1049.「勇者が選んだ最後の仲間」
利き腕の切断。
それが功を奏したのは、なにもトリクシィが話題に出たからじゃない。確かに一瞬、意識は逸れた。とはいえ切断に至った主たる要因はふたつ。
切断の際に放たれた糸はこれまでのものとは比較にならないほど素早かった点。これまでの攻撃は一定の速度で為されていたので、実際以上に速く感じたのは確かだ。
そして、なんの予備動作もなかった点も大きい。ジーザスは糸を放つ前に必ず宙を撫でた。はっきりと意識はしていなかったけど、わたしの心理には『攻撃に必須の予備動作』がすり込まれていたわけだ。
とまあ、冷静なわたしはこんな具合に分析していると思う。
ヨハン曰く、狡猾なので戦わないほうがいい相手。
なるほどね。確かに狡い。でも余計に気が昂ぶる。純粋な強さとは毛色が違うけど、こういうのも強さのひとつだ。ヨハンがそうであるように。
それにしても、奇妙な点がひとつ。
なんでわたしの腕は浮いてるのか。しかも切られた位置から二十センチ程度離れた場所で。加えて、切断につきものの痛みさえなかった。
ジーザスは目を細めて笑みを浮かべている。
「クロエ。これは教訓だ。賢い奴はすべてを疑って行動する。他人のことなんざ分からねえモンだ。戦闘においてもそう。なにを仕掛けてくるか分からねえからこそ充分に備える。仮定を列挙して、自分にとってなにが一番困るか検討する。もちろん仮定は仮定で、網羅は出来ねえ。それは大前提で、自分じゃ対処不可能なことから未知の事態を考えるのが肝心だ。他人のことは知らなくても、自分のことくらいは分かんだろ」
「あなたのご主人様は疑い過ぎて一歩も動けない残念な男だけど」
ジーザスが吹き出した。ヴラドの性質は彼のほうが理解しているだろう。
真面目な顔を繕おうとしたようだが、口元に笑いの名残がある。
「俺が今やったのは、相手を傷付けずに切断する芸当だ。右腕に感覚がまだあるだろ? で、動かせもする」
とうに気付いている。切られたにもかかわらず、宙に浮かんだわたしの手は切断以前とまったく変わりなくサーベルの感触を伝えているし、それとなく動かした指にも違和感はない。ただ、こちらの身体と合わせて自由に移動させるのは無理だった。肩を引いても腕はひとつところに浮かんだままだ。
「お前を傷付ける気はねえのさ。ニコルのお気に入りだからじゃねえよ? 俺の個人的な興味だ。惚れてるって言い換えてもいい」
「なら腕を元に戻してくれない?」
「もちろんですともお姫様。それで、どこにくっつけようか。頭のてっぺんにしとくか? それとも腹がいいか?」
こいつの言葉は信用出来ない。いや、言葉だけじゃなくて一挙手一投足がペテン師のそれだ。元に戻せるかそもそも怪しい。そして仮に可能だったとしても、素直に戻す理由がない。
不意にジーザスに動きがあった。後方にステップを踏んだのである。いつの間にやらヨハンが噴水越しにジーザスの対角におり、手のひらを向けていた。おおかた遅延魔術を放ったのだろう。
ジーザスは依然としてわたしを見ている。わたししか見ていない。魔力だけでヨハンの動き全部を把握しているとみるのが妥当か。
いまだに高揚感はあるけれど、多少の冷静さを取り戻したのは反省したからだ。恍惚に浸ったまま無策に飛び込んで勝てる相手ではない。
噴水はとっくに破壊されており、周囲が水浸しになっている。太陽が水面に反射してときおり視界が白く焼けた。
ジーザスが踊るように軽々となにかを躱しているのは、すべてヨハンのなんらかの魔術を見破ってのことだろう。彼は自分で口にした通り、可能な限りの仮定を思い浮かべ、対処法を策定して動いているのかもしれない。
うん。きっとそうだ。だって、突然彼の背後に現れた二重歩行者の放った遅延魔術を見事に回避したのだから。分身が背後に現れるのは魔力を読めば分かる。隠蔽されていても見破れる程度には鋭敏なのだろう。だとしても、二重歩行者がどんな攻撃を仕掛けるかまでは読めないはずだ。思考を許さない程度の素早さで展開されたから。
ちなみに、放ったのが遅延魔術だと分かったのは、ジーザスが回避したせいでわたしに直撃したからだ。すぐに解除されたけど。
不意に二重歩行者が消える。ヨハンの実体が健在であるあたり、彼自身の意志で解除したのだろう。すると、解除せざるを得ない攻撃を察知したからか。おおかた糸による切断。わたしの腕とは違って生かしたまま切る糸ではなく、本当に切る一撃。
それからの動きは目まぐるしかった。ジーザスが噴水を突っ切ってヨハンに近寄り、あっという間に足を払ったのである。しかも、痛めていないほうの足を。
この間、ジーザスはヨハンを一瞥もしていない。わたしだけを見ている。
本当に仲が悪いんだな、この兄弟は。
「少し邪魔が入ったな。悪い。それじゃ、腕を――」
わたしが動いたのは単純な理由だ。ジーザスが近寄ったから。といっても、本来の攻撃が届く範囲にはいない。サーベルの射程圏内よりもやや外側。
だから到達する。
宙に浮いた腕を左手で握り、刃を振るったのである。
結果、糸に弾かれたけど仕方ない。左腕と右腕の感覚が通常と違うのだから、慣れるまでには少々時間が要るだろう。
ただ、なんの成果もなかったわけではない。
「やるねえ、クロエ。発想も面白い」
言って、ジーザスは後退した。彼の肩から胸にかけて、冷気が白い筋となって残っている。
本当なら雷を使いたかったが、腕を取り落とす懸念があったので氷の魔術を選択したのだ。炎で痛みだけ与えるのは大した効果をもたらさないだろう。風で斬撃速度を向上させるのもなし。腕がすっぽ抜ける。
このまま凍結させるまで攻め抜く――のは浅はかだ。けれど行動としてはそう映るだろう。逃げ腰のジーザスに対し、わたしは疾駆しつつ、冷気をまとわせたサーベルを単調に振るっている。
彼はどの攻撃も、冷気がギリギリ届かないところで糸を張って対処していた。わたしとしても凍らせる算段はない。
別の意味がある。左腕で右腕を持って、これまで通りの剣戟を実行するだけの慣れを獲得するためだ。
充分に危機感を持って戦っていたのだけれど――。
視界が置き去りにされる。身体が先行し、やがて足を止める。わたしは、首のないわたしを後ろから見つめていた。
「最悪のケースを想定しろ、温室育ちのお嬢ちゃん。準備はともかくとして、仮定ならすぐに出来たはずだ。怠ったな?」
なにが起こったのか分かっている。ジーザスの糸が途中で軌道を変え、刃を回避してわたしの首を刎ねたのだ。これがもし本当に切断する糸だったなら、わたしはなにも出来ずに負けていたことになる。
油断。いや、彼の言う通り想定が不足していた。これまでの糸が一直線に放射させるばかりだったから、途中で軌道が変わるとは思っていなかった。
ニコルが最後に選んだ仲間。勇者一行のひとり、ジーザス。
わたしは治癒能力や、風と雷の魔術といった新たな武器を手に入れ、経験を積み、感情喪失でより強くなった自覚がある。それでもなお、この男相手には不足しているらしい。
首を失った身体をすぐに動かしてジーザスに襲いかかったのだけれど、無駄だった。まず、右腕がさらに分解された。次に身体を十字に四分割。それで終わり。バラバラになった身体では抵抗しようがない。
ジーザスは宙に浮かぶわたしの顔へと歩み寄り、腕を広げた。
「これでようやく会話が出来るな、クロエ。二人きりで秘密の話をしようじゃねえか」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃で拉致され、現在は夜会卿の直轄地アスターにいる。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ジーザス』→勇者一行のひとりであり、ヨハンの兄。黒の血族と人間のハーフ。ヨハン同様、契約の異能を持つ。夜会卿に仕えている。彼に下賜された手袋型の貴品『無慈悲な強奪者』を所持。戦争において夜会卿第一部隊に所属。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『遅延魔術』→ヨハンの使用する魔術。対象の動きをゆるやかにさせる。ヨハン曰く、生体や魔術には有効だが、無機物には使えないらしい。正式名称は遅延領域。詳しくは『69.「漆黒の小箱と手紙」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて




