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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー⑦千年の都ー」
1825/1835

1057.「終結、あるいは平等へのカウントダウン」

 撤退宣言。


 ニコルの口からそれが発せられた理由は分かる。彼の狙いが実のところオブライエンのみだったなら、グレキランスを落とす必要まではない。とはいえ事前にゾラから聞いていた情報――人間を滅ぼして残った者をすべて血族にする目論見――とは齟齬(そご)があった。今は留保(りゅうほ)したと思えなくもないけれど、そのあたりは甚(はなは)だ曖昧である。今のわたしは他者の感情を推し量る能力が欠如しているから。


 それはいいとして、ヴラドまで撤退を肯(がえ)んじたのが不自然だ。彼の狙いの筆頭にオブライエンがあったとしても、人間を野放しにする意味が分からない。


 わたしには知り得ない理由があるのだろう。おそらくニコルの囁きが根本にある。しかも、ヴラドは償いまで約束したのだ。


 ヴラドは交信を流すや否(いな)や、さっさと広場を去ろうとし、ふと足を止めてわたしを横目に見た。


「クロエ。友達について、まだ話が済んでいなかったな」


 一瞬なんのことか分からなかったが、すぐに思い出した。昨晩ヴラドと対峙した際の時間稼ぎに使った問答だ。


 どうでもいい。ヴラドにとってもそうだろう。だから別に対話の必要性はもうないのだと返そうとしたところ、相手のほうが先(せん)を制した。


「ニコルとは友達ではない。あらゆる意味で」


「そう」


 昨晩とは一転した返事だ。心変わりがあったに違いない。双方が仲違いするのはわたしにとって都合がいいのだけれど、所詮(しょせん)言葉は言葉でしかなくて、内奥(ないおう)にある心がどのように作用しているか定かではない。あらゆる事柄がそうだ。


「賠償ですか。貴方らしい」


 いつの間にやらそばにいたヨハンがニヤニヤと言う。夜会卿は顔色を変えず、淡々と返した。


「この場合の撤退は実質的な敗北だ。今後グレキランスを攻める理由もない。ゆえに償いを申し出るのが適切だろう」


「それで、おいくらいただけるので?」


「金貨十億枚程度を見込んでいる」


 ジーザスが口にした四億という数字も大した想像を喚起しなかったが、十億か。もっと想像出来ない。


「それは足元を見過ぎですよ、ヴラド卿。五十億が落としどころでしょうな。それであってもアスターの金庫にはまだ半分程度は余裕がある。そうでしょう?」


「なぜお前にアスターの内情を教えねばならんのだ」


「いえ、どうしても知りたいわけじゃありませんが、この足は貴方に撃ち抜かれたので、個人的な賠償を求めたいのですよ」


 ヴラドが一瞬眉根を寄せ、それから無表情に戻った。


「……半分どころではなく四分の一だ。紙幣ではなく、金貨で。お前は本当に品がない。他人の懐(ふところ)事情を探るなど低劣の極みだ」


「では、低劣ついでに下衆(げす)な真似をひとつ。金貨四千万枚いただけませんか? なにぶん私もクロエお嬢さんも極貧なのですよ」


 さすがに激怒するだろうと思ったが、ヴラドは溜め息ひとつで済ました。そしてニコルがやってみせたのと同様、虚空に手を伸ばす。やがて現れたのは銀のケースだった。


 受け取ったヨハンはあからさまに首を傾げる。


「金貨の重さじゃないですね。まさか、約束を違(たが)えるおつもりで?」


「そのなかに入っているのはドラクル紙幣一千万枚だ。現在の貨幣価値はドラクル紙幣一枚で金貨四枚。換金したくばアスターへ来るといい」


 広場からぞろぞろと血族の隊列が北門へと歩んでいる。そのなかにはジーザスの姿もあった。なぜかわたしにウインクしている。そんな彼へと詰め寄る女性がひとり。


「ラウリスはどこ」


 小声なのにやけにはっきり聞き取れる。あれは確か、アリスが相手にしていた奴だ。見る限り無傷。広場にいるアリスも傷は負っていない。すると、彼女はヨハンから耳打ちされていたのだろう。傷付けるな、と。アリスが無傷なのは、女性が大して強くないことの証明だ。


「さあ。ラウリス様がどこにいるのか俺にはさっぱりだ」


 ジーザスが口にした瞬間、ヴラドが彼へと顔を向け「探せ」と告げた。


 すかさずヨハンが横槍を入れる。


「探すならご自分の部隊に紛(まぎ)れている方(かた)のみにすべきでしょうな。先ほどご自身で布告したばかりじゃないですか。グレキランスに干渉しないと。まさか破るおつもりで? そもそも交信自体、ラウリスさんでしたか、彼の耳にも届いているはずです。おおかた北門の本隊か、別部隊に紛れているのでしょう」


 ヴラドの頬がぴくりと震える。相当苛立(いらだ)っているのだろう。けれどヨハンの言葉に妥当性を感じたのか、それ以上の追求はしなかった。代わりにわたしへと顔を寄せる。


「クロエ。もしニコルを殺したければ、我々とともにアスターへ来るといい」


 願ってもない――と、少し前のわたしなら手を取っただろう。


 今は少しだけ事情が違う。


 わたしはわたしを見直す必要があるのだ。強くなるために、強さ以外のものに手を伸ばさなければならない。それが具体的になんなのか分かっていないけれど、ヨハンなら適切な方針を示してくれるだろう。


「悪いけど辞退するわ。また今度」


「……そうか。では、もしラガニアに入るならアスターを通過せよ。歓迎する。これは――」


 ヴラドが虚空からまたぞろなにか取り出した。紙切れだ。それをこちらの手に押し込んでくる。


「アスターの通行許可証だ。これを出せば無料でアスターに入れる。もし長逗留(ながとうりゅう)が必要ならば、アスター城で饗(もてな)そう」


 貰っておいて損はない。だから、畳んで布袋に仕舞った。


「ありがとう。優しいのね、ヴラド」


 ヴラドは冷めた目付きでこちらを見やり、言葉なく北門の大通りへと去っていった。


 思ってもいないことを言うな。そう考えたのかもしれない。そうじゃないのかもしれない。分からなくていいことだけれど。


「一件落着ですね」


 ヨハンがその場に腰を下ろし、首をボキボキと鳴らす。


 オブライエンを討ち、血族を撤退させた。傍目(はため)には大成功と言える。数々の死は無駄ではなかったと、生き残った人々は感じるだろう。しかしこれを勝利と見做(みな)せないのは、わたし個人の事情だ。ニコルに負け、殺される寸前だったのだから。そもそも撤退自体、ニコルの呼びかけに端を発している。


「なんで撤退したのかしら」


 試しにそう聞いてみる。


 するとヨハンはすらすらと喋りはじめた。彼がどうして去ったのか。


 オブライエンの討伐を果たしたのが理由のすべてだと思っていたけれど、そうではないらしい。


「彼は必要な物を手に入れたんですよ。もちろん地下で」


「必要な物?」


 ヨハンがボロボロの鞄から試験管を取り出す。そして素(そ)っ気(け)なく明かした。


「これはアルテゴのワクチンです。ひとりにつき一本。予防だけでなく、体内のアルテゴも駆逐可能な代物だと聞いています」


「……それをわたしに使うの?」


「さあ、どうでしょう」


 言って、ヨハンは試験管を鞄に仕舞った。そして暮れつつある空を眺める。遥か西の山際に太陽が落ちかかっていた。


 ヨハンの耳打ちが届く。


『それとは別に、ニコルさんは液化アルテゴの密閉された容器を回収したようです。一本あればグレキランス全体をアルテゴで侵(おか)せる。ただし、その場合は人々が魔物になるか、他種族になるか、血族になるかは不透明。これから半年かけてアルテゴの研究を進め、血族のみになるよう調整するとニコルさんは言ってましたよ。他種族と魔物さえ対象に。そしてクロエお嬢さんがラガニア城に訪れるまで、改造したアルテゴをグレキランスで拡散するのは待つ、とも』


 シンクレールとアリスがなにやらわたしに話しかけているけど、意識はヨハンの言葉に吸い込まれていた。


 すべての種(しゅ)を統一する。それがニコルの狙いだとは聞いていた。


 なるほど。それなら人間は滅亡するだろう。ラガニアの悲劇を別の角度から再現しようとしているわけではあるまい。


 平等な世界。


 かつての勇者はそれを目指している。無論、価値観を統一して世界平和を実現しようという間抜けな話ではない。


 茜色に染まった空は、おりしもオブライエンの閉じ込められた夕暮れの世界――彼が幸福だった時代のグレキランスを想起させた。千年以上前の、町だった頃のグレキランスを。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて


・『シンクレール』→王立騎士団の元ナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。戦争において前線基地のリーダーを任され、簒奪卿シャンティと対峙。彼女の配下にいたシフォンの存在により、シャンティと共闘。そののち、シャンティは捕虜となり、シフォンは彼と行動するようになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて


・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。戦争において縫合伯爵ルドラの次女マヤやハイメ子爵と親交を深めた。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。恋愛に関しては極度に潔癖な一面もある。勇者一行でありヨハンの兄でもあるジーザスと契約し、人間殲滅を目的とした戦争への参加を余儀なくされている。クロエに敗北し、ヨハンの提示した戦争での役割を受け入れることとなった。すべての種族が争いなく共生する世界、『ユグドラシル』を理想としている。しかしながら過去、人間との交流によって失意を味わい、結果、人間に対する愛憎の念を抱くようになった。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』『Side Grimm.「獅子のひとりごと」』にて


・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて


・『ジーザス』→勇者一行のひとりであり、ヨハンの兄。黒の血族と人間のハーフ。ヨハン同様、契約の異能を持つ。夜会卿に仕えている。彼に下賜された手袋型の貴品(ギフト)『無慈悲な強奪者(ブラッディ・ハンド)』を所持。戦争において夜会卿第一部隊に所属。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて


・『ラウリス』→夜会卿の長男候補。戦争において表向き、夜会卿の第一部隊長を任じている。気弱でネガティブな性格。妹のルナに気後れしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて


・『固形アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。固形。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて


・『液化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。液状で、外気に触れると『気化アルテゴ』となる。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて


・『気化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『液化アルテゴ』が気化したもの。膨張を繰り返し、急速に広がる。吸引した人間は多くが魔物となり、一部が他種族に、ごくごく一部が『黒の血族』へと変異する。オブライエンは双子の兄であるスタインの体内に『液化アルテゴ』を設置し、生命活動の停止に伴って外気に触れるよう仕組んだ。スタインが処刑されたことにより、ラガニアは滅亡することとなった。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて


・『ドラクル紙幣』→ヴラド公爵領で流通している紙幣。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『幕間.「徒花の蹉跌」』にて


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は血族の土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣などが使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて

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