1061.「或る官吏の悲嘆と敗北」
どうして『鏡の森』に帰らなかったのか。
そう問いかけて五分が経過しようとしていた。グレガーはこちらに視線ひとつ寄越さず、淡々と魔物を処理している。かくいうわたしも魔物を狩り続けていた。
無視されたと判断するには充分過ぎる。かといって問い直すほどの執着はない。だから冗談っぽく誤魔化そうと画策した。それを言うにしても遅きに失した感は否めないが――。
『私が王都を去った理由から話さなければならない。長くなるが、それでもいいか?』
交信魔術が届き、そうか、と納得した。
大っぴらに話せない事情があるから表向き無言を貫いたのか。皆が魔物と戦っているとはいえ、この場にいるのはわたしとグレガーだけではない。五分間の沈黙は交信魔術の調整とみるべきか。
グールの首を斬り飛ばし、振り向いて親指を立てた。ついでにウインクもしてみる。相手の反応はぼちぼちといったところ。つまりは憂鬱な苦笑である。こちらが以前のクロエではないことくらい彼は見抜いているはずだ。だから、無理をしているように映ったのかもしれない。
『百年以上前のことになる。王都は――』
暴君が支配していた。彼は嫁いできた令嬢を虐げ、その挙げ句に殺してしまう。彼女がある男に執着していたのが理由だ。
深い森から訪れた獣人に恋をしたのである。獄に入れられた彼を解放するよう王妃が求めた結果、暴君の逆鱗に触れ続け、過剰な暴力によってこの世を去った。
と、ここまでは聞き覚えのある内容だった。アンナ王妃とゾラの物語。樹海で当人が語った悲劇は忘れていない。
『亡き王妃の遺体は隠された。獣人が攫ったと思わせるための工作だな。……彼女の遺棄された場所は、監獄内に存在する不帰の穴だ。今でもそう呼ばれているのかは分からないが、ともかく彼女はそこに捨てられた。……いや、正確ではないな。その場所に遺体を安置したのも、偽装工作のために獣人を逃がしたのも、私だ』
どうリアクションするのが正解なのだろう。そんな疑問を抱えたまま魔物を斬る。斬り続ける。
『私は王妃の味方であると同時に、暴君の手先でもあった。今はどうか知らないが、当時の騎士は王城の官吏も兼ねていたからな。逆らえる立場にない。たとえ騎士の頂点に座していても』
でも、記録では彼の序列はナンバー2だ。頂点に立った証拠はどこにもない。ほかの騎士は序列の入れ替えのたびに変遷を記されている。すると、どこかの時点で改竄されたと考えるべきだろう。
『亡き王妃は妊娠していた。母体が死ねば子も死ぬのが道理だが、そうならなかったのは理由がある。不帰の穴は一切の魔術が使用出来ないが、奇妙な例外もあるのだな……妊娠を知らせたのも、子を無事に産ませたのも、オブライエンだ。当時は見抜けなかったが、死霊術を行使したのだろう。表面的には死んだ状態でありながら、内部は正常に動くように。子供は無事に産まれる運びとなった』
オブライエンがどうしてわざわざ姿を見せ、そこまで世話を焼いたのか。
なんとなくだが仮定は出来る。
血。
その子は初代グレキランス王スタインの血を引いていたのではないか。
『少し脇道に逸れるが、不帰の穴には当時、梯子があった。私は出産を暴君に報告したのだが、奴は知らぬ存ぜぬで怒りをぶち撒けただけ。そうなると分かってなお行動するあたり、私も病的だったと今では思う。官吏であることにこだわり過ぎていたんだ。騎士団頂点の座に誇りを持っていた。決して失いたくないと縋ってしまった。愚か者と断じてくれて結構。事実、私は愚かだった』
以前のわたしも愚かだったけど、捨てたもんじゃないって今なら思うよ! そう返そうかと思ってやめた。感情を失っていても理性はある。
『私は日毎、不帰の穴に通っては幼児の世話をした。オブライエンも面倒を見ているようだったが、私は愚かさに加えて傲慢でもあったんだろう。産まれた女の子に愛着を感じていたんだ。日増しにその感情は強くなり、私はほとんど現場――今で言う夜間防衛に出なくなった。亡き王妃がたったひとつ遺した宝物をなんとか健康に、無事育てるのに躍起になっていたんだよ。それが二十年も続いた。彼女はアンナそっくりに育ち、しかし少しだけ癇癪持ちな面があって、それすら愉快に思えたものさ』
グレガーの現在の見た目は三十代、いや、二十代後半と言っても誰も疑わないだろう。アンナの子供が産まれたとき二十歳だったとして、その頃には四十か。
辻褄はいくらでも合う。『鏡の森』で不老を実現したくらいだ。肉体を全盛期の状態にするくらい不可能ではないだろう。どんな魔術に頼ったのかは定かではないが。
『彼女が二十歳になって間もなく、私がいつものように不帰の穴に降りると、死体が転がっていた。男の囚人。王妃の娘は彼を殺したのだと言ったよ。耳を疑ったね。なぜ、と問いかけても返ってくるのは混乱に満ちた反応だけ。彼女自身、なぜ彼を殺めたのか分からなかったんだ。……しかも、それだけじゃない。気を悪くしないで聞いてほしいんだが、彼女は囚人と性行為をしたのちに殺した。当時の私は愚かではあっても比較的冷静な性質だったが、この一事は完全に理解を超えていたよ。そこに現れたのがオブライエンだ』
錆びた笑いが耳に蘇る。おおかた察しはついていたが、人倫なき悪事の影にはシルクハット姿のオブライエンが常に見え隠れしているように思えた。
グールの両腕を落とし、足を斬り、首を刎ねる。霧散した魔物が夜の景色をわずかな間、曖昧に隠した。
『王妃の娘は洗脳されていた。これは私が到達した推論ではない。オブライエン当人が口にしたのだよ。平然とね。愚王に娘を操作する道具を与えて、彼女が決して望まない行為をさせたんだ。なぜ。もちろんそう聞いた。オブライエンはさぞ愉快そうに、暴君と会ってきたなどと言う。そして彼の、亡き王妃に対する執念を刺激して、残虐な方法を提案したんだ。永遠の汚辱を与えるために、王妃の血を継ぐ者を孕ませて自害させるのはどうか、と。それを聞いた刹那、私は娘へと駆けた。そう長い距離ではなかったんだがね、死んでいたよ。涙を流して、自分の頸動脈を爪で切り裂いたのさ』
その行為が洗脳だったのかどうか、わたしには不明だ。だから想像する。オブライエンが一切を明かした相手はグレガーだけではない。当の娘もその場にいたわけで、自ら死を選んだ可能性は大いにある。
『……私は呆然としてしまったよ。オブライエンが母体の内部を維持しようと近寄るのを無視して、なにも考えずに梯子を登った。そして暴君をこの手で殺めて不帰の穴に帰還したのだよ。理性的な行動じゃなかった。だが後悔はない。例の洗脳道具がどこにあるか探したものの、ついぞ見つからなかったのが心残りだな。……帰還した私を、オブライエンは鷹揚に出迎えたよ。私は自分がなにをすべきか、まるで分かっていなかった。奴を殺す気はあったはずだが、踏み出せなかったのは己の冷静さゆえだろう。勝てない。そう直観するのになんの抵抗も感じなかった。ただ睨むことしか出来ない私に、オブライエンはこう訊ねたんだ。これからどう振る舞うのか。今でもそのときの言葉も口調も思い出せるよ。……邪悪を終わらせる。それが私の答えであり、しかし叶わなかった願いだ』
それから研究したのが不死魔術か。
案の定、グレガーはわたしの想像した通りに話を続ける。
『私が不死魔術の研究をはじめたのは、それから間もなくのことだ。一生を費やしても敵わない悪漢を相手にするのだから、こちらも人間の域を出なければならない。それから二十年ほど研究に打ち込み、とうとう骨組みを完成させた。そんな矢先、オブライエンが私の住まいに入り込んだんだ。こちらのやっていることは全部お見通しだったようだね。しかし彼に殺意はなく、私の理論をことごとく児戯だと見做し、私を追放した。不埒な研究に手を染めたとして。私が若返った理由は私自身も分からない。追放の日に目覚めると全盛期の肉体を得ていた。……オブライエンがやったのだろう。彼は悠々と、自分はひとの生き死にはもちろん、老いや若さも操れる、そしてなにより不死者だと言ってのけたのだからな』
かくしてグレガーはオブライエンという生涯消えないトラウマを抱え、『鏡の森』で研究を続けたというわけか。
しかし、肝心のことが聞けていない。
「で、どうしてセロを見て王都に残ると決めたの?」
グレガーは壁にもたれて、じっとわたしを見つめている。それでいて魔物の処理は滞りない。
やがて頭のなかで彼の声がした。
『永遠に留まる気はない。だが、しばし残る気になったのは、セロが王妃に瓜ふたつだったからだ』
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だったとされる男。不死魔術の研究により、王都から追放された。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。勇者一行であるゾラとの面識あり。ゾラの記憶する限り、グレガーはかつて騎士団の頂点に座していた。詳しくは『205.「目覚めと不死」』『868.「若年獣人の長き旅⑥ ~奪取~」』にて
・『セロ』→ノックスにより処刑人の任を解かれ、王の守護者兼、友人となった。王家の血を引いている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『アンナ』→ゾラが語った過去の登場人物。貴族令嬢であり、グレキランスの王妃。傲慢で横暴なグレキランス王との政略結婚の前日に抜け出し、若き日のゾラと出会った。王により虐待を受けて絶命。王都で囚われたゾラの解放を望み、その役目を騎士のグレガーに託した。詳しくは『867.「若年獣人の長き旅⑤ ~結婚報告~」』『871.「若年獣人の長き旅⑨ ~官吏に必要な感情~」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。恋愛に関しては極度に潔癖な一面もある。勇者一行でありヨハンの兄でもあるジーザスと契約し、人間殲滅を目的とした戦争への参加を余儀なくされている。クロエに敗北し、ヨハンの提示した戦争での役割を受け入れることとなった。すべての種族が争いなく共生する世界、『ユグドラシル』を理想としている。しかしながら過去、人間との交流によって失意を味わい、結果、人間に対する愛憎の念を抱くようになった。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』『Side Grimm.「獅子のひとりごと」』にて
・『オブライエン』→王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめた。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。魔女の執事ウィンストンにより討伐された。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑦千年の都ー」』にて
・『スタイン』→オブライエンの双子の兄。オブライエンとともにラガニアに宣戦布告した。スタインの死をトリガーとして、人を変異させる兵器『アルテゴ』がラガニアに拡散された。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『死霊術』→死者を動かす魔術。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『不死魔術』→肉体の生命活動を魔力の流れと一致させることで、肉体の損耗を修復し、実質的な不死を得る理論。王都では禁止魔術に指定されている。詳しくは『第一章 第六話「鏡の森」』にて
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『不帰の穴』→王都の地下牢に存在する、幅一メートル程度の深い縦穴。獄吏の手に負えない罪人を放り込むことになっている。底は処刑人の住まう監獄になっており、魔術の行使が一切出来ない。詳しくは『Side Nox.「死の神様」』にて




