1056.「猶予期間」
前線基地にいるはずのシンクレールとシフォンが、なぜここに姿を見せたのかは察しがついた。ハルキゲニアからの援軍であるカエル頭の魔術師ケロくんを模したオブライエンの交信魔術をキャッチして、足を運んだに違いない。
しかしながら南門の状況が謎だった。いまだに敵影はない。各門それぞれに血族の隊伍が迫っているとの報せだったはず。人間の兵士が討ち取ったなら、別の門か、あるいは壁内への援護に繰り出すのが自然だ。それを言うなら東門も同じだけれど。
なんにせよ、わたしは今ニコルに殺されるところで、その動きを止めたのは二人の存在にほかならない。
「ニコル……!」
シンクレールが獰猛な表情で睨む。そういえば彼はわたしに恋しているのだ。すると、わたしを殺そうとする輩は許さないだろう。ましてやニコルは恋敵でもある。
「君、誰? どこかで会ったかな」
「僕は騎士のシンクレールだ! クロエの同僚で――いや、同僚だ! ただの同僚!」
「そっか」ニコルは甚だどうでもよさそうに返し、話頭を転じる。「で、シフォンを連れてるってことは彼女に勝ったのかい?」
「違う。僕は勝ってない。いや、勝ちに貢献したけど、勝ったのはクロエだ」
ニコルの視線がこちらへと移る。顔のうち、刺されているのは両の頬だけだ。頷くだけなら出来る。現にそうしてみたところ、ニコルは首を傾げた。
「シフォンに勝ったのはクロエで、でも、シンクレールだっけ、眼鏡の君が連れている。クロエがそう命じたのかな」
この問いにも頷く。事実その通りだ。わたしは意思に反して、シフォンとの主従関係の一切をシンクレールに譲ったのである。特に後悔はしていない。後悔もまた感情であり、わたしには持ち合わせがないのだ。
「まあいいや。シンクレール。君がシフォンをどう扱ったのか知らないし、聞きたくもない」そう前置きして、彼は銀髪の少女に手を差し伸べた。「シフォン。戻っておいで。一緒に帰ろう」
シフォンとの戦闘の顛末を思い出す。
彼女は自分の口で語ったのだ。強い者に従う、と。
彼女にとって、ニコルは間違いなくシンクレールより強い。シンプルに導き出せる回答だ。一度戦闘し、殺す間際まで追い詰めたのだから。
そして言うまでもなく、わたしよりもニコルのほうが強い。状況証拠的にもそうだろう。ほぼ全身を光の針で固定された存在を強者だとは思うまい。
だから、シフォンがニコルへと歩んだとき、なんの疑問も抱かなかった。ごくごく自然な成り行きだ。彼女がわたし以上に虚無的で機械的な存在であることは、刃を交えた者として理解している。感情も思考もない。あるのは肉体の反応だけ。だからこそ強かった。
それでも勝利に至ったのは――。
ああ、そっか。
強いだけじゃ勝てないとニコルが言った意味が、今、分かった。
シンクレールの助力。それは彼の思慕にある。必死になって、絶命寸前まで戦った彼という存在が変数となり、勝敗の天秤に影響をおよぼしたのだ。もしわたしが騎士時代から感情を失っていたなら、彼と親交を深めなかった。つまりはシフォンに勝利する重要なピースを得られなかったと言えよう。
同じことがオブライエンにも当てはまる。彼は紛れもなくグレキランス最強の魔術師で、たとえ二重歩行者であってもわたしたちを蹂躙した。しかしヘルメスが駆けつけて逆転したのだ。彼をあの場に呼び込んだのは、ヨハンとアリスがいたからだろう。あの憂鬱顔の魔術師がどんな感情で腰を上げたのかは知らないが、単に強さを求めての行動ではないはず。
同様に、他種族連合がオブライエンを討つためにたどった道のりもそうだ。それぞれの使命感がバトンのごとく託され、ウィンストンが決着をつけた。たとえひとりでも欠けていたら、彼の勝利はなかったろう。
強いだけの者は、より強い相手に決して勝てない。戦闘に様々な変数があるのは確かで、それら未知の可能性を誘引するのが紐帯だ。心の繋がりとでも言おうか。それを作り出すのが感情であることくらい、過去の自分を顧みれば分かる。
今のわたしは強さだけを求めているけれど、その実、過去に構築した関係性によって多くの便宜が図られている。考えてみれば、その最たる例がヨハンだ。彼の場合は感情というより契約だが、わたしの味方なのは確かで、戦闘の変数の大部分を為しているような気がする。北門でのヴラドとの戦いが好例だ。結局勝利出来なかったものの、彼がいなければ殺されるか攫われるかの状況だった。
ニコル越しに見える空は淡い青を背景に、曖昧なかたちの雲が棚引いている。ときおり風が吹いて、崩壊しつつある偽物の王都を渡り、笛に似た音を立てた。
ニコルの一歩手前で、シフォンが歩みを止めた。じっと彼を見上げて、それから、無言で踵を返す。そしてシンクレールの隣まで行くと、またぞろニコルへと向き直った。
ニコルは目を丸くし、薄く口を開いている。
「どうしたんだい、シフォン。忘れ物でもした?」
「忘れ物は、たくさんある。たぶん」
「…………たぶん?」
頷くシフォンは無表情だ。常のごとく。
「ねえ、シフォン。確認だけど、この場で一番強いのは誰?」
「ニコル」
「でも、僕の言うことは聞かないんだね。どうして?」
強い者に従う。それがシフォンの習性だ。思考なき彼女にとっての。ある意味で、今のわたしの完成形と言っていい。
しかし、どうやら彼女は変わったようだ。
「シンクレールはオムレツが作れるから」
これにはシンクレールもぽかんとしている。彼自身、想定していなかったのだろう。
ニコルを見やると――。
「そう……そっか。すごいなあ。シンクレールはオムレツが作れる、か」
なんでニコルは泣いてるんだろう。それに、オムレツならニコルだってきっと作れるのに。
だが、なんとなくだけれど、推察が出来た。シンクレールはシフォンの心を開く鍵を持っていたのだ。偶然であれなんであれ。これまでの人生でシフォンがオムレツを食べなかったはずはないと思うけれど、オムレツをオムレツと認知して食べたのは、おそらくシンクレールの手料理がはじめてだった、とか。
すべては憶測に過ぎない。
「シンクレール」ニコルが呼びかけ、涙を手の甲で拭う。それでも落涙が続いていた。「シフォンのこと、哀しませないでやってくれよ。男と男の約束だ。ああ、でも一方的な約束は卑怯だね」
言って、わたしを見やる。潤んだ瞳で。
「クロエは殺さない。少なくとも今この場所では。……でも無期限は違うな。一年。僕が歩んだ旅の期間だけ、猶予をあげる。それまでにラガニア城に来なければ――」
言葉を止めると同時に、ニコルは滑らかにヴラドを制した。唐突に疾駆した黒衣の男の肩を掴んで止めたのだ。おおかたシフォンを例の小箱で攫おうとしたのだろう。
彼の耳元で、ニコルがなにか囁いている。音は拾えない。
やがてヴラドは表情を消し、その場で棒立ちになった。腕をぶら下げて、すっかり脱力している。なにも意識に入っていないかのように。
「クロエ。ラガニア城で待ってるから、一年以内に来てね。ひとりじゃなくてもいい。むしろ仲間がいたほうがフェアだ。……話は変わるけど、シンクレール。シフォンをよろしくね」
ここまで黙っていたシンクレールが一歩踏み出す。
「勝手なこと言うな。シフォンにはシフォンの意思があるし、僕はそれを尊重する。彼女がオムレツを食べたいなら作るだけだ。……それより、さっさとクロエを解放しろよ」
「それは無理かな。クロエは僕を殺そうとするから。そうなると、僕も彼女を殺さざるを得なくなる。だから、針を抜くのは僕が消えるのと同時ってことでどうかな。オマケも付けるよ」
「オマケ?」
ニコルは平素の爽やかな表情を取り戻し、どうしてかヨハンを手招いた。
そしてなにもない空間から細長い容器を取り出す。密閉された試験管で、中に白濁した液体が入っていた。
手渡されたヨハンは、それを速やかに鞄へと仕舞う。
「――」
ほんの微かな囁きだ。ヴラドへのそれと同等。だが、囁きの時間は随分と長かった。三分程度も何事か口にし、唐突に伸びをする。
「それじゃ、僕は行くよ。じゃあね、みんな。ヴラド卿はのんびり返ってくるといいよ」
ふっ、とニコルが消える。転移魔術だ。
それと同時に、わたしへの拘束も解けた。
それから起きた事態は、異常としか言いようがない。交信魔術を経由し、グレキランス中に声を放ったのだ。
誰が。
夜会卿が、だ。
『此度の戦争は夜会卿ヴラドの名において、撤退を命ずる。諸侯の行動の自由は阻害しないが、ラガニアへ帰還するよう進言する。戦利品も同様だ。好きにするといい。だが、我が軍門に下った者および、我が部隊の者には、今このときをもってグレキランスへの干渉は禁ずる』
内容はこれだけではない。
『そして、グレキランスの人間に告ぐ。此度の戦役を無かったことには出来ないが、すべての者に謝罪を申し入れる。貴殿らの平穏を乱し、誠にすまなかった。なんの慰めにもならんだろうが、然るべき方法で然るべき償いをしよう』
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団の元ナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。戦争において前線基地のリーダーを任され、簒奪卿シャンティと対峙。彼女の配下にいたシフォンの存在により、シャンティと共闘。そののち、シャンティは捕虜となり、シフォンは彼と行動するようになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。戦争において縫合伯爵ルドラの次女マヤやハイメ子爵と親交を深めた。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を所持。実は騎士団長ゼールの養子。シンクレールの塩オムレツを気に入っている様子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ケロくん』→ハルキゲニアで魔術の講師をしているカエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』にて
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事をしている魔術師。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。魔女を殺害したオブライエンへ、並々ならぬ復讐心を持っている。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』にて
・『ヘルメス』→かつてのラガニアでトップクラスに優秀だった魔術師。ねちっこい性格で、人付き合いの苦手な男。もともと魔術学校で講師をしていたがクビになり、一時期ガーミール公爵に雇用されていたが、彼が零落したことでドラクル公爵に鞍替えした。オブライエンの犯罪的魔術を看破し、彼の右腕と左足を木端微塵にした過去を持つ。血族化して以降は夜会卿に仕えていたが、ニコルによる襲撃以降、四代目となるガーミールに鞍替えした。死を契機に、事前に契約を交わした相手に成り変わることで不老不死を実現する異能を持つ。対象者はヘルメスの記憶と肉体と魔力をコピーした、ヘルメスそのものとなる。その際、相手の持つ魔力も上乗せされる。夜会卿の支配地であるアスターに訪れたルイーザの精神を叩き折って泣かせた過去を持つ。ヨハンの提案により、オブライエン討伐ならびに戦争での人間側の勝利後には、四代目ガーミールの部下とともにグレキランスに残り、アルテゴのワクチン研究をすることに合意。オブライエン討伐を見届けるべく、アリスの片目を介してウィンストンと視覚共有をしている。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『前線基地』→王都北東の山脈にほど近い場所の山岳地帯に作った、戦争における要衝。血族の侵入経路と王都を直線上に結ぶ位置にあるため、全滅は必至であり、足止めの役割がある。総隊長としてシンクレールが配備されている。簒奪卿シャンティおよびシフォンの襲撃によりほぼ壊滅した。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は血族の土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より




