幕間.「前線基地の継承者」
南門の夕暮れ時、レンブラントは北西の方角を見据えて深く息を吐いた。そして思い出すのはシンクレールの顔である。
ニコルの撤退宣言を聴くまで彼を南門に留め続けたのは自分だ。
――なら、賭ければいい。僕の言葉が真実かどうか。
そう迫ったシンクレールに対し、レンブラントは返事を保留し続けた。迷っていたわけではない。
「レンブラント様。ヴラド様より正式に撤退宣言が出ましたが、どうなさいますか」
ナターリアが普段通りの目で声をかけてくる。撤退指示はレンブラントにも当然届いており、それを知らぬ彼女ではない。
「それじゃ、前線基地まで転移させてくれるかな。部隊のみんなは夜に行軍すること。魔物の使役権限はアストラルくんに譲ろう。兵士に――いや、人間には指一本触れないように命じておいてね。で、帰還ルートは前線基地経由。おじちゃんはひと足先に行ってるから」
まばらな頷きが返る。
ナターリアに視線を送ると、彼女はピンと背筋を伸ばしたまま問うた。
「なぜシンクレール様の賭けに乗らなかったのですか?」
「若いねえ、ナターリアちゃんは」
彼女はそれが気になって仕方なかったのだろう。カジノの支配人として辣腕を振るっているのだ。支配人になってからもディーラーを務めているあたり、賭け事そのものが大好物。
そんなナターリアに、レンブラントは飄々と返した。
「運のいい奴は賭けに乗らない。絶対に勝てる賭けはするけど、それってもうギャンブルじゃないからね」
ナターリアの目はそのままだが、口はへの字に曲がった。なんとも分かりやすい不平である。
が、彼女はそれ以上なにも言わず、転移魔術を行使した。攻撃魔術は最低限で、それ以外の一般的な魔術は大体会得している。卓越しているのは看破魔術ならびに隠密系の魔術、そして転移魔術。自分のように不器用な魔術師とは格が違う。なんの卑屈さもなしにそう思えるのは、齢をとったからだろう。
前線基地内の隠し部屋を見つけたのは、言うまでもなくナターリアだった。一見するとただの壁だが、戸になっている。開け放ったあと、サッと飛び出した影がひとつ。
攻撃、ではなかった。
「レンブラントおじさん!」
飛び込んできた小さな体温を感じ、レンブラントは少しばかり情けない気分に覆われる。革命家エルネストの娘、リリー。彼女が落人になった責任は言うまでもなくこちらにあった。革命を扇動する立場でありながら、同時にアスター城に属しているという矛盾について、彼女はまだあまり考えたことがないのだろう。
どの革命も絶対に成功させるつもりで仕込んできた。ただし、前線に加われない。そのような微妙な位置にいるレンブラントに対し、蔑視を向ける者は少なからずいた。勇気がなくて革命に参加出来なかったような手合いか、革命参加者の親族がそうだ。前者は説き伏せられる。しかし、後者は憎しみの言葉と唾を吐きかけて死出の道――毒色原野へと歩むのだ。
リリーの身体を支え、背を撫でる。パッと顔を上げた彼女は大層にこやかだった。だからこそ、幾ばくかシンクレールへの申し訳無さを感じてしまう。
「久しぶりだねえ、リリーちゃん」
「ホント、久しぶり! ナターリアさんも!」
「お久しぶりです、リリー様」
「アハハ! 懐かしい! ナターリアさんって変わらないわね。いっつも丁寧なんだから」
嬉しそうに笑うリリーを地面に降ろす。すると、彼女は急にもじもじし出した。身体を揺すり、少しばかり頬を上気させている。爪先で小石を蹴って、視線をあちこちへ散らす。やがて意を決したのか、こちらを見上げた。
「おじさんがここにいるのは、そういうことよね?」
「ん? そういうことって?」
「シンクレールから聞いたんでしょ?」
そうか、と笑いを堪える。この娘はあの青年魔術師に恋をしているのか。なら、なおさら悪いことをしてしまった。
リリーが絆された、とは思わない。この年齢は騙されやすいものの、シンクレールのような男に会えて幸運だと言える。魔術師としては見込みの薄い奴だが、あの目は本物だった。ほんの小さなものであれ、それが大切だと感じれば命まで張れる。そんな男はなかなかいない。
「そうだよ。シンクレールくんが全部教えてくれた。けどねぇ、簡単に信じちゃったら駄目なんだよ。部隊長だしねぇ。勝手に持ち場を離れたら夜会卿に虐められる。だからおじちゃんは彼を信じてるけど、撤退が決まるまで動けなかった。分かってくれるかい、リリーちゃん」
子供に嘘はつけない。というより、つくべきではないとレンブラントは考えていた。リリーは物心ついてから十年と少し。父親にべったりだった印象が強いが、落人としてこの歳まで生きてきた。嘘を見破られて不興を買うのは本望ではない。
「分かる」
彼女が沈んだ気持ちになってしまうのも事前に想定していた。夜会卿という名は聞きたくもないだろう。
ふと、隠れ家の入り口を見ると、二人の人間と一体の獣人がこちらをこっそり監視しているのが映った。警戒されて当然。彼らにとっては謎の血族だ。
だから先を制す。
「どうも、はじめまして。おじちゃんはレンブラント。こっちの女性はナターリアちゃん。おじちゃんたちはリリーちゃんの友達だ」
それからリリーは意気込んで人間たちを引っ張り出し、順々に紹介していった。ヒゲの男カリオン。怯えがちな女性エイミー。獣人のクラナッハは、落人になった彼女を見守ってくれた存在だと知り、安堵が胸に広がったものだ。
彼女を支え、今このときまで生かしてくれたすべてに感謝したい。革命を扇動する者として、失敗はいつだって心に消えない傷を残す。革命に参加した者以上に、彼ら彼女らの血縁がアスターから逃げねばならない事態に心痛がつきまとう。
「おじちゃんの仲間に会わせてくれるかな?」
「ええ、もちろんでしてよ!」
張り切るリリーに案内されて、岩石の檻の前まで導かれる。事実上見殺しにした仲間が、口々に歓喜の言葉とともにレンブラントの名を呼ぶ。
彼らは皆、次の革命で散る者だ。必敗の道を、そうと分かって踏み込む勇士たち。
解放しようと岩石の柵に手をかける。
「おじさん! 壊さなくて大丈夫でしてよ!」
おや、と思った次の瞬間には、柵がみるみるうちに土中に消えていく。
とんでもない娘だ。率直にそう思う。
レンブラントへと足を踏み出す血族たちを為すがままにして、リリーが腰に手を当てて自慢げな顔をしている。
「どうかしら、ワタクシの陽気な浮遊霊!」
彼女はこれが魔術だと思っているのだろう。
「お見事だねぇ」
「えへへ」
陽気な浮遊霊はエルネストの父方の異能だ。彼自身もそれを継いでおり、だからこそ夜会卿への対抗手段として有効だと、ほかならぬレンブラントが判断したのである。まさか、革命家の娘が同じ能力を持っているとは。
継承自体は不思議ではないが、どうにも因果を感じてしまう。彼女は自分の祖父が、とうの昔に落人となって行方知れずなのを知っているだろうか。もしかするとグレキランスに落ち延びているかもしれないが、確かめるすべはない。
「そうだ。リリーちゃんに頼み事をしたいんだけど、いいかな?」
「なんでもするわ!」
そう前のめりになるのが心配だ。
夜の帳の下で、レンブラントはぼんやりと夜空を見上げていた。星粒の下を雲が流れる。星々の微光が隠され、流れ去ったあとに星が消える様子を想像した。
「レンブラント様」
「なんだい、ナターリアちゃん」
外の様子を見てくると言って出てきた自分に、ナターリアはなにを察したのか付いてきた。別になにをするでもなく、外の空気を吸いたかっただけなのだが。
「カジノの優待券は貴重品だと伺っておりますが」
「そうだよ。でもあの二人には渡す価値がある」
先ほどリリーに依頼したのは、シンクレールへの荷運びだ。渡すのはいつでもかまわないと伝えたのだが、早速お得意の異能でグレキランスへと向かったのは彼女らしい性急さである。三人の仲間――エイミー、カリオン、クラナッハを連れ立って、虜囚を解放したのもリリーの美点だろう。
荷はシンクレールとシフォンへの優待券。使い方もきっちり別紙に記してある。賭けに乗らなかった償いではない。
「レンブラント様は、来るとお思いなのですね」
「おそらくね。実際どうなるかは分からないよ。未来視は持ってないから」
夜会卿の直轄地アスター。もし二人がそこを訪れるなら、きっと鍵になってくれる。
敗北必至の革命に、小さな勝利の火が灯る。
きっと。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『レンブラント』→黒の血族。戦争における夜会卿の第三部隊長。身体強化魔術のエキスパート。見た目は四十代のおじさんだが、血族としては高齢。夜会卿の領地アスターでカジノのオーナーなどをしている。本業は革命屋であり、夜会卿の転覆を狙っているが、同時に夜会卿に拝跪してもいる。王都南門にて騎士団ナンバー9、ゴッドを殺害し亡骸を回収。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ナターリア』→黒の血族。大きな目とハキハキした口調が特徴の、血族の女性。夜会卿の領地アスターでカジノの支配人をしている。カジノの秩序を乱すような詐欺まがいの魔術は一切通用しない。人生で一度もイカサマをしたことがないことを自負している。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『アストラル』→黒の血族。レンブラント率いる夜会卿第三部隊の青年。分身の異能『幽体投射』を持つ。分身側は物理的・魔術的な干渉を一切おこなえない。アスターで『覗き屋』と呼ばれ、何度か逮捕されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『エルネスト』→リリーの父の名。夜会卿の支配地アスターでの革命に失敗して処刑された。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する異能『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父エルネストは夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。徹底した不殺主義。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果としての行動。可哀想な人の味方でいたいと日頃から思っている。犠牲になった姉に対する愛着が強い。自分よりも大きな物さえ格納できる特殊な構造の腹を持っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団の元ナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。戦争において前線基地のリーダーを任され、簒奪卿シャンティと対峙。彼女の配下にいたシフォンの存在により、シャンティと共闘。そののち、シャンティは捕虜となり、シフォンは彼と行動するようになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を所持。実は騎士団長ゼールの養子。シンクレールの塩オムレツを気に入っている様子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『カリオン』→王都の監獄長。血族との戦争において、自ら前線基地への出兵を志願。基地の部隊長を任命された。容貌魁偉であり、威厳の塊に見えるが、根本には臆病な心が潜んでいる。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『エイミー』→血族との戦争において前線基地に配置された交信魔術師。送信には長けているが受信能力は低い。治療の手腕に優れており、優しい性格だが勇敢さは欠けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『落人』→ラガニアから追放され、グレキランスへ渡った血族を指す蔑称。
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『看破魔術』→グレキランスにおける真偽術と同様の魔術。言葉の真贋を見抜く魔術。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『陽気な浮遊霊』→周囲の無機物を操作する力。リリーの異能。初出は『618.「大人物の愛娘」』
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『前線基地』→王都北東の山脈にほど近い場所の山岳地帯に作った、戦争における要衝。血族の侵入経路と王都を直線上に結ぶ位置にあるため、全滅は必至であり、足止めの役割がある。総隊長としてシンクレールが配備されている。簒奪卿シャンティおよびシフォンの襲撃によりほぼ壊滅した。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『毒色原野』→人も血族も住まない荒廃した土地。グレキランスの人間は『中立地帯』と呼んでいる。夜会卿の統べる都市とキュラスとの中間に広がった荒野を指す。常に濃い靄に覆われており、毒霧が発生しているとの噂がある。霧は一定周期で晴れる。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』にて
・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣などが使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『優待券』→夜会卿の統べる街、アスターのカジノの優待券。一度の入場時において有効。通常は有償で入場するが、無償となる。加えてカジノコイン千枚を贈られる。また、カジノ内での飲食や休憩所の貸与も無償となる。滅多に発行されないため、裏では高額で取引されている。戦争終結後の安全確保の名目で、カジノの支配人ナターリアがローレンスの館の全員に贈った。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて




