第32話 小箱……いつ開けるの?
夢を見ていた。
異世界の島。
流木や割れた貝殻が散らばっている……嵐が過ぎたあとの浜。
その浜の端に、ひとつだけ妙な箱があった。
「レンリ兄ちゃん、これお宝かな?」
「分からないけど……勝手に開けるのはやめておこう」
箱は手のひらに乗るほどの大きさだった。黒塗り。古い金具。表面には、月と太陽みたいな模様が刻まれている。
「えー。箱だよ? 開けたら何か出るかも」
「何か出るかもしれないから、すぐ開けない方がいいんだよ」
「嵐のあとの浜は、変なものが流れ着くからなあ」
近くの村人が、腰をかがめて箱を見る。
「ほら、模様がある。月と太陽みたい」
「本当だ。古いものみたいだね」
「振ると音がするぞ。ほれ、からん、と」
「中に金属みたいなものが入ってるのかな」
「やっぱり宝だ!」
その直後、箱の隙間から黒い粉がこぼれた。濡れた砂の上でも、溶けずに形を残している。
「待って。隙間から、灰みたいな粉が落ちてる」
「灰? 濡れているのにか?」
「うん。水は弾いてるのに、灰だけ落ちる。少し変だ」
浜から少し上がった道に、木製の車イスが止まっていた。座っているのは魔王。
膝には薄い布。白髪からのびる枝のような角。
細い手は肘掛けに置かれ、顔はいつもの穏やかな老人そのものだった。
「レンリ。それは開けぬ方がよい」
「危ないものなの?」
「分からぬ」
「分からないの?」
「うむ。分からぬものを、急いで開ける必要はない」
「それは、まあ……そうだね」
子どもに言ったことと全く同じことを言われてしまう。
「レンリ。その小箱を、島の奥へ運んでくれるか」
「奥の古い石の蔵みたいなとこ?」
「そうだ。いまは使っておらぬ小さな蔵でよい」
「うん。持っていく」
俺は村人から古い布を借り、小箱を包む。
腕の中で、からん、とまた音がする。
「開けないの?」
「やめておこう」
目の前に箱があって、中から音がすれば、開けたくなる気持ちは分かる。
「宝かもしれんのにもったいないな」
村人も少し惜しそうだった。
魔王は車イスに座ったまま、浜ではなく遠い海を見る。
「もったいないと思えるうちが……良いこともある」
「……なんだか複雑だね」
「複雑なものなのだ」
「そう言われると、不安になってくる」
俺が持ち直すと、魔王はやっとこちらを見た。
「落とさねばよい。怖がりすぎても、箱に笑われる」
「箱に笑われるのは嫌だな」
子どもはまだ名残惜しそうだったけれど、村人に肩を押されて浜へ戻っていく。
俺は包んだ小箱を、魔王の膝にかかる布の上へ置く。魔王は細い手でそれを押さえた。
それから、俺は車イスの取っ手を握る。
島の奥へ向かう道は、雨上がりでやわらかい。車輪が土を押し、畑の端には水たまりが残っている。
実はこういう具合が一番、この車イスにはキツイんだけど。
「昔な……灰の城と呼ばれた場所があった」
「灰の城?」
「うむ。魔王軍が集めた……いろいろなものをしまっておく城だ」
「宝物庫みたいなもの?」
「似ているが、それだけではない。中には、あまり外へ出せぬものもあった」
「外へ出せないもの……」
俺は車イスを押しながら、魔王の膝の上にある小箱を見る。
「怖いものばかりではない。人の手に余るもの、時を待つもの、忘れた方がよいもの。そういうものもある」
「宝って、全部使えばいいものではないんだね」
「そういうこともある」
村の外れにある石蔵が見えてくる。
扉は古いが、まだ閉まる。
「その灰の城には、誰かいたの?」
「大きな男がいた」
「大きな男?」
「二振りの剣を持っていた。ひとつは《月光》。もうひとつは《陽光》」
「強そうな名前だね」
「実際、強かった」
「名前を付けたのは、その人?」
「うむ。本人は、少し得意げでな」
魔王の目が、遠くを見つめている……ような気がする。
「覚えている。悪い男ではなかった」
「その人は、まだ灰の城に?」
「さあな。古い話だ」
「古い話って言うと、本当に古そうだ」
「そう言われると、少し年寄り扱いが過ぎるな」
「実際、かなり年上ではあるよね」
「ふふ。そこは否定できぬ」
俺は魔王の膝から小箱を受け取り、石の台の前に立つ。
布越しでも、小箱の角が手に当たった。
「ここに置けばいい?」
「その石の台でよい」
台の上に置くと、箱の底から細い灰がこぼれる。
「また灰が落ちた」
「ならば、布をかけておこう」
魔王が蔵の隅を見る。
俺は古い布を取り、小箱の上にかける。
封じたというより、隠しただけ。
「宝とは、得るためだけにあるものではない。閉じておかねばならぬものもある」
魔王は車イスに座ったまま、布をかぶった小箱を見ている。
「……開けたら困るものもある、ということ?」
「そういうこともある」
「勇者はお宝好きだって聞いたけど」
「そうだ。勇者は、宝を好んだ」
「本当なんだ」
「うむ。褒美があれば、人は前へ進む。戦場であってもな」
宝。褒美。戦場。
その三つが並ぶと、楽しいだけの言葉ではなくなる。
「……それは、いいことなの?」
「時と場合による」
「難しいね」
「難しいから、すぐには答えを出さぬ方がよい」
魔王は俺へ顔を向ける。
「それは、さっきの箱と同じだね」
「うむ。レンリは、そういうところがよい」
「褒められた気がしないような、するような」
「褒めておる」
「なら、受け取っておく」
微笑んで返す。
そこで魔王は声を低くして言った。
「大仰に封じれば、余計に開けたくなる者もいる」
「……それは、少し分かる」
「だから、布をかけるだけでよい。忘れられるものなら、忘れられた方がよいこともある」
「この箱も、忘れた方がいいの?」
「分からぬ」
「また分からないんだ」
頷きながら呟く魔王。
「分からぬものは、分からぬまま丁寧に置いておく。それもまた、ひとつの扱い方だ」
「宝箱を開けるのが好きな人には、向いていない考え方かもしれない」
「だからこそ、覚えておくとよい」
「うん。覚えておく」
古い車イスの車輪が、石の床で音を立てた。
「レンリ」
「何?」
「すべての箱が、開けられるためだけにあるわけではない」
「……うん」
「今は、それだけでよい」
そこで、ふと気になった。
「開けて良い悪いはどうやって判断するの? 見た目?」
「分からぬ」
「え?」
「開けてみないことにはな」
「つじつまが合ってないよね」
「確かにな」
魔王は悪びれずに笑う。
結局のところ、答えはないということなのかな。
そこから段々と世界が白くなっていった。
◇
目が覚めると、部屋の天井が見えた。
異世界の島ではない。
管理機構のマンションだ。
夢の感触はまだ残っている。濡れた砂。古い小箱。車イスに座った魔王。布の下に落ちた灰。
枕元の端末が鳴った。
「大型フェノメノン《お宝祭り》詳細告知」
画面を開く。
「対象ダンジョン:《灰火モール城》」
「灰火モール城……」
通知には、城壁とショッピングモールが重なったような画像が出ている。
明るい看板の奥に、灰色の壁。
焼けたような装飾。
「Ⅲ級以上探索者向け大型フェノメノン。モール城内・中央アトリウムを中心に、多数の宝箱出現を確認」
宝箱の光だけが、妙に鮮やかだった。
「詳細ルール、参加申請、探索者別推奨ルートを順次公開」
「宝箱の光、灰色の城壁、焼けた装飾……」
呟くと、何か違和感を感じる言葉の羅列。
「灰の城、か」
ダンジョンとは……何なのだろう。
俺は何に巻き込まれているのか。
「……ただのお祭り、ってわけじゃなさそうだ」




