1062.「井戸端会議と王の守護者」
夜間防衛を終えて城に戻る途中、奇妙な井戸端会議を目にした。大勢の女性がなにか議論を交わしている。
「わたくし見たのよ! ケダモノが人間を襲うところを!」
ヒステリックな声に同調する者が多い。
「私も見たわ。恐ろしいわよね!」
この声には聞き覚えがある。かつてオブライエンの会議に招かれた、主婦連合の長であるシエラだ。中流階級の主婦であるものの、王都の世論形成に影響をおよぼす女性。
「でもなんで、他種族は敵じゃない、なんて声がしたのかしら?」
「不思議よね」
「ねえ、シエラ。あなたなら分かるんじゃなくって?」
足を止める必要性はないが、なんとなくその場に留まって耳を澄ます。
シエラは人垣の中心でうんうんと唸っている。何度も首を傾げて、最後には額に手を添えた。
「駄目。ちっとも分からないわ。みんなの言う通り、私にも声は聴こえた。他種族がひとを襲ってるのも見たわ。もしかして敵なのかもしれない。でも……本当はそうじゃないと思うの」
「なんで!? だって絶対に人間を襲ってたわよ!」
「襲われてる相手、なんだかおかしくなかったかしら。全員同じ顔で、まるで既製品の人形みたいな」
「そうだったかしら? あんまりよく覚えてないわ」
「あたしは覚えてるわよ。シエラの言う通り、ありゃ血族の手先ね。人間に化けたんじゃない?」
「なら、なんでケダモノが血族と戦ったの? 分かるかしら、シエラ」
シエラはしばし黙考し、「あ」と思いついたように言う。
「他種族はもともと味方になるつもりで来たんじゃないかしら」
「……ごめんなさい、意味が分からないわ。だってケダモノはむしろ血族側じゃなくって?」
「血族の仲間じゃなかったってことだと思う。もし人間が滅びたら、他種族側も血族と全面戦争になるかもしれないじゃない。だから恩を売りに来たのよ!」
「恩を売ってどうするのかしら? わたしたち人間の隙を作って、今度は寝首をかくつもりなんじゃなくって? ああ、考えるだけで恐ろしい!」
「寝首をかくなら血族が撤退してすぐにやるでしょう? でも彼らは一斉にいなくなった。まるで煙みたいに。……私はこう思うの。恩を売って、グレキランスの人間にちょびっとでも良く思われたいのかなって。私の息子が通ってる学校でね、いじめられっ子がいるのよ。でね、その子の隣の席にいた女の子の手鏡がなくなって、これは大変、盗まれた! ってなったのね。可哀想に、いじめられっ子が盗んだことにされたんだけど、その子、必死になって学校中を探したのよ。盗人とか泥棒とか言われながら。でも見つからなくて、しばらくして女の子は自分の家に忘れてきたのに気付いたのね。それで、女の子はいじめられっ子に謝ったのよ。偉いわよね。で、その子はなんて言ったと思う? 『良かった』って笑ったの。次の日からいじめはなくなったわ。というより、仲間が出来たの。まず女の子とその取り巻きが友達になってあげて、しばらくすると誰もその子をいじめなくなったわ」
「いい話だけど、それとケダモノになんの関係があるの?」
「同じじゃないかって思ったの。私、今まで他種族のことを、なんだかすごく野蛮で厭な奴だと思ってたわ。みんなもそうじゃないかしら? きっと他種族のほうでも気後れして人間に近付かなくなった。でもここで恩を売れば、友達になれるって思ったんじゃないかしら」
同調の声が広がるなか、わたしは王城へと歩みを進めた。謁見の日以来、ヨハンの姿を見ていない。多忙なのだと言ってどこかへ消えたきり。
オブライエンがシエラを利用したように、ヨハンも同じ手管を使ったに違いない。他種族忌避の風潮を根底から変えることは出来ないものの、段階的に軟化させるのは可能だ。主婦連合への介入は第一段階といったところだろう。
どうでもいい。ニコルとの再会以前のわたしなら、そのように切り捨てたはずだ。そのうちの多くのものが、今のわたしにとって必要なのではないかと思えている。なにが強さのピースになるか定かでない以上、なにも捨て去ることが出来ない。厄介で面倒極まりないし、わたしに――というよりグレキランスに――残された時間はわずか一年。
グレキランス一帯の者をすべて血族にする。それがニコルの計画だ。
きっと混乱は生じるだろうが、そうなったところで、すべてニコルとラガニアのせいにしてしまえばいい。グレキランスが国家として崩壊するイメージまでは描けなかった。
むしろ今現在グレキランスに発生している問題のほうが大きいのではないか。戦争における多くの死と、それに付随する生産能力の低下である。
解決の糸口はどこにあるのか。ヴラドかもしれない。ヨハンがせしめた賠償金もそうだが、奇妙なことに、グレキランスへの代償を支払うと公言したのだ。あれは嘘を吐く男ではない。まとまった金が王都に流れ込むだろう。だとして、今は深刻な人手不足だ。交易は細々と再開されているものの、多くの店が休業状態にある。騎士はともかくとして、各地から訪れた兵士たちの死は深刻だ。一次産業へのダメージの大きさは想像に難くない。
そんなことを考えているうちに声をかけられた。
「よお、クロエ」
気安い言葉に比して、松葉杖姿はなんとも痛々しい。
「ジェイン。大変だったわね」
眉尻を下げて彼に駆け寄る。この演技は功を奏したらしく、ジェインは照れくさそうに顔を背けた。
「まあな。少しだけ無茶をした」
「階段から落ちたの?」
「馬鹿、そんなんじゃねえよ」ジェインは愉快そうに笑って、すぐ真剣な顔になった。「ユランって奴と戦ったんだ」
あのユランと戦って生きているなんてありえない。手を抜かれたんだろう。
「強かったのね、ユランは」
「ああ。手も足も出なかった。それで無茶な戦法を採って、逆に死にかけたってわけだ」
彼の頬が上気しているのは、そのときのことを思い出しているからか。それとも別の理由があるのか。
「顔、真っ赤になってるわよ」
冗談っぽく言ってみる。するとジェインはますます赤くなり、わたしに背を向けた。
「うるせえよ」と呟き、それから「俺は近衛兵を辞めようと思う」と続ける。
「え。なんで?」
ジェインは立場に固執していたはず。というか、近衛兵の大部分がそうだ。栄誉を求める秀才たちで構成されている。そんな近衛兵たちが、かつての王都襲撃の日で馬脚を表したのは記憶に残っていた。ジェインもそのひとり。敵前逃亡を図ろうとした彼をわたしが止めなければ、きっとどこか安全な場所で震えていたはず。
そんな彼も今では近衛兵のトップだ。捨て去るには惜しいくらいの地位と言える。
「俺は陛下の盾になれない。剣にもなれない。セロのほうがよっぽど立派だ」
たぶん本気で言っている。そしておそらく事実だ。傷だらけのジェインより、玉座で会ったセロのほうが強いだろう。
止める理由はない。でも、止めてみようと思った。
「あなたは自分の弱さを思い知ったのね」
ジェインが一瞬、眉根を寄せる。すぐに表情は軟化したが。
「ああ。なにより、卑劣な人間だって自覚した。このまま居座ったら陛下に恥をかかせちまう」
「そういうの、ノックスは一番嫌いよ。一緒に旅をしたから分かるけど、彼、あなたのようなひとを信頼してるわ。ボロボロになって、それでも戦い続けて、自分の弱点にも目を背けない。そんなあなただからこそ、ノックスは信じる」
目を丸くしているジェインに、さらに続けた。
「騎士はそこからがはじまりなの。自分がどうしようもなく弱いんだって知ってから鍛錬する。ジェイン。あなたは今ようやく、王都の守り手に相応しい心を手に入れたのよ。だから精進することね。王様を守るために」
「クロエ……」
わたしは微笑みを投げ、その場を去った。
たぶん、激励と慰めはこんな感じだろう。正解かどうかは分からないけど。そもそもなにが正しいかなんて、言った側のわたしじゃなく、ジェインが決めるべきだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。光の魔術を介せる剣の魔具を所持。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ
・『ジェイン』→近衛兵副隊長だったが、スヴェルの死により隊長に昇格。尊大な性格。王都が魔物に襲撃された日、前線から逃亡しようとしたところをクロエに叱咤され、グレキランスの守護者として再起した。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~曇天の霹靂~」』にて
・『セロ』→ノックスにより処刑人の任を解かれ、王の守護者兼、友人となった。王家の血を引いている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『シエラ』→王都に暮らす中流階級の主婦。王都の世論形成の一端を担う『主婦連合』の一員。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品『貴人の礼装』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。血族の撤退宣告後、ヴラドの命令を受けたジーザスによって生きたまま細断された。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑦千年の都ー」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。戦争で実質的にニコルに裏切られたことにより、ラガニアに反旗を翻す心算。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑦千年の都ー」』にて
・『オブライエン』→王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめた。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。魔女の執事ウィンストンにより討伐された。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑦千年の都ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『主婦連合』→王都の主婦たちによる井戸端会議の延長のような組織。その実、世論形成の大きな要因を担っている。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~②名も無き王~」の幕間.「王都グレキランス ~再会と継承~」』にて
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は血族の土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より




