1050.「首だけの対話」
首を切られ、利き腕を切られ、胴体は四分割。普通ならとっくに死んでいる。わたしの治癒能力をもってしても頸部が切断された時点で終わりだ。けれどもこうして生きており、なおかつジーザスに頬をもちもちと弄ばれている状況は、彼の持つ貴品の効能である。
「クロエ様のほっぺは柔らけえなぁ。ハハ」
ジーザスは目の前にいて、わたしはなんの抵抗も出来ない。ちょうど頭の下を切られたので、首の骨や筋肉を駆使して噛みつくことさえ無理なのだ。
不意にジーザスの後ろの景色が目まぐるしく変わる。彼はずっとわたしだけを見て、なおかつ頬をもちもちしているのだが、移りゆく景色と顔に感じる風、そして若干の酩酊感は、彼が激しく動いているのを示していた。きっとヨハンがどうにかしようと苦戦しているのだろう。
呻き声と打撃音が耳に入る。ジーザスの両手は塞がっているわけで、ヨハンが蹴られたのだろう。
「会話したかったんじゃないの?」
ヨハンが殺されるのは好ましくない。だからジーザスの気を逸らそうとして口にした。
「そう。話がしたかった」
「わたしの頬をいじるのはやめてよ」
「えー? 駄目かぁ? キスだってした仲だろ?」
「それは夢のなかの出来事でしょ。現実とは関係ない」
思い出しても一切恥ずかしくない。今のわたしは。頬を好きにされている状況にもなにも感じない。
以前のわたしなら恥辱のあまり叫んだろう。大声を出したところでなんの意味もないというのに。合理性の欠片もない。
「俺に言わせりゃ、夢と現実は地続きだ。現実の断片が整合性を失った状態で継ぎ接ぎされた時空間。現実では隠されてる欲望だとか本心ってモンが夢に出るんだよ」
夢が深層心理の反映だとする考え方は王都の書物で読んだ記憶がある。ただし、証明には至っていない。その意味では、夢を前世だとか未来だとかに紐付ける怪しげな辻占とそう変わらないものだと思う。なんにせよ夢は夢で現実ではない。
「夢の話じゃなくて、別のことを聞いていいかしら」
「どうぞどうぞ、女王陛下」
ジーザスは頬から手を離して片膝を突いた。目まぐるしく変わる表情も仕草も口調も、彼の性格に依るものだろう。いや、厳密には本来の性格を秘匿するための隠れ蓑と言ったほうが正しい気がする。それがいつしか習い性になった具合か。
「トリクシィは今どうなってるの?」
騎士団ナンバー3、落涙のトリクシィ。わたしの記憶を追体験し、血族の双子と戦った女性。彼女には多少の関心がある。冷静なわたしにとっても、だ。ニコルや魔王に直結する問題ではないにせよ、わたしの正体――血族とのハーフであることを知っている者は、寝たきりの老人を除けば彼女だけ。
もし会えるのなら、彼女が視たわたしの人生について知りたい。大して得るものはなさそうだが、もしかすると今以上に強くなれるヒントがあるかもしれないのだ。
ジーザスはニヤニヤと笑い、わたしの顔を持ち上げた。
「どうなっててほしいんだ、クロエ」
「とりあえず生きてればいい」
わたしの返事が淡白だったからか、ジーザスは眉間に皺を寄せ、顔を彼と同じ視線の高さに戻した。
「薄情だな。いや、薄情になっちまったのか。いつからそんな性格に変わったんだ?」
「最近。それで、トリクシィは?」
「生きてるよ。ちゃんと心臓が動いて、両手足を動かせるし、考えることも出来る。お喋りだって問題なし。拷問なんてしちゃいねえから安心しろ。まあ、俺のとこに来るまで散々ナーサに嬲られちまったが。ガキは容赦ねえよな。善悪の区別がない」
生きているならそれでいい。とはいえ、ジーザスの言葉なんて信用に値しないけど。ただ、今ここでわたしを騙す意味もなかろう。
生きているとして、今のわたしと近い状態だろうか。つまりは身体を切断されてなお生存している。そんなところ。
「俺からも質問――」
「ジーザス! いい加減にしろ」
遮ったのは夜会卿である。首を動かそうとしても顔が動かないので視野が限定されているが、夜会卿が戦闘のさなかにあるのは把握していた。相手はマヤではない。彼女は早々に脱落、というより討伐を諦めたのか、夜会卿の配下に雷撃を浴びせていた。
夜会卿の背に漆黒の翼が生えており、色こそ真逆だが同じく翼を持つネモと空中戦を演じているのは奇妙だ。わたしの知る限りネモは夜会卿に匹敵するほどの強さを持たない。にもかかわらず、とりおり視界に入る二人の影は、追われる者が夜会卿で、ネモが追う側だ。
「悪いね、閣下。俺はクロエを回収しない。やりたきゃ自分でやりな」
からからと笑うジーザスに、夜会卿のものらしき舌打ちが届く。
従者と主君の態度ではない。
「ねえ。なんでヴラドに盾突いたり出来るの?」
「盾突いてる気はねえよ。あくまでも対等ってだけ」
そうか、と思い出す。ゾラが戦争に参加しなければならなかったのは契約を交わしたからだと聞いている。その相手がジーザスであるとも。
おおかた夜会卿とも契約を交わしているのだろう。でなければ、礼儀を重んじるといわれる彼がジーザスを生かしておくはずがない。
それにしても回収か。サフィーロを吸い込んだ例の小箱をジーザスも持っているのだろう。それらしい魔力が感じられないのは、その道具自体に魔力漏出を防ぐ機構が備わっているからに違いない。人攫いの重宝しそうな道具だ。
「ところでクロエ。俺からも質問。お前の身体はどうなっちまったんだ?」
「あなたに切られた」
「アハッ」
思わず、といった具体に笑ったが、これもどうしてか演技に見える。反応がいちいち疑わしいのだ。なぜか分からないけど。
ジーザスはわたしの顔の前で手をひらひらと扇ぐ。
「違う違う。そういうことを聞いてるんじゃねえよ」それから耳に口を寄せ、囁いた。「いつから自分が血族だと気付いた? で、異能は持ってんのか? ずっと寝なかったんだろ? 不眠の異能なんてねえよな? ああ、答えなくていい。肉の反応で分かる。治癒力増加。アタリだろ? 今のお前は即死以外じゃ死なねえ」
さすがはヨハンの兄だ。いつから気付いていたんだろう。わたしが血族の身体を晒したのはシフォンやユランと戦ったときだけだ。ナーサや夜会卿との対峙の際、肌の色に変化はなかった。ヨハンが隠したのだろう。ジーザスと最前までやり合っていたときも肌は人間のそれで、つまり夜会卿はもちろん、彼の配下の者も知らないはず。
「俺は気付く。隠し事は通用しねえよ。お前は混血だ。それもかなり濃い。濃いのに、気配がほとんどない。稀有だぜ、お前。俺も混血だしナーサもそうだが、お前よりは濃くねえよ」
これまでわたしは逆の考え方をしていた。血族の気配がほとんどないから、体内のアルテゴが薄いと錯覚していたのである。考えてみれば混血のヨハンもナーサも、肌の色が紫に変わったりはしていない。
耳に感じた吐息が離れ、頬に唇の感触を覚えた。
「お返しだ。キスのお礼」
ジーザスは後退しつつ、おどけて見せた。わたしの顔は置き去りだ。
彼の爪から糸が伸び、バラバラになったパーツへと向かう。十字に切られた身体が元通りに接合され、利き腕も戻り、最後には身体が宙を滑ってわたしの顔に回帰した。全部、彼の糸による手技だ。
身体を検分しても綻びはない。首はもちろん、手足にも、というより全身どこにも違和感がなかった。
「これで元通りだ。で、まだまだお返ししなきゃ済まねえ問題もある」急にジーザスの目付きが鋭くなった。「スヴェルとルイーザはともかく、シフォンとテレジアを殺したお前を簡単には許しちゃいけねえよなぁ? さあ、弔い合戦だ」
ジーザスの糸――今度は正真正銘、殺すために切断する糸がわたしへと伸びた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃で拉致され、現在は夜会卿の直轄地アスターにいる。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『ネモ』→王都の先代の王。ヨハンに胸を射られ、その影響で『黒の血族』と化した。息子である王子ゼフォンによって地下に幽閉されていたが、ノックスに救出された。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~②名も無き王~」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。雷の魔術師。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。夜会卿への復讐のため人間側に寝返った。北門襲撃の際に夜会卿へ挑みかかるも相手にもされず、苦杯を飲んだ。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。クロエにより、血族であるベアトリスの指揮下での戦争参加を余儀なくされた。クロエに対し、ある程度心を開いていたが、彼女が感情を喪失したことにより関係が破綻。夜会卿に拉致されそうになったクロエの身代わりとなった。詳しくは『第三章 第四話「西方霊山~①竜の審判~」』『第四章 第二話「幻の森」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。恋愛に関しては極度に潔癖な一面もある。勇者一行でありヨハンの兄でもあるジーザスと契約し、人間殲滅を目的とした戦争への参加を余儀なくされている。クロエに敗北し、ヨハンの提示した戦争での役割を受け入れることとなった。すべての種族が争いなく共生する世界、『ユグドラシル』を理想としている。しかしながら過去、人間との交流によって失意を味わい、結果、人間に対する愛憎の念を抱くようになった。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』『Side Grimm.「獅子のひとりごと」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品『貴人の礼装』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を所持。実は騎士団長ゼールの養子。シンクレールの塩オムレツを気に入っている様子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。『針姐』の墨の魔術により全身に縮小した魔紋を刻んでいたが、クロエの持ち込んだ『墨虫』により無力化された。現在は魔力の大部分と記憶を失い、平凡なひとりの少女としてローレンスの館に住んでいる。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』『第二章 第六話「魔女の館」』より
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。王の側近であり、近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。魔王討伐に旅立った者のうち、唯一魔王に刃を向けた。その結果死亡し、その後、魂を『映し人形』に詰め込まれた。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』『582.「誰よりも真摯な守護者」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ナーサ』→人間と血族のハーフ。ダスラとは双子。夜会卿の手下。ダスラと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を弓に変化させることが可能。死亡したダスラの肉を体内に摂り込み、粘膜を接触させることなく『ガジャラ』を創り出す力を得た。戦争においてクロエに討たれた。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ジーザス』→勇者一行のひとりであり、ヨハンの兄。黒の血族と人間のハーフ。ヨハン同様、契約の異能を持つ。夜会卿に仕えている。彼に下賜された手袋型の貴品『無慈悲な強奪者』を所持。戦争において夜会卿第一部隊に所属。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『固形アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。固形。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『液化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。液状で、外気に触れると『気化アルテゴ』となる。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『気化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『液化アルテゴ』が気化したもの。膨張を繰り返し、急速に広がる。吸引した人間は多くが魔物となり、一部が他種族に、ごくごく一部が『黒の血族』へと変異する。オブライエンは双子の兄であるスタインの体内に『液化アルテゴ』を設置し、生命活動の停止に伴って外気に触れるよう仕組んだ。スタインが処刑されたことにより、ラガニアは滅亡することとなった。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




