第100話 器
《災禍の断章》がよく分からない色に染まる。
祈力なのか、魔力なのか、それともその複合なのか、または別種の光か……。
「《災禍の断章》……」
思わず声に出した俺を見て、ニーナは続けた。
「でもそれ以外はわからない。読めない」
「ニーナにもわからないってことは……これはアノマリーじゃないのかな」
「アノマリーじゃない。でも危険なものではない……と思う」
ニーナは自信がなさそうに断章を見つめた。
その時。
「あ、レンリ、リィンの杖が」
儀仗杖の先に紫色の輝きがともり、リィンの頬を照らしている。
「……何もしていないのに。どういうことかしら」
リィンが杖を握り直す。
「連理さん! ケースからも……」
見るとアノマリーケースからも赤い光が漏れていた。
《エニグマ》が……どういうことだろうか。
「何でしょう?? 二つとも、断章に反応しているんでしょうか」
「何か関係があるんだろうね。この感じは」
俺の手とニーナの手を見比べる乃々さん。
リィンの視線は、断章に刻まれた文字から動かない。
「……ニーナ、断章をこっちにむけてみてくれる?」
「はい」
赤と紫の光を受け、金属らしき物体に細かな溝が見えてくる。
「……知っている……この文字……わたし、知っているわ」
「リィン、読めるの!?」
「……すべて読めるわけではないけれど、何故か理解できるの」
文字列を見ても、俺には情報が入ってこない。
「リィンちゃん、どうですか?」
「……わかるのは……これは『災禍』という文字ね。ここにはたぶん『器』、その下には『巫女』とあるけれど、間が欠けているの」
「災禍、器、巫女……? なんなのでしょうか」
乃々さんも文字をのぞき込む。
「……こっちは警告ね。奥にあるものには『触れるな』。それから、何かが『漏れる』と書かれているわ」
断章へ伸ばしかけた手を引っ込めた乃々さん。
「触れるなって、これのことですか?」
「……何に触れてはいけないのか、その部分が読めないわ」
「注意事項は最初に言ってほしい」
ニーナが変な顔を浮かべている。
確かに……。
「開ける前に読みたかったね、それは」
「表に書いてあっても、私たちには読めなかったですけど……」
乃々さんに言われ、返す言葉もない。
「まぁでも触っちゃダメなら、ニーナがわかったんじゃないかな」
「このアイテムは読んだあと爆発する」
ニーナの言葉に全員がザッと引いた。
彼女は不敵な笑みを浮かべ、呟く。
「うそ……たぶん」
冗談になってない……アノマリーだったら、それ以上酷い目に遭う可能性もありえる。
安堵の息を吐き、空気を変えるように話しはじめる乃々さん。
「リィンちゃん、ここの端も見てもらえませんか。傷だと思ったんですけど、文字が続いているみたいです」
乃々さんが、欠けた場所のすぐ上を指さす。
彫られた文字にも火種ちゃんの灯りが当たった。
「……待って。ここには、名前が残っているわ」
リィンは目を細め、刻まれた文字を確かめた。
「……アストリア。人名ね。この災禍に関わっているのは、アストリアという名の者よ」
赤い光が強まり、《エニグマ》の温度が高くなった……気がした。
ニーナも断章から顔を上げ、興味深そうに俺の手元を見つめる。
「その人が災い? を引き起こすのでしょうか」
「……そこまでは分からないわ。わたしにも完璧には読めない文字だから。でも……」
リィンが深く呼吸して、真剣な眼差しでこちらを見た。
「……災禍。わたし、この言葉を知っている」
「リィン、大丈夫?」
俺を見た彼女が、唇を噛む。
「……頭が痛い……情報が血の中をめぐって攻撃してるみたいよ……」
「リィンちゃん……やめますか?」
「……いえ……」
《災禍の断章》を見ているのか、見ていないのか、何となくぼーっとしたような様子でリィンは静かに口を開いた。
「……《災禍》とは戦場を激化させるもの。瘴気のように流れ込んで、環境を変えるもの。それをわたしたちは……災禍と呼んでいた……はず」
戦場を激化させる……。
環境を変える……。
災いという漠然としたものではなく、影響がわかっているものなのか。
しかし、異世界では……まぁ今もそうだけど、戦いはそこら辺にあるものだったけど。
「環境を変えるもの、ですか?」
「……わたしのいた世界での話では、そうだったわ。……もう少しで、もっと何か思い出せそうなのに」
ニーナも乃々さんも、先を促そうとはしなかった。
リィンは文字を追い直す。
けれど、長いまつ毛が伏せられるまで、次の言葉は出てこなかった。
「……ごめんなさい。これだけなの」
「リィン、ニーナには読めなかった。読んでくれて、ありがとう」
ニーナの微笑みを見ると、リィンのその頬にわずかに笑みが戻る。
「……ありがとう、ニーナ」
「思い出せなくても大丈夫だよ。白旗のついでに管理機構に、このことも——」
「……待って、レンリ。このことは、外では口にしないで」
リィンの声に、言葉を止める。
「管理機構にも?」
「……そう。よくわからないけれど、この事実を広めてはいけない。それも、災禍と一緒に思い出した……何か感覚的なもの」
リィンは何かを感じたようだ。さっきよりも、今の言葉には迷いがない。
宝箱を見つけてから、配信は止まっている。
ここで読んだことは、まだ俺たちしか知らない。
「リィンは何か感じたんだね」
「……うん」
こくり、とうなずくリィン。
どこか幼さを残すその表情に、確かな決意を感じた。
「分かった。白旗は提出するけど、この断章は報告しない。このことも広めないようにしよう」
「連理さん、私も覚悟しました。宝箱学的にも……何か深いものを解き明かすチャンスですし」
「もちろん。乃々さんを抜きにするつもりはないよ」
光が消えはじめた《エニグマ》をケースへ収め、ニーナから断章を受け取る。
「火種ちゃん、帰り道もお願いしますね」
「ひー!」
乃々さんの声に応え、小さな炎が隠されていた門へ向かう。
俺たちも空になった宝箱を離れた。
リィンが思い出したのは、あの世界のこと……なのだろうか。
昔の記録を引き当てただけなのか。
それとも、これから起きることを知らされたのか。
何もわからないが、俺は足を進めるしかなかった。




