Side Gregor.「軽薄な解放者」
※グレガー視点の三人称です。
いっときは崩れ落ちた血族たちが、ひとりまたひとりと正常な意識を取り戻す。噴水前のベンチに腰かけたまま、グレガーは彼らを見据えていた。
幻覚から目覚めるには条件がある。連続する死と痛みから逃れるには、撤退を明言しなければならない。覚醒した血族は皆、絶命に至る痛苦のなかで撤退を認めたのだ。
汗を拭う者。己の手足を確認する者。頭を抱える者。明らかに安堵する者。そうした手合いはごく少数だった。多くは目覚めたのち、立ち上がってこちらを睨んでいる。
優秀な兵士だ、とグレガーは率直に思った。撤退を口にしてなお、無様を晒さない。しかしこちらを攻撃しないあたり、自分自身が叫んだ撤退を律儀に守ろうとしている。あるいは、主君が解放されるまで身の振り方を決めかねているのか。
髪を後ろに撫でつけた怜悧な顔の男、夜会卿を見やる。彼は依然として幻術に囚われたままだ。それでいてまっすぐに立っているのはなかなかどうして肝が据わっている。
血族の半数以上は幻覚のなかだ。撤退を認めるまで継続する死の檻に留まっている。
血族は人間よりも丈夫なのが一般常識であり、真実だ。ただ、死を経験するのは一度きり。尋常の者なら一度目の死で心が折れる。その点について血族と人間に差はない。いまだ幻覚の世界にいる者は、もう十回も死んでいるはずだ。その精神の強靭さは存分に窺えるというもの。
どうにもならないかもしれない。
グレガーは内心でそう独白した。もし連中が撤退を認めず、なおかつ幻覚を破ったなら、いよいよネモの出番だ。無論グレガーも助力する気だが、あまりに力になれないだろうと見込んでいる。
グレガーが幻術を施したのは夜会卿本隊と、付近に迫っていた第一部隊に対してのみである。といっても数は尋常ではない。二千名以上。魔力量に自負があるグレガーとしても、枯渇の憂いがあるほどの人数である。今も急速に魔力が減っていた。残り十五分か二十分もすれば、維持は不可能になるだろう。脱落者――すなわち撤退を受け入れた者が加速度的に増えない限り。
ところで、夜会卿本隊は北門の大通りから広場にかけて隊列が続いている。複製ザムザの襲撃に遭っても隊列そのものに大きな変化はなかった。北門の方角はほぼ血族で埋まっている。ゆえに変化は目視出来ない。夜の守護者が最後方の血族を順々に狩っていることにも気付かなかった。グレガーでさえ、撤退を受け入れ幻術から解放された者が増えた程度にしか認識出来なかったのである。
覚醒した騎士団長ゼールが怒気を漲らせ、幻覚に溺れた血族を殺している事実は把握していなかった。
靴音がして、ベンチのそばに男が現れる。
小麦色の肌に、上質なスーツ姿。戦場に立つ者の装いとは思えない。彼が西門方面に配された者であり、もっとも早く撤退を認めたのは認識している。
「お前は随分と無駄事が好きなんだな」
男は薄笑いを浮かべてこちらを見下ろす。ネモが拳を構えて腰を落としたが、意に介する素振りもない。
「ヴラド閣下は撤退なんざ認めねえよ。もっと言うとだな、お前の幻覚を愉しんでる。その気になりゃ、目覚めるのは簡単だ」
男の肌は人間のそれだが、気配は血族だ。ヨハンと同じく人間とのハーフなのだろう。
「……撤退を認めれば楽に目覚められる」
「ああ。その手もある。多少面倒だが、別の手段も使える。幻覚の解除だ」
「解除は不可能だ」
魔術と精神は依存関係にある。精神のみを抽出するグレガー独自の幻術内では、魔術の行使は不可能。二重歩行者のように発動済みの魔術や、時間差で展開されるよう準備された魔術は例外だが、解除となると実質不可能である。あらかじめこちらの魔術の性質を理解して、解除を仕込んでおかなければ成立し得ない。
男はネモに向かって両腕を上げる。
それを合図に、血族たちが一斉に目覚めた。
「内側から解除出来ないなら、外側からやりゃいい。シンプルな理屈だ」
スーツの男――ジーザスは魔術師ではない。ゆえに解除は不可能である。もっとも早く撤退を決めて正気を取り戻し、第一部隊の交信魔術師が目覚めるのを待ったのだ。その後、交信を本隊の魔術師に対して実施させた。撤退を認めて順次解除しろ、と。合図をしたら、全員の解除をするように言い含めてもあった。彼の挙動が合図だとは、もちろんグレガーは知り得ない。
目覚めたヴラドが濁った視線をスーツの男に向ける。
「ジーザス。貴様、私の邪魔をしたな?」
「敵前で罠にかかったご主人様を救うのは従者の役目じゃねえか。大した言いがかりだな、ヴラド」
闇色の剣が現れてから石畳に突き刺さるまで、ほんの一瞬のことだった。標的はジーザスなるスーツの男だったが、彼は軽々とステップを踏んで避ける。そして肩を竦めた。
夜会卿の溜飲はその一撃で下がったのか、グレガーへと視線を向ける。
「悪くない幻覚だった。痛みも死の感覚も、忠実に再現されている。だが、飽きた」
彼の声はひどく冷えており、瞳には退屈さが滲んでいる。
グレガーは夜会卿の言葉に揺さぶられはしなかったが、ジーザスの言に当惑を感じたのは事実だ。虚言でなければ、この場の血族はほぼ全員撤退を受け入れていない。
「バルクハルト。殺せ。この男に価値はない」
グレガーのもっとも近くにいた巨躯の大男が大剣を振り上げる。
ネモが駆けたが、おそらく間に合わないだろうとグレガーは読んでいた。転移魔術なら回避可能だが、生憎会得していない。長きに渡った人生もここで潰える。そのように感じても、心にさざなみは立たなかった。オブライエンが死んだのだ。それだけで充分に満足している自分がいる。加えて、もう二度と目にすることはないと思っていた者が健在であると知れたのも大きい。
ゾラ。
よくぞ無事でいてくれたと、心の底から嬉しくなったものだ。彼に会う資格こそないが、その姿を目に出来ただけでも、擬似的な不死を実現させた甲斐はある。
ヨハンとの契約では、人間が勝利した時点でグレキランス領における他種族の永住権が確保される運びだ。自分が生き残る必要はない。死に急ぐ気はないが、この状況で抵抗しても虚しいのは自覚していた。
嗚呼、しかし、ゾラには伝えたいことがひとつある。残念だ。
グレガーの読んだ通り、バルクハルトの剣はネモの動きよりも速かった。しかし、大剣は幻術師を叩き潰すことなく、猛烈な風切音とともに飛来したなにかによって弾かれたのである。
闖入者は噴水の先でカーブを描き、バルクハルトを見据えた。両の剣を手に、空中に浮かんで。
「再戦か。充分に回復したのか? ゼールよ」
バルクハルトの魁偉な顔に喜悦が浮かぶ。それを見据えるゼールは、瞳に炎を宿していた。
「充分休んだ。休みすぎたほどだ。お前の相手は俺がする」
「いいだろう。呆気なく終わってくれるなよ」
片腕のバルクハルトと片足のゼールが戦闘をはじめた一方で、ネモは夜会卿を含む精鋭と対峙していた。
「貴様はメフィストの矢を受けた王だな。血族の力を後天的に得た気分はどうだ?」
「なにも変わらん」勇んで踊りかかった敵兵を一蹴し、ネモは羽織ったローブを脱ぎ捨てた。胸に空いた風穴に、隆々たる筋肉。「我はグレキランスの守り手として、義に殉ずるのみ」
飛びかかる血族に対し、ネモは跳躍し、純白の翼で空を駆けた。羽根の弾丸が次々と血族を襲撃する。
「お前は俺と遊ぶか?」
ジーザスが嘲りを隠さずに言う。
「断る」
そう答えた刹那、ベンチが両断された。ジーザスが宙を撫でた矢先のことである。しかしそこにグレガーはいない。
「ジーザスだったか。いつから自分が幻覚を視ていたか、把握しているか?」
「俺が噴水に近寄った瞬間だ。死の幻覚とは毛色が違う。お前の姿以外はすべて実像。なに、それくらいのハンデはくれてやるよ」
なるほど。自信に見合うだけの強さがあるわけだ。
かくして王都の中央広場で戦闘が開始した。
ときに、複製ザムザと白銀猟兵の脅威が消失した事実を察知した第三部隊はどうしていたのか。
彼らはいまだ、南門に足を踏み入れていなかった。少々厄介な事情によって。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だったとされる男。不死魔術の研究により、王都から追放された。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。勇者一行であるゾラとの面識あり。ゾラの記憶する限り、グレガーはかつて騎士団の頂点に座していた。詳しくは『205.「目覚めと不死」』『868.「若年獣人の長き旅⑥ ~奪取~」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。恋愛に関しては極度に潔癖な一面もある。勇者一行でありヨハンの兄でもあるジーザスと契約し、人間殲滅を目的とした戦争への参加を余儀なくされている。クロエに敗北し、ヨハンの提示した戦争での役割を受け入れることとなった。すべての種族が争いなく共生する世界、『ユグドラシル』を理想としている。しかしながら過去、人間との交流によって失意を味わい、結果、人間に対する愛憎の念を抱くようになった。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』『Side Grimm.「獅子のひとりごと」』にて
・『ネモ』→王都の先代の王。ヨハンに胸を射られ、その影響で『黒の血族』と化した。息子である王子ゼフォンによって地下に幽閉されていたが、ノックスに救出された。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~②名も無き王~」』にて
・『ゼール』→騎士団長。王都の騎士を統括する存在。双剣の魔具『凍剣蓮華』と『風雷万華』の使い手。実はシフォンの養父。戦争において北門の指揮官を任じた。バルクハルトとの戦闘で片足を失い、それでもなお彼に勝利した。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ジーザス』→勇者一行のひとりであり、ヨハンの兄。黒の血族と人間のハーフ。ヨハン同様、契約の異能を持つ。夜会卿に仕えている。彼に下賜された手袋型の貴品『無慈悲な強奪者』を所持。戦争において夜会卿第一部隊に所属。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『バルクハルト』→黒の血族。戦争において夜会卿の本隊に所属。全軍で唯一軍馬を用いる容貌魁偉な猛将。末広がりな大剣二本を所持。戦争においてゼールに腕を斬られ、自ら敗北を認めた。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『紫電のザムザ』→騎士団ナンバー1の男。銀の髪を持つ魔術師。幼い頃の記憶がない。ときおり頭のなかに響く『声』に従って行動をする。実はオブライエンによって作られた、魔道具に限りなく近い人間。故人。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~啓示~」』『Side Winston.「紫電の組成」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




