Ep.1 ドッペルゲンガー 〜 3
フラワーいばらの開店からしばらく経った頃、汰紀は品出しの作業を終えていた。通勤ラッシュのピークも過ぎて、人通りもまばらになっている。
手持ち無沙汰になった彼の元に、彩華が近づく。
「汰紀くんおつかれ〜。今日はお客さんほぼ来ないだろうし、いつものリハビリ行ってきていいよ。あ、あとどっかで昼ご飯食べてもいいよん」
半ば強制的に店を追い出される。今戻ると嫌いな接客をやらされることを知っていた彼は、やむなく街中へと繰り出した。
財布の中身を見ると、100円玉2枚と数枚の1円玉。フラワーいばらの時給の安さを、彼は心底恨んだ。
彼にとってのリバビリとは、人混みの中でも平常心を保てるようにする訓練だ。なるべく顔を上げずに、藍澤市内で特に人通りの多い国道沿いの歩道を歩く。
平日正午近くのこの道は、昼食を食べに来たサラリーマンとOLたちで溢れかえっている。道を囲む飲食店からの香りに、汰紀は腹の虫を鳴らす。
一呼吸置いてから、流動する人波に向かって歩く。
視線は斜め上、空が視界の上部分に留まるように。見上げすぎてはいけない。目を開きすぎてもいけない。他者を意識しなくてもいい。ただ、歩くだけだ。
交差点を2つ過ぎる。両目の下瞼が痙攣するのを感じた。乾いた眼球を閉じて、もう一度開く。
「―――朱い」
血が染み込んだかのように、視界が染まる。その先、人々の頭上に、数本の朱い糸が現れる。
糸が視界に映った瞬間、鋭い頭痛で立ち眩む。
流れこむ因果の情報。見てはならない光景。網膜に刻まれたソレらは視神経を通って、脳細胞に突き刺さる。
糸の数が増える。脳細胞からの拒絶。眼球と神経の激しい痛み。強くなる発作。胃液が直ぐそこまで込み上がっていく。
強い衝動が、彼の右腕を伸ばす。目障りなソレらを引きちぎって、早く楽になりたいという衝動。
ちぎってしまえば、この苦痛も消え失せる。早くなる呼吸のままに指先が糸に触れて―――瞬間、腕を引っ込めた。
人波を掻き分け、目前の細道へと逃げ込む。
壁に寄り掛かって呼吸を整えようとして、少量の胃液が口から溢れ出る。痛みに耐えた反動で、血の混じった涙が零れた。
―――日花汰紀は、超能力者だ。
およそ半年前、普通の高校生だった彼は、何者かによって超能力を発現させられた。
人と物の間に存在する因果の概念を、糸の形で知覚し、干渉することができる能力。《因糸》と名付けられたその能力を制御できるようにすることが、このリハビリの目的だった。
糸に干渉してしまえば、このリハビリの意義が無くなる。その事実が彼の衝動を抑え込んでいた。
「混んでる場所じゃ、まだピント合わせられないか……クソッ」
呼吸を整え立ち上がると、入ってきた場所と逆方向に歩き出した。
~ ~ ~ ~ ~
国道隣のビル街は人気が無く、先ほどまで歩いていた歩道の喧騒が僅かに聞こえてくる。激しい頭痛と吐き気に耐えながら、汰紀はひとり歩いていた。
視界は朱いまま。糸の数は減ったが、ソレらを視界に入れるだけで彼にとっては苦痛だった。
顔を俯けて、外界からの情報を出来る限り遮断して、彼はフラワーいばらへと歩く。
彼の背後、100メートルほど後ろにて、1人の少女が息を切らして座り込んでいた。
学校から逃げ出した春雨李紗だった。家に帰るという考えは無く、彼女はただこの街を彷徨っていた。
「なんで私……こんなに走ってるんだろう……」
呼吸を整えて立ち上がると、向こうに見知った背中を見つける。李紗は思わず、息を飲んだ。
数カ月前に姿を消したクラスメイトが、目の前に立っている。棒同然の脚に力が戻っていく。再び走り出して、彼の腕を強く掴む。その人物の動きが止まり、ゆっくりとこちらに振り向く。
「………………汰紀くん……?」
振り向いて、お互い目が合った。
「………………李紗……⁉︎」
澄んだ茶眼が彼を見つめる。動揺で集中が解け、視界が揺れた。
「え、だ、大丈夫……⁉︎ 具合悪いの⁉︎」
「……別に」
顔を背ける。彼はその場を離れようとすると、視界の隅に違和感を覚える。
「あ……なんで」
李紗の声に顔を上げると、違和感を感じた方向に、彼女と同じ制服を着た少女が立っていた。
「赤崎さん……」
「―――アイツは」
超能力者だと気づいた瞬間、彼の片腕が視線と反対方向に引っ張られる。酷く青ざめた顔をした李紗だった。
「は、早く逃げよう! あの子は……あの人は、ドッペルゲンガーなの‼︎」
動かずに見つめ続ける少女を背に、2人はさらに小道へと走り出した。
~ ~ ~ ~ ~
「ありゃりゃ、逃げられちゃったよぉ。何だか気になってたみたいだから、ここまで連れてきてあげたのにさ」
立ち尽くす少女の背後がグルリと歪み、長髪の男が顔を覗かせる。その顔立ちは若く、一見すると、健常な男だ。
男は逃げていった2人を見送り、その口を少女の耳元に近づける。
「……それでぇ、どうだった? 改めてあの子を見た感想は」
耳元から、少女の素肌が溶け出す。ドロリとした涎が、溶けた肌と共に、ニキビ跡を伝う。
「あのこに――――――なり、たい」
「ふーん、おけおけ」
男の口元が、可笑しく歪んだ。
「さ、帰るよ、赤崎さん?」
歪みは少女もろとも巻き込んで、そのまま元の景色へと戻った。




