Side Sinclair.「なら、賭けろよ」
※シンクレール視点の三人称です。
なにが間違っていたのか。
レンブラントの一撃で地を転げたシンクレールは、行軍の疲労もあってろくに思考が働かなかった。
レンブラントはアスターで革命を画策しており、今はグレキランス一帯の支配のために夜会卿と共闘しているが、そもそも敵対関係にある。夜会卿の配下の者が数の上でも質の上でも革命勢力を凌いでいるのは考えるまでもない。それゆえレンブラントは仲間を失うわけにはいかないだろう。南門で血族と人間双方が戦闘状態になく、亡骸ひとつ見出せなかった点からシンクレールの推測は確信に変わった。
撤退勧告が不首尾に終わるのは想定済み。本命は南門近辺での膠着状態の維持だ。シフォンの存在ひとつで、連中が門内に入るのを抑止するには充分。レンブラント側も、シフォンが相手となれば軽々に動けないという言い訳が立つ。双方に利のある提案だが、口に出す前に戦闘状態に陥る想定をしなかったのはシンクレールの落ち度だろう。
喉に圧迫感を覚え、それから視界が持ち上がる。こちらの首を掴んで掲げるレンブラントと目が合った。
「拷問は楽しかったかい、シンクレール」
声を出そうとしても喉が圧されている。それは相手方も分かっているだろう。返事なんて期待していない。
シンクレールは己の首を締める手に触れ、魔力を集中させた。
数秒ののち、冷気が迸り、レンブラントの指先を除く全身が氷漬けになった。
氷獄。相手を氷の内部に閉じ込める魔術。
レンブラントの指を外して着地したシンクレールは、深呼吸を繰り返した。目眩がする。視界が揺れる。頭がひどく痛む。
氷獄は対象を仮死状態にするが、相手によっては意識を失わない。だとしても氷の内部で出来ることは限られている。それが、シンクレールの経験に基づく理解だ。
それゆえ、みるみるうちに氷が溶け、ものの十秒でレンブラントが自由になったのは異常事態である。
「待ってくれ!」
叫ぶ声に応えたのはレンブラントの拳。顔面に衝撃と熱が広がり、またぞろシンクレールは地を舐めた。
レンブラントが魔術師でなければ、短期間で氷から解放されなかったろう。身体強化魔術のエキスパートは、体温を灼熱と呼べる程度には上昇させられる。
「待つわけにはいかないんだよねえ。こっちは前線基地に送り込んだ大事な仲間を殺されてるんだから。散々情報を吐かされて」
「誤解――」
蹴り飛ばされたシンクレールが宙を舞う。そんななか、凛とした声が聞こえた。
ナターリアである。
「レンブラント様。彼の言葉は――」
「ナターリアちゃん。真偽は判定しなくていい。看破魔術は万能じゃないからね。いくらでも抜け道はあるよ。おっと、ナターリアちゃんを下に見てるわけじゃないからね。ナターリアちゃんが完璧に近いレベルで判定出来るのは知ってる。ただし、完璧じゃない。だから判定しなくていいよ」
立ち上がろうとしたシンクレールの頭が、レンブラントの靴で踏みつけられる。熱はない。ただ、顔が地にめり込むほどの重量だった。踏まれる寸前に顔を傾けていたので窒息を免れたのは幸いである。些細な幸運だが。
「きみはシフォンちゃんを寝返らせて、簒奪卿を殺し、前線基地で息を潜めてた。そして、おじちゃんの仲間を全滅させたわけだ。きみには血と死の臭いがこびりついてる」
死臭も血液の臭いも、シャンティの軍勢と人間の亡骸によるものだ。シンクレールは今日に至るまで前線基地内で日毎水浴びをしており、亡き者を思わせる体臭はない。これも相手がレンブラントゆえの誤解である。身体強化で嗅覚を研ぎ澄ます程度、彼には造作もないのだ。
「違う! 僕はお前の仲間に手をかけていない! 今も前線基地にいるんだ! ちゃんと生きてる」
「信じるに値しな――」
レンブラントの足が離れ、シンクレールは咄嗟に顔を上げた。半身になったレンブラントの先で嵐が巻き起こっている。銀の刃が陽光を乱反射し、硬質な音が鳴り響いた。
シフォンである。
一瞬で傷だらけになったレンブラントが、弾丸じみた速度で危険域を離れ、ナターリアの位置まで下がった。
「まいったね。目一杯身体を硬くしたのに。それにしてもナターリアちゃん、しっかり仕事はしたんだよね?」
「ええ。シフォン様は幻覚を視ておられます。今も」
シフォンはナターリアの幻術にかかっていた。彼女の見た景色はレンブラントとシンクレールが穏便な対話をしているものである。無論、姿かたちだけでなく、魔力量やその揺らぎさえ、双方のそれと限りなく等しいものを仕立てた。加えて、現実のレンブラントとシンクレールは感知されないよう、高度な隠蔽を施してある。
シフォン相手には無駄な細工だ。彼女は魔力の感知において常人を遥かに逸脱している。ゆえに、レンブラントの初動さえ見抜いていた。それでいてなにもしなかったのは、対話しているほうが実体だと間違っただけだ。
一度目は必ず失敗する。シフォンの特徴のひとつ。
今も一度目の状態だ。シフォンがレンブラントを襲撃したのは、シンクレールが殺されそうだったからである。初撃の腹部への殴打は彼を殺し得ない。首を締められた状態は、彼自身の力で突破した。その後の顔面への拳も死なない。だが、頭を踏む行為は殺傷に至る。
失敗のさなかにあって、本物だと思っていないシンクレールを救ったのは、彼女自身、よく分からない行為だった。もしかしたら踏まれているシンクレールが実体かもしれないとは一切考えていない。そもそも思考がまだまだ疎く、何事かを考える営みには縁遠かった。
「ありがとう、シフォン」
「どういたしまして」
シンクレールは痛む身体を酷使して、なんとか立ち上がった。
自分がいかに拙速だったか、そしてレンブラントの立場を考慮していなかったかを悔いる。中折れ帽の男が誤解するのも無理はない。前線基地にいる百名の血族が無事であると証明する手段はないのだ。むしろ、逆のパターンを想起させるに余りある状況だったと顧みた。
「シフォン。誰も攻撃しちゃ駄目だ」
彼女の頷きを確認し、シンクレールは不器用に微笑んだ。そしてレンブラントに視線を向ける。
シフォンに攻撃停止を命じることは、前線基地での拷問やら殺戮の誤解を解消しないだろうと分かっていた。この場での戦意のなさを証明するにも足りない。再び攻撃を命じれば済むのだから。
だからこそ、証拠を示すしかない。己の言葉で。
「レンブラント。前線基地に訪れたお前の仲間は誰も死んじゃいない」
「それはさっきも聞いたよ」
「エルネストの意志を受け継ぐ仲間が、ちゃんと生きてる」
エルネスト。直近の革命でリーダーを務めた男だ。その名を耳にして、一歩踏み出したレンブラントの足が止まる。が、それも一瞬のことだった。次の一歩は疾駆となって、シンクレールへと急接近する。
シフォンを自分の背後へと導き、口を開く。
「エルネストの娘――リリーも前線基地にいる。彼女は僕の仲間だ」
風を切る拳が、シンクレールの心臓を打つ寸前で止まった。
「それも拷問して聞き出したんだろう? シンクレール」
「違う。僕は拷問なんてしてない」
「なら」レンブラントは拳を引き、シンクレールを見下ろした。「リリーちゃんの特徴を言ってみるといい。仲間なんだろう?」
シンクレールはレンブラントから視線を逸らすことなく、縷々語った。
見た目は十四歳くらいの少女で、金髪を顔の左右で大袈裟に巻いている。身長は一メートル半に満たない程度。高慢だけど意志は強く、情に篤い。なにより不殺の想いは並外れている。そして、自分を『高貴なる姫君』と称していることまで、全部話した。
レンブラントはしばしの沈黙ののち、こう呟いた。
「信用出来ないねえ」
「直接確かめに行けばいい。お前の仲間が生きてるかどうか。そこにリリーがいるかどうか」
「おじちゃんをこの場から引き離して、全員を始末するつもりかもしれない」
「全員で前線基地へ行けばいいだけだ」
レンブラントは肩を竦めて首を横に振った。
「それは無理だねえ。おじちゃんは勝手な行動を許されてないんだ。一応、部隊長だから。戦争中はヴラドに弓を引けない」
「なら、賭ければいい。僕の言葉が真実かどうか。嘘だと思うなら殺せばいい。ただし、リリーが悲しむ。真実だと思うなら、グレキランスに踏み入らないでくれ」
賭け、という単語にナターリアが口を鋭角にした。それが彼女の笑みなのだろう。
沈黙が流れる。随分と長く。
天上のスクリーンが消えても、レンブラントは黙ったままだった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『シンクレール』→王立騎士団の元ナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。戦争において前線基地のリーダーを任され、簒奪卿シャンティと対峙。彼女の配下にいたシフォンの存在により、シャンティと共闘。そののち、シャンティは捕虜となり、シフォンは彼と行動するようになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を所持。実は騎士団長ゼールの養子。シンクレールの塩オムレツを気に入っている様子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する異能『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父エルネストは夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。徹底した不殺主義。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『エルネスト』→リリーの父の名。夜会卿の支配地アスターでの革命に失敗して処刑された。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『簒奪卿シャンティ』→黒の血族で、ラガニアの子爵。過剰な装飾と肉体改造を施した、傲慢で残虐な女性。同族の土地へと侵略を繰り返す様から、簒奪卿の異名がつけられた。固有の異能である液体操作を持つが、有機物に限っては相手の意識がなければ操れないという制約がある。加えて、スライムを使役する。リクの腹違いの姉。戦争において前線基地を襲撃したが、シフォンの裏切りにより全軍壊滅。王都東門でメルキュールを圧倒し、スィーリーを返還する代わりに自分とリクの領地であるマナスルとブロンの保護を依頼。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『レンブラント』→黒の血族。戦争における夜会卿の第三部隊長。身体強化魔術のエキスパート。見た目は四十代のおじさんだが、血族としては高齢。夜会卿の領地アスターでカジノのオーナーなどをしている。本業は革命屋であり、夜会卿の転覆を狙っているが、同時に夜会卿に拝跪してもいる。王都南門にて騎士団ナンバー9、ゴッドを殺害し亡骸を回収。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ナターリア』→黒の血族。大きな目とハキハキした口調が特徴の、血族の女性。夜会卿の領地アスターでカジノの支配人をしている。カジノの秩序を乱すような詐欺まがいの魔術は一切通用しない。人生で一度もイカサマをしたことがないことを自負している。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『氷獄』→対象を氷の箱に閉じ込める魔術。閉じ込められた相手は仮死状態になるが、魔術が解ければそれまで通り意識を取り戻す。相手によっては意識を保ったままの場合もある。本来は防御魔術の用途で使用される。詳しくは『270.「契約」』にて
・『看破魔術』→グレキランスにおける真偽術と同様の魔術。言葉の真贋を見抜く魔術。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『前線基地』→王都北東の山脈にほど近い場所の山岳地帯に作った、戦争における要衝。血族の侵入経路と王都を直線上に結ぶ位置にあるため、全滅は必至であり、足止めの役割がある。総隊長としてシンクレールが配備されている。簒奪卿シャンティおよびシフォンの襲撃によりほぼ壊滅した。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣などが使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて




