幕間.「公爵の激昂と計略」
アスター城は増築こそされているものの、千年を優に越える遥かな時を経てなお健在な建築物――と言われている。実際のところは不明だが、少なくとも夜会卿ヴラドが産まれたときから存在しており、ラガニアの悲劇でも崩壊しなかった稀有なシンボルだ。以降、今までずっと維持されていた。丘陵を利用し、城までの道は螺旋状に街を経巡る。当今では商家や娯楽施設が軒を連ねるが、かつては螺旋の要所要所に砦を擁し、銃眼の並ぶ壁が城への道をより堅固にしていた。
城も街も、歴史を孕んで存在している。玉座は無論、誰にも侵されぬ聖域と言っていい。
ヴラドは城内の至るところに散った黒い絨毯――血族の血を踏みしめて玉座に帰還した。そして当然ながら激昂したのである。
「貴様には礼儀という概念がないのか?」
玉座の間もまた、血に汚れていた。この街の領主しか座すのを許されない玉座に、足を組んで座っている不届き者を睨む。相手はというと、退屈そうに前髪を弄っていた。
「礼儀はあるよ。もちろん」
ニコル。グレキランスからの来訪者であり、ラガニアに寝返った男だ。ヴラドが本気になっても排除出来なかった相手である。もっとも、こちらを始末出来なかった意味ではニコルの側でも同じだが。
「アスターを乗っ取るつもりか?」
彼の眼前まで歩を進め、見下ろす。部屋の隅で使用人が震え、首に刃物を触れさせていた。彼ら彼女らのような手合いは、道々で目にしている。なにが起きたのかも従者が伝えてくれた。
唐突に現れたニコルに対し、アスター城の面々はひどく戸惑ったのだ。ニコルは血族の味方であり、アスターと首都ラガニアは表向き友好的である。ヴラドが彼を認めたのがなによりも大きい。ヴラドとしては、王族直系のイブと結婚した以上、類縁だと見做すほかなかった。
「乗っ取るつもりなんてないよ」とニコルは笑う。「誤解のないように言っておくと、僕は誰ひとり殺してない。彼らは自分の判断で死を選んだ。可哀想に」
口元に儚い微笑を残し、ニコルは冷えた視線をこちらに送る。
事実だ。城の使用人たちは皆、この状況をどうしていいか慌て、焦り、ニコルが玉座に至った時点で連鎖的な自殺がはじまったと聞いている。主君の玉座を侵す輩をどうにも出来なかった以上、いずれ必ず下される残酷な処断を恐れての行為だろう。なかには己の無力を静かに悟り、自刃した者もいよう。少数派だろうが。生き残ったのは、判断をしなかった者と、一切を報告すべきと決断した者、そして死ぬ勇気をついぞ持てなかった者だ。
誰ひとりニコルを襲撃しなかったのは、彼の強さだけが理由ではない。友誼を結んだと公言してあったためである。そして実質的に首都ラガニアの頂点にいるのだから、暴挙だろうとなんだろうと咎め立て出来ない。一介の使用人風情には。
「それで、なんの用件だ」
「腹を割って話そうと思ってね。二人だけで」
怒りは晴れない。しかしヴラドは気を落ち着かせ、人払いしたのち、いまだ玉座にいるニコルと正対した。
「グレキランスのことなら、別段疑っていない。お前の計画に乗ろう」
業腹だが、と内心で唾棄する。
あの戦場で、グレキランス一帯の人間をすべて血族に変えると囁いたのだ、この優男は。
ヴラドが撤退を決めたのもそれが理由のひとつとなっている。ほかならぬグレキランスに賠償を約束したのも同じだ。
「計画は実行する。でも、君はきっと裏切られた気になってるだろう?」
「……話が違ったのは確かだ。我々は人間を蹂躙すると聞いてグレキランスで狩りをした。しかしお前の真の目的は千年の仇敵だったと理解している。我々を囮に使った無礼は水に流そう。いまだ玉座を占めている不遜さも許容する。だが、ひとつ解せない」
実のところ水に流すつもりはない。然るべき報いを受けさせると決めていた。
「なにが分からないんだい」
「シフォンだ。あの女はどうして裏切ったのか。お前の指示か?」
ニコルがはにかむ。そしてまたぞろ前髪をいじくった。
「シフォンは、自分を負かした相手に従っただけだよ。精神面に変化があったようだけど、僕としては嬉しい。心から。一緒に旅した仲間には幸せになってほしいからね」
「お前はなぜ、そのような指示をしたのだ」
「必要だったからだよ。もし彼女が負けるなら、きっと人間の手駒にされる」
「……はじめから裏切らせる前提だったと?」
我知らず、こめかみに血管が浮く。
ニコルは平然と頷いた。
「そうだよ。というより、依頼してた。シフォンは勝敗に関わらず、君たちに害を為す存在になるように。簒奪卿シャンティ。縫合伯爵ルドラ。そして君の取り巻き全員。……シフォンに頼んだ仕事は、今挙げた血族の殲滅だよ」
簒奪卿の部隊が壊滅した理由。今に至るまで謎を孕んでいたその真相が腑に落ちた。相手がシフォンならば、さすがのシャンティも勝てはしない。
無論、納得して終わり、とはなるはずがなかった。
「我々を始末したかったのはなぜだ」
「要らないから。真っ先に参戦を決めた欲深い連中に、新しい世界の椅子は用意したくない」
選別。なるほどとヴラドが内心で納得したのは、己を冷静にするためだった。でないとこの場で縊り殺してしまいそうで、しかし殺されるのはこちら側だろう。自分がニコル以上だなどと思い上がってはいない。
「そうか。残念だ。……ところで陛下はお前の謀略に合意していたのか?」
ニコルが少々ばつの悪そうな顔をし、逡巡した挙げ句に肩を竦めた。
「ノーコメントで」
つまりはノーだとヴラドは断定した。千年経っても幼いあのイブがラガニア人の虐殺を受け入れるとは思えない。此度の謀は一切がニコルの独断によるものだと考え、少しばかり安堵を覚えた。
はじめから為すべきことは決めている。そこに強固な支柱が加わったと感じた。
「話はそれだけか?」
「うん。これで全部だよ。それで、君はどうする? 僕を殺すのかい?」
「ノーコメントだ」
ニコルが声を上げて笑った。意趣返しをさぞ愉快に思っているのだろう。あるいはこちらの思惑をすべて把握した上で、事が彼の想定通りに進んでいるからか。
どちらでもいい。看破されていようといまいと。
「それじゃ」ニコルが立ち上がり、ヴラドと同じ高さで視線を合わす。「待ってるよ。いつでもかまわない」
その言葉を最後に、ニコルは消えた。
ヴラドはひと息つく間も己に許さず、即座に城の交信魔術師を通じて城内の人々に呼びかける。ニコル侵入の一件で誰も咎めぬと。
彼としては妥当な判断だった。これ以上人員を減らすのはありえない。グレキランスであのまま戦い続けなかったのも、自軍の被害を抑えるためだ。連中に賠償を約束したのも今後を見据えての判断である。
一年以内にクロエがラガニア城に到達し、ニコルに敗北を喫すればいい。血族と化したグレキランスの連中は混乱のさなか、こちらの申し出に飛びつく公算が高いと読んでいる。この悲劇をもたらした悪漢ニコルへの反逆。動機としては充分。
クロエがいつラガニア領に入るかは定かではないが、即時というわけにはいくまい。然るべき時間を要するはずだ。ニコルを討つための準備を整え、アスターに訪れる。純粋な意味で、言葉通り歓迎してやろう。なんなら路銀を工面してやってもいい。
ヴラドが計画を立案したのは、ニコルの囁きを耳にしてからではあるものの、その意志が萌芽したのはイタチの姿から人間へと戻った瞬間である。
殺す。
なんとしてでも。
首都ラガニアと決別し、ラガニア領すべてを掌握する。ルドラ翁に許しを与え、亡きイアゼルおよびガーミールの領地に呼びかけるだけで兵員が足りるとは思っていない。
だからユランを首だけにしたのだ。此度の戦争に彼の領民は一切関与していないが、主君が命じれば諾々と従う。ユラン公爵領の者は牧歌的ではあるものの、戦闘に関しては秀でていると耳に入っている。彼自身を懐柔するのは難事ではない。あれはなんでも鵜呑みにする愚者だ。だからこそユラン自体は参与させず、彼の領地の者だけを奪い取る。ほかならぬ彼がそう命じるよう運べばいい。
そのように頭で考えながら、ヴラドは玉座を素手で粉々にしていた。破片が皮膚に刺さり、流血してもなお。
アスターがラガニアの首都となり、己の隣にイブがいる光景を思い描く。
ヴラドは無意識に笑った。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『簒奪卿シャンティ』→黒の血族で、ラガニアの子爵。過剰な装飾と肉体改造を施した、傲慢で残虐な女性。同族の土地へと侵略を繰り返す様から、簒奪卿の異名がつけられた。固有の異能である液体操作を持つが、有機物に限っては相手の意識がなければ操れないという制約がある。加えて、スライムを使役する。リクの腹違いの姉。戦争において前線基地を襲撃したが、シフォンの裏切りにより全軍壊滅。王都東門でメルキュールを圧倒し、スィーリーを返還する代わりに自分とリクの領地であるマナスルとブロンの保護を依頼。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。貴品『万世一糸』を体内に埋め込んでいる。煙宿を一度は制圧したが逆襲され、捕虜の身に。戦争の趨勢に関し、ヨハンと賭け(契約)をした。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。気分屋で子供っぽい性格。乳母のルシールに依存している。ベアトリス男爵の異父兄弟。左手の五指に別種の洗脳魔術の魔紋を彫り込んでおり、洗脳魔術に必須となる手続きを無視して対象に洗脳を施すことが可能。また、魔術を拡散する貴品『多幸の喇叭』で、各種洗脳魔術を拡散出来る。戦争に参加した理由は、マグオートから流刑地に入り、実母に再会するため。マグオートで敗北し、逃走先の廃墟ルピナスでフェルナンデスに討たれた。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『四代目ガーミール』→黒の血族で、ラガニアの公爵。二つ名は『穿孔卿』。代々家督を継ぐ者に、ガーミールの名が襲名される。鎧状の貴品『真摯な門番』を所有。自信家で、侮辱に敏感。そして口が軽い。しかし誠実。戦争には金を稼ぐために参加した。金銭を必要とする理由は、友人であるヘルメスの研究に注ぎ込むため。半馬人の隠れ家を襲撃したが、ヨハンの提示したプランの乗るべく、オブライエン討伐の可能性に賭けて犠牲になった。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品『貴人の礼装』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『イブ』→魔王の名。ラガニア王の三女だった。ラガニア王直系の生き残りは彼女のみ。肉体は成熟した女性だが、精神は幼い状態のまま固定されてしまっている。魔物を統率する力を有する。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を所持。実は騎士団長ゼールの養子。シンクレールの塩オムレツを気に入っている様子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は血族の土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣などが使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて




