第50話 聞こえぬはずの言葉
灰の屍王は壊れた玉座の近くで倒れ伏していた。
床には、《長花竜》の残骸。
「……倒しました……」
不死の屍者とはいえ、胸に大穴が空いているのだ。
部屋の中央には、交差して地に刺さる二つの曲刀。
灰の王の片腕は……それを求めるようにのびていた。
「まだ」
玉座の間に響くニーナの声。
倒した……はずだった。
屍王が顔を上げる。
「ウオォ」
その薄暗い眼窩には何も映っていないはずなのに、どこか曲刀を見ている気がした。
光に照らされて輝く刀身。
「オォ……」
巨人の王の声。
続けて出た声はしゃがれていたが、《言葉》として聞こえた。
「グンルァ・ルーオ・ドィサ・イマ・トア・ワ・ユ……イシ・イア」
聞いた瞬間、俺は……息を呑んだ。
知らないはずの音。
この世界で聞こえるはずのない言葉。
「まさか……」
なのに、意味が分かる。
——そうか。
——お前はずっと、そこで見守っていてくれたのか。
「連理さん……?」
「今の言葉、分かる」
「え……?」
「レンリ、今の……」
「そうだね。たぶん……俺が向こうで聞いてた言葉に近い」
ゆっくりと立ち上がり、剣に向かう王。
「ァトゥンメ・ウルゥト・イマ」
二つの剣の柄に触れた。
「トゥイランーム・グンィデイガ・イマ」
太陽、あるいは月のように頭上にかかげる。
一瞬の静寂。
「ズーワ・イマ・ズウノ・ルティス・ンワムサ……」
存在しない視線が、ふらり、俺へ向いた。
「灰の王が……連理さんを見ています」
「俺を認識してる……分かってるんだ、彼は」
「言葉が通じるんですか……?」
すぐには答えられなかった。
異世界で聞いた言葉。
もう二度と、誰にも届かない……はずだった。
「……ズーワ・アユ・ウノ・イア」
俺は思わず口に出していた。
乃々さんが驚愕の目でこちらを見つめる。
「連理さん……今、何を……?」
俺は《燻り火の剣》を握り直した。
「なんでだろう。異世界では普通に理解できていたのに、こっちだと別の言語として聞こえるんだね……不思議だ」
『異世界語!?』
『連理さんだけ分かってる?』
『灰の王、ただのボスじゃない?』
『異世界??』
『やっぱりダンジョンって異世界由来?』
王は何か考えるようにたたずんだ。
怒りではない。
獲物を見つけた目でもない。
「スネトツィウ・ンゼ。ティユデ・ルナイファ・イマ・ズイ・スィデ」
——ならば見届けよ。
——これが、我が最後の務めだ。
「……来る」
「今のは、何て……?」
「見届けろって言った」
「何をですか?」
「灰の屍王の、最後の務め」
王が二つの曲刀を振り抜いた。
そこで……消えかけた花竜の残骸が、もう一度屍王へ伸びる。
あの状態になっても、命令を覚えているのか。
屍王が動く。
花びらが舞い上がるより早く、剣圧が残骸を壁際まで吹き払った。
「一撃で……!」と乃々さん。
「花竜じゃ、もう無理かも」とニーナ。
俺は二つの剣を見つめた。
「剣が増えただけじゃない。間合いの中に入ったものを、左右で切り分けてる」
『さっきまで押してたのに』
『双剣化で別物になった』
『意識戻ってね?』
『身体に穴開いてるけど』
床を這っていたツルが、敵を拘束しようと動く。
だが……。
踊るような動き。
《刹那の種》は細かく刻まれ、消えていった。
「これ、さっきまでの灰の王じゃありません」
屍王が二本の剣を左右に開く。
「ティユデ・ルナイファ」
屍王は、暴れているわけじゃない。
ここを守り、ここで終わらせるために立っている……そんな気がした。
「この人は、何か意味があってここにいるんだ……ダンジョンって……なんなんだ?」
「連理さん……?」
「今は死ぬか生きるか」
ニーナの言葉で我に帰る。
「そうだね。言葉が分かったからって、共存できるわけじゃない」
王が動いた。
右の曲刀が低く沈み、左の曲刀は顔の横。
二本の刃が並んだだけで、玉座の間の空気が張りつめた。
「力任せじゃない。今の屍王は、剣で戦ってる」
屍王が踏み込む。
俺もそれに合わせるように駆けた。
右の曲刀が床を削る。俺は刃を斜めにし、受け流す。
「火花が……すごい剣撃です!」
同時に、左の曲刀が体を裂きに迫る。俺は剣を返し、刃の根元で受けた。
金属音が玉座の間に響く。
「……見える」
左の刃を外へ弾き、空いた胴へ斬り込む。
《燻り火の剣》の切っ先が、灰の王の鎧を削った。
「届いた……」
「レンリ、すごい」
「なんとか……やっとだよ」
次の斬撃は、重さが違った。
正面から来る右の曲刀。
なんとか弾くと、左の曲刀が袈裟に流れてくる。
「読まれてる」
剣を戻して左を受けた瞬間、右の曲刀が上から落ちる。
「レンリすごい。剣で受けて、よけた」
その隙に前に踏み込むが、戻ってきた剣に阻まれた。
一本を外せば、もう一本が来る。
受ければ、受けた剣を押さえられる。
攻撃すれば、守られる。
敵は、俺の動きを見てから斬っていない。
俺が選びそうな場所を、先に狙っている。
「二本あるだけじゃない。片方で俺の剣を動かして、もう片方で狙ってくる」
力任せではないので、受けられる。が、それでも衝撃が腕を通り、全身に響いた。
「レンリ、無理しないで」
「大丈夫。久しぶりに盛り上がってきた」
魔王との訓練を思い出す。必死だが、懐かしい気持ちもある。
その時だ。
灰の王が身を引いた。
そして曲刀を交差させる。
「まずい」
踏み込む王。
それだけで間合いに入った。
「《結晶盾》分厚く」
ニーナが声に出した瞬間。
目の前に結晶の盾……いや壁が現れた。
X字に切り裂かれていていく《結晶盾》。
「あぶっ……なかった……ありがとう、ニーナ」
「レンリ、体力限界」
「そうかもしれない」
「連理さん、装備が……!」
「平気だよ。ちょっとかすった」
平気ではなかった。
いや、傷はない。
けど、腕は痺れ、剣を握る指に力が入りにくい。
「この王、強い。速いんじゃなくて、ずっと正しい場所を斬ってくる」
灰の王がまた構える。
また別の構えだ。
上下に挟み込むような。
「レンリ、生命力、弱まってる」




