リーンの憂鬱
「今日も騒々しいですね勇者サマ。どうして大人しく着替えて食事にしないのですか? 毛髪くらいすぐにくれてやれば良いのに毎朝毎朝飽きもせず。思春期気取りですか?」
開け放たれたままのドアをコンコン叩いてからと言う礼節はあるものの、言っている内容に遠慮はない。
「おはようございますティモシー様!」
「おはようございます、ちもしーさまも毎朝お小言言いに来て飽きないんですか~?」
現れたのはこの城の神官、ティモシーだ。銀色の髪に銀縁の眼鏡。未来予知能力があるとされる神官一族の生まれだが、当然一族全員が予知出来ると言うワケではない。そして残念ながら彼にはその能力はないらしい。
「私は別にお小言を言いに来ているのではありません。勇者サマが旅立つ気になった時にすぐ付いて行けるように見張ってるんです」
「何だか暇じゃない?」
ティモシーは勇者城に仕えてもう何年も経つ。まだ二十代ではあるが年も経歴もテオやシュリよりうんと先輩だ。だが、幼いシュリにはそれは特に尊敬に結び付く事ではない様である。
そんなシュリの言葉にティモシーは顔色を変えるでもなく、くいと銀縁の眼鏡を指で持ち上げて言った。
「暇ではありませんか気まぐれな勇者サマの動向は常に気を付けていないと置いて行かれかねません」
「あーもー朝のこの一連の流れ本当にイヤ!」
「そんなに嫌ならとっとと魔王城に旅立てば良いんですよ」
「うるさいっ! ボリューム的には一番小さいけどなんかあんたが一番うるさい! だいたいあんたもういい歳でしょ?! 可愛いお嫁さん捕まえてどっか平和な街で安穏と暮らしなさいよ!」
「勇者サマよりは長く生きていますがさすがに隠居する様な歳じゃありません。そもそも人間の女性に興味ありませんよ」
「じゃあ犬とでも暮らしててっ!」
「やれやれ、今日もそんな気はさらさらなさそうなお顔ですので失礼します」
「行くにしてもあんたは連れて行かないからねーっ!!」
踵を返して去って行く憎たらしいティモシーの背中にそう怒鳴り散らすと、リーンは今日一番の溜息を吐いた。どいつもこいつも気に入らないが、大声を出さないティモシーが一番うるさい。言われたくない事を毎日諦めずに言いに来る。
「さぁ着替えて下さいリーン。すぐ食事を運ばせます」
「ベッドの手配もしておいてよ」
「えっ、勇者さま自分で燃やしたのに偉そうにするのはダメで……いたたたたた!」
元はと言えばシュリがベッドの下に隠れていたからなのだが、もうそんな事を口に出すのも面倒になって、リーンはシュリの頬を引っ張って余計な事を言えない様にしてやった。
「ふんっ!」
今日も相変わらずな一日になりそうだと、リーンの眉間に皺が刻まれる。
「ああ、そうそうリーン、今日は食事の後で大臣様がいらっしゃるそうです」
「ええっ?! 無理よ! イヤ!」
「無理なら夜にって言ってました」
リーンが嫌がる事も想定内で次の言葉も用意してあると言う事は……、多少引き延ばしても必ず近いうちにはその時間を設けなければならないのだろう。そう悟ったリーンの眉間の皺が濃くなった。
「分かったわよ……食事の後で良いわ」
「はい! 伝えておきます!」
リーンの様子に気付いているのかいないのか、はたまた気付いていてもマイペースを貫けるのか、テオは変わらぬ様子でシュリと共に部屋を出て行った。
勇者城の大臣、シード。
その昔は冒険者をしていたと言う初老の男だ。リーンにとってシュリよりもティモシーよりも、誰よりも苦手な相手である。ティモシーと同じ事を言われるのに決まっているのだ。
だがリーンは、旅立ちたくない。
今回は何と言って引き延ばそうか、適当な答えは出て来ないまま食事を終え、替えのベッドも設置された頃、とうとう憂鬱な時間がやって来た。
「リーン、シード様がいらっしゃいましたよ」
やはりテオはリーンの憂鬱など感じてはいなさそうだ。いつもの調子で声を掛ける。
「勇者殿、シードです」
「……」
リーンの部屋は扉を開けるとさらに寝室と応接室に別れているのだが、半分くらい壁で仕切られているだけで扉はない。彼女は応接室のソファで足を組んでいた。
リーンが返事もしないのはいつもの事の様である。シードは特に意に介した様子もなくズルズルとローブを引き摺りながら近くへやって来た。
リーンはこの音が大嫌いだ。まるで蛇みたいじゃないか。
「お話があって参りました」
シードは長いローブを手繰り寄せると向かいのソファへ視線を向けて「よろしいですか?」とリーンに確認した。本当はよろしくないが自分よりだいぶ年上の、白髪の男を近くに立たせておくのも気持ちが悪いのでリーンは渋々頷く。
「じゃあ俺、寝室の掃除してますね! なんだか炭みたいのがまだ残っちゃってるんで!」
そう言って離れるテオの背中を見送ってからリーンはため息交じりに言った。
「そいつまで良いとは言ってないんだけど」
ゆっくり腰を掛けたシードのローブから、チラリと一匹の蛇が顔を出したからだ。それは袖口から姿を現し、シードの身体を這ってまた首元からローブへ入って見えなくなった。おそらく、シードが両手を広げた長さくらいはありそうな黒い蛇であるが、そこそこの長さのその蛇が一体ローブの中でどう絡み合っているのかと想像するとリーンはどうにも不愉快になってしまうのだ。
「ヴィーラとは一心同体なのです。ご容赦を」
シードはそれを蛇と呼んだ事はない。ヴィーラと名付けたそれと片時も離れぬ姿は誰が見ても異様だが、シードにはそれを黙らせるだけの立場があった。勇者城の人事を一手に担っているシードに文句を言う者は居ないのである。




