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第29話 小さいけれど、大きなビン


 保護ケースは机の上に置かれている。


 中身は、昨日のクリア報酬。


 手のひらに収まる、小さなビンだ。


「《清廉なる器》の鑑定……終わったよ。危険な兆候はなし。性能はニーナちゃんが言った通りだね」


 そう言って微笑む。


「ありがとう千紘さん。なんでも保存できる……《清廉なる器》か」


 危険なし。


 まずそれを聞けただけで、少し肩の力が抜けた。


 ただ、安心して終わりという話ではないわけで……。


「さて……どうかな? 先方は、もう管理機構の面談室に来てるよ」


 端末を確認する千紘さん。


「本当に早いね。今日中に話したいっていうのは、そういう意味だったんだ」


「《清廉なる器》、凄すぎます……!」


 ゴクリ、と乃々さんは息をのむ。


 動きが早い。


 それほどのことなのだろうか。


「途中で止めても大丈夫だからね。分からないまま頷くと、気持ちが置いていかれるから」


「分からない時は、ちゃんと聞くよ」


「うん。それでいいよ。だって自分たちのものなんだから」


 自分たちのもの。


 そう言われると、保護ケースの存在が急に重く感じられた。


 高く売れそうとか、珍しいとか、もうそういう話ではないらしい。


「急なお願いにもかかわらず、お時間をいただきありがとうございます」


 面談室に入ると、スーツ姿の人たちが立ち上がった。


 探索者や管理機構の職員とは、明らかに雰囲気が違う。


「いえいえ。なんとなく……ちゃんと聞いた方がいいと思ったから」


「よろしくお願いします」


 乃々さんが頭を下げ、横でニーナが呟いた。


「スーツのひとたち。ダンジョンと関係なさそうだけど」


「お世話になります。私たちは製薬会社エクセレス日本支部の職員です。研究部門に所属しております。《清廉なる器》の件は本社の方から連絡がありまして」


 ニーナの直球にも、研究責任者は丁寧に頭を下げた。


「私たちのことは……説明しなくても聞いてますか、ね」


「ええ。安曇乃々さん、日野枝連理さん、ニーナさんですね」


 名前の確認が終わると、研究責任者はすぐ保護ケースへ目を向けた。


 雑談をしに来たわけではない。


 そのことが、表情だけで分かる。


「まず確認させてください。《清廉なる器》は、外へ持ち出しても、内部の素材の性質を保てる。……本当に、そこまで可能なのですか」


「うん。入れた時のまま、保てる」


「腐敗、酸化、乾燥だけでなく、魔力散逸も?」


「逃がさない。ビンの中のものを、ビンの中で守る」


 その答えを聞いて、研究責任者は一度だけ深く息を吸った。


「……本当に、私たちが待っていた性能です」


「待っていたってことは、もう使い道が決まってるんだね」


「はい。私たちは、石化病治療薬の研究を続けています」


 石化病。


 その言葉が出た瞬間、乃々さんの表情が鋭くなった気がする。


「石化病……」


 俺も、姿勢を直す。


「体の一部、あるいは全身が少しずつ石化していく病です。進行を遅らせる薬はあります。けれど、根本的な治療薬はまだ完成していません」


「治療薬は、作れそうなところまで来てるの?」


「理論と工程は、ほぼ完成しています。問題は、最後の素材でした」


 そこで千紘さんが頷く。


「なるほど。《シラツユソウ》ですね〜」


「《シラツユソウ》?」


「はい。《シラツユソウ》は特定ダンジョン内にだけ自生する薬草です。採取直後の状態なら、石化病の石化因子に作用します」


「《シラツユソウ》は状態異常治せる」


 なるほど。


 ダンジョンに存在する対状態異常のアイテムか……。


「でも、持ち帰ることはできない?」


「その通りです。恐らく時間の経過で……成分が急速に変質してしまう。研究が進められない。私たちは、ずっとそこを越えられませんでした」


 採ることはできる。


 でも、研究室へ届く頃には使えない。


 話を聞くだけで、どれだけ悔しい状況だったのか分かった。


「恐らく石化病も魔力由来の問題なのでしょう。どう作用して石化が起こるのか、はわかってきましたが、《シラツユソウ》がどうやって石化を治しているのかはわかりません」


 乃々さんが口に指を当てながら応えた。


「ダンジョンにもぐるわけにも、いかないですしね。機器と患者さんを連れていくなんて……無理ですし」


「はい。それに《シラツユソウ》だけでは石化病を治すことはできません」


「だから、《清廉なる器》が必要なんだね」


「そうです。私たちは、ずっと最後の素材だけを待っていました。《シラツユソウ》の研究ができれば、石化病治療薬は完成まで進められる。作用機序がわかり、増幅する方法もわかります。けれど、その研究ができなかったのです」


 ここまで聞けば、なぜ今日中の面談を求めたのか分かる。


 明日でもいい、ではない。


 この人たちは、ずっと今日を待っていたのだ。


「このビンなら、《シラツユソウ》をそのままもち帰れる」


 ニーナは静かに言った。


 研究責任者は、まっすぐニーナを見る。


 その顔には、もう答えを聞く前から頼むしかない、という切実さが出ていた。


「明日、《シラツユソウ》の採取班が出ます。お願いです。《清廉なる器》を、研究に使わせてください。明日の採取班に持たせられれば、今回こそ完成まで進められるかもしれません」


「明日……」


 早い。


 でも向こうにとっては、ようやく来た明日なのかもしれない。


「千紘さん、手続きとしてはどうなる?」


「所有権は連理くんたちにあるよ。貸与、管理機構預かり、共同研究扱い。形はいくつか作れる。でも、使わせるかどうかを決めるのは連理くんたち」


 決めるのは、俺たち。


 乃々さんは少し保護ケースを見て、それから顔を上げた。


「私は……使ってほしいです」


「ニーナも、そう思う」


「ニーナ……理由、聞いていい?」


「ニーナたちにとっては今すぐ使い道が思いつかないアノマリー。棚に置くより、助けたい人のところに行く方がいい」


「うん。俺もそう思う」


 宝箱から出たものだ。


 俺たちが持っていてもいい。


 でも、今このビンを必要としている人たちがいる。


 それなら、答えは難しくなかった。


「本当に、よろしいのですか」


「研究に使ってほしい。俺たちが持ってるより、その方がずっといい」


「ありがとうございます……!」


 研究責任者の声が少し震えた。


 その反応で、この小さなビンの重さをまた実感する。


「ただ、ひとつだけ。配信で手に入れたものだから、見てくれていた人たちにも、ちゃんと伝えたい」


「配信で報告したい、ということだね〜」


 三人の顔を見て、千紘さんは微笑んだ。


「うん。何が起きたのかを説明しないまま渡すより、その方がいいと思う」


「私も、そうしたいです。あの場面を見てくださった方たちに、このビンがどこへ行くのか、きちんと話したいです」


「もちろんです。研究上伏せるべき部分を避けていただければ、私たちからも説明に協力します」


「じゃあ、今夜、乃々ちゃんのチャンネルで報告配信。そこで説明してから、正式に研究利用へ回す形にしようか」


「はい。準備します」


 ニーナが俺を見つめた。


「ビンにも言っておく」


「ビンに?」


「うん。これから、大事な草を守る。だから、がんばる」


「……ニーナらしいね」


「アノマリーは、役目があると嬉しい」


 それが本当かどうかは分からない。


 けれど、ニーナが言うと、なんだかそんな気もしてくる。




          ◇




 夜。報告配信が始まった。


 チャット欄をフライが高精細ホログラムとして投影する。


「みなさん、こんばんは! 今日はこの間の……宝箱報酬、《清廉なる器》について報告があります」


 俺は少し呼吸をしてから、言葉を続けた。


「この小ビンは、石化病の治療薬を作るために使ってもらうことにしたんだ。研究に必要だと聞いたから、俺たちはその方がいいと考えた」


「石化病は、体の一部から全身が少しずつ石化していく病気です。その治療薬の研究に、《シラツユソウ》という素材が必要だと伺いました」


「でも、その素材は地上へ持ち帰る時に性質が変わってしまうらしい。だから、採取した時の状態を保てる《清廉なる器》が必要になる」


 コメント欄はあまり動きがない。


 こちらの話を聞いてくれているようだ。


「このビンは、失わせないビン」


 フライを見つめて言うニーナ。


「宝箱から出たものが、誰かの治療に繋がるなら、そのために使ってほしい」


『あのビン、そんなスゴイものだったのか』

『宝箱から治療薬ルートが開いた』

『託すの、すごく良いと思う』

『配信で見てた宝箱がそこに繋がるの熱い』


 コメントからも何か……特別な感覚を受けた。


 驚きながらも、言葉を選んでいるように見える。


「所有権をそのまま手放すのではなく、管理機構にも入ってもらったうえで、研究に使っていただく形になります」


「俺たちだけで持っているより、必要な場所に届いた方がいい。そう判断したんだ」


『宝箱王、引きも使い方も強い』

『ただ売るんじゃないのがいい』

『これ続報ほしい』

『石化病の人たちに届いてくれ』


「届いてほしい」


 ニーナは小さくうなずいた。


「見てくれていた人たちにも、ちゃんと伝えたかったんだ。ありがとう」


「ビン、行ってくる」


「うん。行ってらっしゃい、だね」




          ◇




 翌日。


 面談室で正式な引き渡しが行われた。


 書類の確認には千紘さんが入ってくれたので、俺たちは最後の確認だけで済んだ。


「本当に、ありがとうございます」


「有効に使ってくれればと思います」


「はい。必ず、結果を出します」


「よろしくお願いします」


「《シラツユソウ》、ちゃんと連れて帰って」


「はい。必ず」


 研究責任者が、両手で保護ケースを受け取る。


《清廉なる器》は、研究責任者の両手へ渡った。


 宝箱から出たものが、俺たちの手を離れる。


 でも、ただ手放したわけじゃない。


 必要とされている場所へ向かう。


 そう思うと、少しだけ誇らしかった。


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