているだけです」
「……順番を考えている人ほど、自分を最後にしそうだわ」
「否定しづらいですね」
そこで社長は、会議室の扉へ目を向けた。
「それで、最初に座らせたい人は社員の中にいるの?」
やや自嘲気味に社長は表情を変えた。
「いいえ」
「違うんですか?」
「最初に休ませたい人物はいます」
「もう決めてるんだね」
「はい。今日、来てもらっています」
『誰?』
『社長本人じゃないのか』
『社員でもない?』
『この流れで誰だ』
『気になる』
扉の向こうで、小さなノックがあった。
「失礼いたします。奥様がお見えです」
社員が扉を開けると、落ち着いた雰囲気の女性が入ってきた。
社長と目が合った瞬間、少しだけ困ったように笑う。
「お邪魔いたします」
「妻です」
「奥様……」
「最初に座ってもらいたいのは、奥さんなんだね」
「はい」
奥さんは、部屋の中央に置かれたイスを見て、すぐに一歩引こうとした。
「私は大丈夫ですよ。皆さんのお仕事のお邪魔になるのでは」
「その言葉を、私はずっと聞いてきました」
「あなたまで、そんな顔をしなくても」
「社員を休ませたいと言いながら、一番近くで休んでいない人を見落としていました」
社長の声は大きくない。
けれど、会議室の中にまっすぐ届いた。
「大丈夫って言う人ほど、座ってみた方がいいかもしれないね」
「大丈夫の人、休む」
「……あれは、自分を後回しにする人の言葉なのね」
社長の奥さんは少し困ったような顔をして、白いイスを見つめた。
静寂と逡巡。
空調の音が聞こえる。ビルの外……遠くに巨大な壁が見えた。
ダンジョン区画との区切りだ。
そうしていると社長夫人は辿々しく呟いた。
「でも、本当に……」
「最初に、君に休んでほしい」
『奥さん!?』
『これは座ってほしい』
『大丈夫って言う人だ』
『休むことを許すイスの使い方か』
乃々さんが《フライ》の画角を調整する。
視聴者に見せるための距離と、踏み込みすぎないための距離。
その両方のバランスを取る位置。
「少しだけなら……」
奥さんはまだ迷っていた。迷いながらも、イスから目を離していない。
「イス、待ってる」
「……座るに値する人ね」
奥さんが息を吸う。
「大丈夫です、と言おうとしました」
「うん」
「でも今は、言わない方がいい気がします」
社長の表情が、そこで崩れかけた。
「……ありがとう」
奥さんはイスの前で足を止めた。
背もたれに指を添え、社長を見て、それから俺たちに小さく頭を下げる。
『空気変わった』
『座る前から効いてる』
『大丈夫って言わなかった』
『社長の最初に座らせたい人か』
高額な買取金額より、これから一人の人がちゃんと座れるかどうかの方がずっと大事に見えた。
「では、座らせていただきます」
でもこのイスはそういうイスなのかもしれない。




