1055.「意味のない強さ」
感情のないわたしには意味がない。
そんなニコルの言葉こそ意味不明だ。『意味』の示す内容が具体化されていない。ただ、追求する気は起きなかった。問いかける余裕があるなら、その分を勝つための攻撃に充てるべき。合理的だ。
数歩後退し、切っ先を天へと掲げる。
「雷神誅撃」
雷が空から注ぎ、わたしの身体を苛烈に嬲った。
野太い雷撃を維持したままサーベルを振り下ろす。雷が剣の軌道に沿ってニコルの頭上へと到達しつつあった。
「光の極剣」
ニコルの剣が光を放ち、わたしの雷撃と打ち合う。雷は彼の身には達せず、さりとて消えてはいない。互いを結ぶ中間地点で相殺され続けていた。光と雷の鍔迫り合い。
この出力が彼の全力なら、分があるのはこちらだ。治癒能力により、わたしの魔力は枯渇する憂いがほぼない。治癒速度以上に魔具を酷使すればその限りではないものの、今出来る全力の攻撃がこれだ。治癒速度よりもやや消費が少ない。したがって枯渇はしない。
一方で、ニコルの魔力は膨大であるものの有限だ。
「強くなったね、クロエ」
彼はいかにも退屈そうに言う。
強くなることのなにがそんなに不満なのか、一向に分からない。ニコルは強いからラガニア城まで到達出来たのではないのか。
わたしが弱かったから気に入っていたなんて――。
ありえない、と内心で呟く前に掻き消える。
可能性としてありえるどころか濃厚なのだ。考えてみれば、わたしはずっとニコルに守られてきたと言ってもいい。もちろん騎士になってからは別だけど、孤児院での日々はニコルの庇護下にあったはず。魔具訓練校での成績だって、もちろんわたしのほうが低かった。あちらは魔術訓練校にも在籍していたというのに。つまり圧倒的に格下だったのだ、わたしは。
だからこそ騙し甲斐があった。だからこそ気に入った。だからこそ弄んでいた。
それらの可能性を今のわたしは否定出来ない。魔具と魔術の両方を扱い、なおかつどちらもトップクラスの能力を持つニコルにとって、わたしは常に弱者でしかなかったのだ。
「強いから、なに?」
思わず言葉が漏れ出す。雷撃がやや押された。
「別に。感情を失って強くなったなら、それ以前のクロエよりもっと悪い状態だなって思っただけだよ」
「……どういう意味?」
また少し、雷撃が押される。
「強いだけだと、より強い者に勝てない。絶対に。君は強さを得る代わりに大事なものが欠けたんだ」
大事なもの。
なんとも抽象的な言葉だが、ニコルのなかでなにを指しているのかを度外視しても、なるほどと思う。
今のわたしは強さだけを求めている。それ以外は無駄と断じて切り捨ててきた。身体もそう。強さに寄与しないものはなにもない。本能も欲求も、強さに至らないものであれば存在しないのと同義だ。
「欠けちゃあ、いませんよ」
南門への大通りに接した広場から、疲弊した声が流れる。ヨハンだ。見ずとも声で誰かは分かる。どの位置にいるかも。
「いや、欠けてるよ。ヨハン……だよね、今の名前は。君の言いたいことは大体分かる。感情の欠落は一時的なものだとか、そんなところじゃないかな」
ニコルは鋭い。いつだったか、ヨハンが言った慰めそのものだ。
「いえ、違いますよ。クロエお嬢さんのなかにはいくつもの人格がいるだけです。今は感情の薄い人格が表に居座っているだけでさあ。実際は彼女のなかに、感情豊かなお嬢さんがいるんですよ」
「そうかもね。でも、そうじゃないかもしれない」
ニコルの目は冷え冷えとわたしを射ている。
急にサーベルから圧力を感じた。光の放射がどんどん雷撃を凌いでこっちに迫っている。
「究極のところ、どっちでもいい。強いだけのクロエに興味はないんだ」
咄嗟に横に跳ぶ。
剣から迸った光が真横を通り抜けた。光が家屋を貫通し、壁に至って散る。魔力の流れで、そこまでの軌跡が感じ取れた。ニコルが光の放射をやめなければ、きっと壁に穴が空いたろう。
今のわたしに油断はない。知略も基本的に使わない。真正面から戦うだけだ。そして出し惜しむこともない。
先ほどの雷撃はわたしの全力であり、ニコルの言葉に意識を取られはしなかった。集中力に綻びはないと断言出来る。
だからこそ認めなければならない。
地力では勝てないと。
「じき、強いだけではなくなりますよ。貴方がなにを望んでいるのか分かりませんが、感情豊かなクロエお嬢さんなら、貴方が思うよりずっと早く戻ってくるはずです」
「ヨハン。君の言葉は信じるに値しないんだ。残念だけど。契約するなら信じてもいいよ。三日で戻らなきゃ君もクロエも死ぬ。戻った場合の報酬は無し。生殺与奪を握ってるのはこっちだからね。――光の驟雨」
ニコルの背後から無数の光の矢が放たれた。速度も角度もそれぞれ異なり、着弾地点もひとつとして重複していない。
絶命を予感させる光の雨のなか、着弾点の間隙に移動する。降り注ぐ矢が石畳を破壊し、礫が身を打った。
「それはさすがに横暴ですよ。いつ戻るかは彼女の心の動き次第ですから。まあ、アルコールを飲ませればすぐに馬脚を表しますが」
「酔ったクロエはもう見たくないな」
ニコルがほんの少し笑う。ただ、表情には憂愁がこびりついていた。
彼の反応とヨハンのやり取りは、わたしの話ではあるものの、どうでもいい。生かすだの殺すだの、筋違いもいいところ。こっちはニコルを殺すために戦場を経巡って、ようやくたどり着いたのだ。命のやり取りをする覚悟はとっくに出来ているし、そもそも今のわたしにはそれしかない。強烈な目的意識。それは覚悟と名付けていいだろう。
殺されたなら、それまでだ。逆に、殺すチャンスを自ら破棄するなんてありえない。
ニコルへと疾駆する。が、接近には至らなかった。
「光の翼」
輝く翼が彼を空中へと逃がす。却って好都合だ。
「雷神誅撃」
再び雷撃を身に浴び、切っ先の方角へ放つ。空中にいるニコルは悠々と避けているが時間の問題だ。いつか命中する。現に、回避が覚束ない印象だ。
だから気付かなかったんだろう。上空ばかりを見ていて、地上はちっとも意識していなかった。といっても、自分が魔術をかけられた感覚は確かにある。少し前のことだ。記憶にある魔術。ラガニア城で用いられた触覚奪取である。
サーベルを振るわせるために必要な肉体へのシグナルは把握している。ゆえに問題視しておらず、実際動きに乱れはなかった。
不意に前方から鋭い痛みと衝撃を感じ、瓦礫の山に打ち付けられたのが不思議で仕方ない。ヨハンが駆け出そうとして転んだのは演技ではなかろう。
「触覚奪取と、盲点。僕の魔術――光の拘束針を意識の外に置いた。触覚奪取と同じタイミングで別の魔術が施されたことに気付かなかったのは気にしなくていいよ。普通気付かないから。君が強いから、こういう手段を取るしかなかった。強いだけの君じゃ絶対に勝てない」
ニコルはそう語り、わたしの目の前に着地した。こちらは身動きを封じられた状態。両手、両腕の関節、両肩、左右の脇腹、両の太腿と爪先、そして左右の頬に、輝く針が突き刺さっている。まるで虫の標本のごとく。サーベルを持ったままなのは不幸中の幸いだが、なにも出来ないという意味では状況を変えてくれない。もしわたしに接近するなら、雷神誅撃の巻き添えにしてやれるのだけど、ニコルはきっちり雷撃の外側で足を止めた。
「バイバイ、クロエ」
首を薙ぐ軌道で剣が迫る。明らかにリーチが足りないが、魔術でどうにでもなるだろう。
これで終わりか。
そう思った刹那、彼の剣が止まった。そして横へと顔を向ける。南門の大通りへ。二人分の靴音が、確かにそちらから鳴っている。
やがて現れたのは、眼鏡の青年と銀髪の少女――シンクレールとシフォンだった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団の元ナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。戦争において前線基地のリーダーを任され、簒奪卿シャンティと対峙。彼女の配下にいたシフォンの存在により、シャンティと共闘。そののち、シャンティは捕虜となり、シフォンは彼と行動するようになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を所持。実は騎士団長ゼールの養子。シンクレールの塩オムレツを気に入っている様子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『雷神誅撃』→サーベルに巨大な雷をまとわせて放つクロエの技。彼女自身も雷に焼かれる。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『光の極剣』→ニコルの手にした剣の魔具に、光を纏わせる攻撃。光は質量を持ち、威力や大きさも自在。魔具と魔術を両立させることが必須条件であるため、ニコルにしか扱えない。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『光の驟雨』→ニコルの手にした剣の魔具を媒介し、光の矢を注ぐ攻撃。魔具と魔術を両立させることが必須条件であるため、ニコルにしか扱えない。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『光の翼』→翼を得ることによって飛翔する魔術。会得した者が少ないので、判明している情報にも限りがある。五体とは別の感覚を得るので操作は非常に困難と言われている。ニコルが使用。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『触覚奪取』→勇者ニコルの使った呪術。読んで字のごとく、触覚を奪う。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『盲点』→対象の一部分を周囲の人間から認識されなくする、強力な隠密魔術。詳しくは『Side HAL.「アイズ・ノット・シャット」』にて
・『魔具訓練校』→魔術的な才能のない子供を鍛えるための学校。卒業生のほとんどは騎士や内地の兵士になる
・『魔術訓練校』→王都グレキランスで、魔術的な才能のある子供を養成する学校。魔具訓練校とは違い、卒業後の進路は様々
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は血族の土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より




