不愉快な朝のルーティーン
人間と魔族の共存が不可能だとされて、もう何百年と経った。
その間、人間は勇者を、魔族は魔王を信じ、互いに多くの血を流しては自分たちの領域を守る。
それはある意味で均衡の取れた状況だったのだが、人は常に魔族を恐れた。恐怖と言う人の細胞に組み込まれた感情は、魔族を根絶やしにしない限りいつかこちらが滅ぼされるのではないかと暗い未来を描かずにはいられない。
だが、同時に大きな希望も持っていた。伝説の通りに勇者が誕生したからだ。
真っ赤な髪の、女の子の勇者が。
――赤髪の勇者が世界を救う――
未来予知能力があるとされる神官一族の言葉通り、リリィアンナと名付けられたその女の子は歴代でも最強の魔力を秘めていたのである。
彼女が十六歳になり、伝説の勇者として旅立てばきっと平和が保たれる。いやそれどころか、この世界から魔族を完全に滅ぼす事だって出来る筈だ。そう、あと一年……、あと一年耐え忍べば……!
しかし、歴代最強勇者リリィアンナ・ファーレンは、十六歳になっても十七歳になっても旅立たなかったのである――。
「おはようございますリーン!」
ここは最強勇者が住む城、通称勇者城。
その勇者城内でももっとも豪奢な部屋に爽やかな朝の空気を入れようと、テオは元気な挨拶と共にその部屋の扉をパンと開け放った。
「馴れ馴れしく呼ぶなぁぁぁーっ!!!」
同時に、その部屋の持ち主からの怒号が飛んで来る。どうやら今日も今日とて機嫌が悪い様である。
「はぶっ!」
いや、今日は少しはマシだった。投げ付けられたのが枕だ。こんな柔らかい物で済むと言うのは珍しい。いつもなら花瓶、水差しは当たり前。酷い時はサイドチェストや額縁が飛んで来るのだから。
「ごめんなさい勇者様!」
「そうよ、それで良いの。あたしは勇者なんだから」
そう言ってリーンと呼ばれた少女、歴代最強勇者リリィアンナ・ファーレンはベッドに入ったまま腕組みをした。どうやらカーテンは自分で開けていたようで、朝の光がリーンの赤毛を輝かせている。
輝いているのは髪だけではない。白い肌や、珍しい青紫の瞳や艶やかな唇、小指の爪までも……テオにはすべて輝いて見えるのだった。
ちなみに昨日は勇者様と呼んだらリーンと呼べと怒られたが、彼女をリーンと呼ばずに怒られるのはテオだけである。他の者は例外なく勇者様と呼んでいるのだから。
こんな理不尽に慣れているテオはいちいち昨日はこうだった等とは言わない。
「枕をお返ししますね!」
寝巻のままのリーンに無防備に近付けるのももちろんテオだけだ。
「だいたい名前からして愛されてないと思わない? あたし勇者なのに。何リリィアンナって。弱そう」
「良い名前だと思いますけど、何なら良いんです?」
「エリザベスとかよ」
「はぁ……それなら強いんですか?」
「強い」
「でも勇者様は強いじゃないですか」
「テオ! あんたまであたしをそんな風に呼ぶの?!」
「ごめんなさいリーン!」
テオでなければ、彼女の付き人など一週間ともたないだろう。
「ところで今日はあんた一人なの?」
「はい。シュリが居なくて寂しいですか?」
「姿が見えないから警戒しているだ……」
パキィィン……ッ!
ふいに、リーンのベッドの下から聞き慣れた音が聞こえた。この音は結界の効力が切れた時に出る音だ。一般人にはあまり覚えはないだろうが、戦闘の訓練を受けた事がある者であればすぐにそうだと分かる。
「なっ……?」
何事かと素早くベッドから抜け出し、その足元に注意を向ける。立派なベッドカバーが足元まで隠していてそれを捲らないと中の様子は分からない。
「リーン? ベッドの下に何か宝物でも隠しておいたのですか? 見られたくないものでしたら俺……」
「違うわよ! この反応見て分かんない?!」
テオも良くベッドの下に見られたくない物を隠すのでリーンもそうかと思ったのだが違うらしい。確かに結界まで張るなんて大袈裟だとは思ったが。
「……ったく!」
言いながら、リーンは事の顛末が予想出来たのか、すぐに緊張状態からは解放されて右手の人差し指を立てた。
「出てこないとぶっ放すわよ?」
そしてこの言葉を全部言い切る前に、軽くその人差し指をベッドの方へ向けると、ベッドカバーやマットだけが瞬時に燃え上がり、跡形もなく消えた。一瞬だけ熱を感じたテオは「わっ!」と腕で顔を覆うような仕草をしたがもうそんな必要はない。
指先から何か出たようにも感じなかったのに、あまりにも一瞬で高威力の炎を生み出し、目標を消し炭にしてそれ以外を燃やさない様にコントロールしたのである。
「あ……あれれ?」
そうして骨組みだけになったベッドの下には、男の子が一人、手足を縮こませて横たわっていた。どうやら胎児のようなその姿勢で、今の今まで寝ていた様子だ。栗色のくせ毛が可愛らしくはねている。
「シュリ! 今朝は付いてこないなぁと思ったらこんなところで先回りしていたのか!」
何だか面白い事の様に言うテオをひと睨みしてリーンが男の子に近付いてその耳を引っ張った。
「痛いっ! 勇者さま痛いぃ~~~! やめてよぉ~!」
何だかまだ寝ぼけた様子だった男の子はリーンに無理やり持ち上げられてすっかり目を覚ました様だ。
「乙女のベッドの下で結界張って……あんた一体何やってんのよ!」
リーンやテオよりももっと幼い、十歳のシュリは、リーンに掴まれた耳をさすりながら特に悪びれた様子も見せずに説明を始めた。
「僕いつも言ってるじゃないですか~、研究用に勇者さまの朝一番の、新鮮な毛髪が欲しいって」
シュリがまだ十歳なのは紛れもない事実だが、実はその頭脳を買われ、勇者城で魔術の研究チームに参加している天才なのである。最近では魔法と化学を融合させようとする魔法化学が注目されているのだが、シュリは若くしてこの分野の第一人者。その一環で勇者の血を研究していて、度々リーンの毛髪を採取しに来るのだ。
「言っておけば了承されると思わないで」
「はい……勇者さまは絶対素直にくれないのでいつもテオと一緒に起こしに来てこっそり拾ったりしてましたが……なんかもういい加減それも怠くなってきて、もうここで寝てたら早いかな~って! でも勇者さまって僕みたいな可愛いショタにも一切容赦ないじゃないですか? 頭が良いのに容姿まで愛らしいで有名なのに。だから万が一見つかったら怖いんで結界を張って寝てたってワケです~」
「なるほど!」
「いや全然なるほどじゃないわよ!」
ポンと手を叩いて納得したテオにまず突っ込んだ後、今度はしっかりシュリに突っ込んでいく。
「いつの間に忍び込んだのか知らないけど! 結局すっかり寝込んで、その結界が壊れた音で気付かれてんのよ! だいたい結界くらいでこのあたしの攻撃を防げると思うの?! あと毎回言ってるけどついでにこれも突っ込んであげるわ! 毛髪に鮮度とかないから!」
リーンが一気に喋り切ると、テオもシュリも何だか満足そうな顔をしている。
「朝から元気で可愛いです、リーン」
「はい、勇者さまは何だかんだちゃんと突っ込んでくれるので僕は大好きです~」
「ふん、こんなツッコミ文字通り朝飯前よ」
真っすぐに褒められてついその気になったリーンを横目にシュリがぼそぼそとテオに耳打ちする。
「これくらいじゃポッとならないんですね。テオがいつも可愛い可愛い言い過ぎて通用しないんじゃないですか?」
「いつも可愛いんだから仕方ないだろ? それにポッとはしてなくても今リーンは確実に上がっているよ」
「聞こえてるーっ!」
結局リーンはまた大声を出す。今日こそは、明日こそはペースを乱されまいといつも気合を入れて起きるのに、朝はこんな風にいつもバタバタしてしまうのだ。
そしてこの不愉快な朝のルーティーンにはもう少し続きがある。




