Side Sinclair.「非現実的な平和主義」
※シンクレール視点の三人称です。
血族がグレキランス一帯に侵攻して十一日目の朝を迎えても、シンクレールとシフォンは目的地である南門まで到達出来ていなかった。
前線基地の末端からの強行軍。さすがに休憩なしで駆け続けるのは体力的に不可能だった。もとよりシンクレールは体力に自信がないし、実際ほかの騎士と比較すると随分見劣りする。大抵の魔術師はそんなものだ。
王都の危機である以上、自分なら休みなく走れるなんて思っていたのだが、蓋を開けてみれば悲惨なほどの貧弱さを突き付けられた。一時間に一度は足を止めて呼吸を整えなければ保たない。しかも途中で何度か吐いた。つまりは限界を超えて走ったにもかかわらず、想定した以上に遅々とした進行となったのである。
『シフォンは……はぁ……平気かい……?』
『平気』
最初の何度かの休憩の際にそんなやり取りを交わした。事実、シフォンは汗ひとつかいていない。彼女だけであればとっくに南門にたどり着いていただろう。
背負ってもらおうか、なんて自虐的に考えてはすぐに打ち消した。そんなことをさせたら自己嫌悪が一生付きまとう。王都の危機に、女の子の背中に乗って登場するなんて恥だ。もっとも、羞恥心や体裁を捨て去るべき状況ではある。それでも良しとせず、結局南門付近にたどり着いたのは太陽が傾きかけた時刻だった。
ちょうど王都の天上にグレガーの映写魔術が展開された頃である。
血族の隊列を視認し、シンクレールは息を整えて歩む。シフォンも疾駆をやめて、シンクレールの隣を歩いた。
「シフォン。分かってると思うけど、君は攻撃しなくていい。攻撃されても避けるだけ」
隣で少女が頷く。先細った剣が陽光を反射して煌めいた。
シンクレールはギリギリ間に合ったと言える。映写魔術の展開と同時に、夜会卿第三部隊は王都へ踏み込もうとしていた。ナターリアが複製ザムザと白銀猟兵の行動停止を鋭敏に察知し、部隊長であるレンブラントに告げたところだったのである。そんな矢先に、人間二人の存在をやはりナターリアが感じ取り、第三部隊は一旦踏み留まったのだ。
血族たちに接近するにつれ、鼓動が強く速くなるのをシンクレールは感じた。シャンティやシフォンと戦い、死線を乗り越えたといっても、それは自分だけの力ではない。むしろ多くの偶然に助けられて今ここにいる。
血族は見たところ五百名ほど。それを前にして一切の恐れがないかというと、否である。ただし前線基地での戦闘を経て、恐怖心は随分と小さくなっていた。なにより、相手が何者か知っているのが大きい。
革命屋レンブラント。前線基地で捕虜にした血族が明かした情報だ。夜会卿の直轄地アスターで革命を企てる男。
「きっと利害は一致している」
シンクレールはなかば無意識に呟く。シフォンが顔を覗き込んだが、彼女はなにも言わなかった。
この戦争だけを切り取ってみれば、血族と人間は言うまでもなく敵対関係にある。しかし前線基地を訪れた百の血族はリリーの存在を知り、協力者と言えるほど素直に情報を渡してくれたのである。レンブラントが革命を目論む勢力のリーダーならば、きっと血は流れない。そう確信していた。
血族たちから十メートルほどの地点で、シンクレールは両手を後ろに組んだ。通常の降伏、あるいは戦意がないことを示すには両手を挙げる。ただ、魔術師にとってのそれは攻撃宣言に等しい。ゆえに手を隠すのが魔術師の常道である。
「僕はシンクレールという名だ! 王都の騎士だが、戦う意志はない! 話をしに来た!」
言いながら、歩を進める。血族たちはじっとこちらを見つめていたが、やがて道を開けた。
彼らに挟まれた道を歩むなかで、奇妙な感覚に陥る。南門の壁際に人間の兵士が蟠っているのだ。昨晩、両勢力はぶつかったはずである。しかし亡骸はひとつも見えない。さらには白銀猟兵の姿もなかった。壁上には見慣れぬ砲台があり、一様に沈黙している。
オブライエンの死により一切の兵器が停止した事実は、もちろんシンクレールの預かり知らぬことである。
やがて南門の前にたどり着くと、二人の男女がこちらを見据えて立っていた。中折れ帽にスーツ姿の男。おそらく彼がレンブラントだろう。隣にいる、特徴的な目をした燕尾服の女性はナターリア。そのあたりの細かい情報まで前線基地の兵士たちは語ってくれた。
「あなたがレンブラントか?」
足を止めて問う。双方の間は約五メートル。手は後ろに回したままだ。
「ああ、そうだよ。おじちゃんがレンブラント。こちらの女性はナターリアちゃん。それで、きみらはなんの用事かな?」
レンブラントの声に敵意は感じられない。やけに丸みを帯びている。
人間側が生きていることから、双方折り合いをつけて和平を結んだのだとシンクレールが錯覚したのも無理はない。第三部隊の人員はほぼ革命勢力で形成されていると聞きおよんでいるのだ。夜会卿に歯向かう算段があるのなら、自軍の被害は最小限に留めるだろう。それこそ、敵と手を結んででも。
シンクレールは我知らず安堵の息を吐き、柔和な表情のレンブラントを見上げた。彼の頭越しに初夏の晴天が広がっている。いくつかの綿雲がいかにものんびりと浮かんでいた。
「あなたの事情は知ってる。ここに留まってる意味も察しが付く。端的に言うと、僕とあなたは敵同士じゃない。だからグレキランスに入らず、今すぐ撤退してほしいんだ」
レンブラントの視線が、シンクレールを外れて隣へと移る。すなわちシフォンへと。
「事情ねえ。そりゃあ、知ってても不思議じゃない。試しに聞いてみようか。どんな事情を知ってるんだい?」
「あなたはアスターで革命を起こそうとしてる。第三部隊の血族は革命勢力がほとんどだ。夜会卿を倒すのが目的なら、僕ら人間とあなたの勢力は争うべきじゃない」
口にしながら、シンクレールの背中を冷たい汗が流れた。大丈夫だとは思っていても、相手は血族である。簡単には手を組めないだろう。それでも前線基地では稀有な例外が発生したのだ。シャンティとリクとの共闘。そしてシフォンとだって敵対を免れた。
空想ばかり逞しい非現実的な平和主義。この場に冷徹なクロエがいたならば、彼をそう見做しただろう。
現にシンクレールは気付いていない。
血族たちがなぜ闖入者の存在に沈黙しているのか。レンブラント含め、どうしてシフォンに一切触れないのか。ともに毒色原野を歩んだのだから、シフォンが誰の傘下におり、どこへ出向いたのか知っている。交信魔術経由で彼女の死という誤報も耳に入っている。にもかかわらず、ひとりとして驚きを面に表さないのはなぜか。ナターリアが暗に展開している交信魔術はシンクレールに傍受出来るものではないし、交信がおこなわれている事実すら看破出来ていなかった。
「なるほど」レンブラントの顔から表情が消える。「ナターリアちゃんはシフォンちゃんの相手をよろしく」
「承知いたしました」
「おじちゃんは――」
レンブラントの姿が視界から消えた。身を低くして一気に駆けたのである。
腹部を突き上げる痛みとともに、シンクレールは吐血し、放物線を描いた。
「おじちゃんは彼を殺すから、誰も邪魔しないように」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『シンクレール』→王立騎士団の元ナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。戦争において前線基地のリーダーを任され、簒奪卿シャンティと対峙。彼女の配下にいたシフォンの存在により、シャンティと共闘。そののち、シャンティは捕虜となり、シフォンは彼と行動するようになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を所持。実は騎士団長ゼールの養子。シンクレールの塩オムレツを気に入っている様子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する異能『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父エルネストは夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。徹底した不殺主義。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『簒奪卿シャンティ』→黒の血族で、ラガニアの子爵。過剰な装飾と肉体改造を施した、傲慢で残虐な女性。同族の土地へと侵略を繰り返す様から、簒奪卿の異名がつけられた。固有の異能である液体操作を持つが、有機物に限っては相手の意識がなければ操れないという制約がある。加えて、スライムを使役する。リクの腹違いの姉。戦争において前線基地を襲撃したが、シフォンの裏切りにより全軍壊滅。王都東門でメルキュールを圧倒し、スィーリーを返還する代わりに自分とリクの領地であるマナスルとブロンの保護を依頼。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『リク』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。シャンティの従僕。誠実な性格。類まれな剣術を持つ。相手の意識のみを切断する貴品を有する。シャンティの腹違いの弟。シフォンとの戦闘により死亡。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だったとされる男。不死魔術の研究により、王都から追放された。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。勇者一行であるゾラとの面識あり。ゾラの記憶する限り、グレガーはかつて騎士団の頂点に座していた。詳しくは『205.「目覚めと不死」』『868.「若年獣人の長き旅⑥ ~奪取~」』にて
・『紫電のザムザ』→騎士団ナンバー1の男。銀の髪を持つ魔術師。幼い頃の記憶がない。ときおり頭のなかに響く『声』に従って行動をする。実はオブライエンによって作られた、魔道具に限りなく近い人間。故人。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~啓示~」』『Side Winston.「紫電の組成」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『レンブラント』→黒の血族。戦争における夜会卿の第三部隊長。身体強化魔術のエキスパート。見た目は四十代のおじさんだが、血族としては高齢。夜会卿の領地アスターでカジノのオーナーなどをしている。本業は革命屋であり、夜会卿の転覆を狙っているが、同時に夜会卿に拝跪してもいる。王都南門にて騎士団ナンバー9、ゴッドを殺害し亡骸を回収。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ナターリア』→黒の血族。大きな目とハキハキした口調が特徴の、血族の女性。夜会卿の領地アスターでカジノの支配人をしている。カジノの秩序を乱すような詐欺まがいの魔術は一切通用しない。人生で一度もイカサマをしたことがないことを自負している。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『映写魔術』→映像を空中に投影する魔術。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『前線基地』→王都北東の山脈にほど近い場所の山岳地帯に作った、戦争における要衝。血族の侵入経路と王都を直線上に結ぶ位置にあるため、全滅は必至であり、足止めの役割がある。総隊長としてシンクレールが配備されている。簒奪卿シャンティおよびシフォンの襲撃によりほぼ壊滅した。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『毒色原野』→人も血族も住まない荒廃した土地。グレキランスの人間は『中立地帯』と呼んでいる。夜会卿の統べる都市とキュラスとの中間に広がった荒野を指す。常に濃い靄に覆われており、毒霧が発生しているとの噂がある。霧は一定周期で晴れる。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』にて
・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣などが使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて




