Side Julia.「記憶への旅立ち」
※ジュリア視点の三人称です。
――はじめてその人を見たとき、天使だと思った。町長さんの家に接した小道を歩いているときに偶然向かい側から歩いてきて、小さな私に微笑んでくれた。手を振ってくれた。それが最初。
白イタチの獣人ヴィクトルとの戦闘で蹂躙されながら、ジュリアは無力を悟り、過去への追想に思考を傾けていた。どれだけ工夫を凝らしてもまったく通用しないのだから仕方ない。
ケットシーを人質にしようと試みても、刃に変化させた手指を向ける前に霧散させられる。
背後を取るべく液化した身体で進んでも、途中で断たれる。
最上級の硬さで殴りかかっても消される。
逆に液状の身体で攻撃を仕掛けても散らされる。
それらすべて、白イタチの剣から迸る白光によるものだ。
こいつには勝てないと判断して薬品室へ向かおうとしても、案の定、邪魔をされる。
オブライエンから受けた指示は侵入者の排除だ。その意志は持ち続けていても、本能が足を引っ張ってやまない。敵わないと分かってなお虚しい攻撃を繰り出すのは、大好きな人の命令だから。
愛はすべてを凌駕する。そう信じているし、蹂躙されて現実逃避に呑まれている今も価値観は少しも揺らがない。けれども頭では、いつかの遠い日々を描いていた。
――ある日、その人は町長さんの邸の離れで呆然としていた。雨の降りしきるなか、離れの壁にもたれかかって、身動きひとつしなかった。死んじゃった、とは思わない。だって天使は死なないもの。今は元気がなくなっているだけ。きっとまた、あの素敵な笑顔が帰ってくる。そう信じた私は、毎日彼に食事を運んだ。町長さんの敷地に入るのは駄目だって分かってたから、柵から身を乗り出して、頑張ってパンや蒸し芋を捧げたの。
――それから天使は町を去った。下衆な領主と一緒にラガニアへ旅立ったのだと知ったのは、何年後のことだろう。いつか帰ってくると信じて待つ月日。とても長くて苦しかった。十二年。彼に再会するのにそれだけの年月が必要だったなんて、神様は意地悪よね。十六歳になった私。もちろん顔付きも身体もすっかり変わってしまったし、きっと覚えてないと思ったけど、あの人は忘れてなかった! 私の名前を呼んでくれたんだもの! でも彼はひどく傷付いていて、看病が必要だった。幸せな時間。彼のお世話をしている間、ずっと幸せを噛み締めて、彼には悪いけどこの時間が永遠に続きますように、ついつい祈っていたの。
――不死者になるための時間は、これまで経験したどんな痛み苦しみよりも過酷だった。肉体全部を液体魔具に置き換える。液体魔具が身体に馴染んで、あらゆる臓器を、あらゆる血管を、それこそ脳まで浸透して置換するのに六十時間。その間はずっと意識を保ってなきゃいけない。全身をとても小さな虫に食われながら、絶対に気絶しちゃいけないなんて。でも私はやり遂げた。だって彼のためだもの。彼が必要だと言うのなら、私はなんだってやる。どんな痛いことでも、ひどいことでも、喜んでやる。愛ってそういうものだから。
――彼も不死者になったとき、私はもちろん舞い上がってしまうくらい嬉しかった。それって、二人で永遠の時間を生きるって意味だから。
傍目からは戦闘が継続している。ヴィクトルが終始危なげなく対応し、一方的な感は否めないが、ジュリア側も仕掛け続けてはいた。
ただ、彼女の思考はそこにない。
記憶のなかの美しい日々に埋没していた。
――お互いに不死となって、彼はグレキランスに徹底して肩入れした。私の相手をしてくれるときもあったけど、ほんの気まぐれ程度。なにより彼は、滅多に本物の姿にならない。胡散臭いおじさんの姿でいるものだから、中身が彼だと分かっていても複雑な心境になっちゃうでしょ。彼が彼としての姿を見せてくれるのは、私へのご褒美のときくらい。そんな彼を詰るつもりは一切なかった。我儘を言って嫌われたくないから。
――でも本当は。
ジュリアの思考が途切れ、意識に亀裂が入った。
全身の力が抜けて、彼女はその場にぺたりと崩れ落ちる。
「オブライエンが……死んだ」
彼の魔力をずっと感じ続けてきたから分かった。立ち入りの禁じられた夕陽の町。あの部屋で彼は死んだ。否定したくとも、長の年月が培った察知力に阻まれて、死んだという現実しか視えない。
彼女は意識していなかったが、ヴィクトルは座り込んだジュリアを見下ろすだけで、攻撃を加えなかった。
このときのジュリアには選択肢があった。オブライエンを殺した奴らを皆殺しにすること。つまりは今この瞬間地下にいる者全員を破滅させる選択。あるいは自害。不死ゆえに成立しないが、薬品室で液化アルテゴを気化させれば九割の確率で魔物になれる。理性を失い、他者を傷付けるだけの存在。オブライエンと違ってジュリアはワクチンを飲んでいなかった。もしも彼に捨てられることがあれば、アルテゴで実質的な自殺をしようという理由から。
口から涎が滴る。涙も。それらは等しく白銀色だった。
「全部終わったけど、君はどうする?」
ヴィクトルの声だ。しかし彼女の耳には届かない。どんな音も消え、どんな景色も映らない。外部から訪れる刺激はすべて、彼女の意識を侵さなかった。
やがてジュリアは膝を抱えて蹲る。それを一瞥し、ヴィクトルはさっさと彼女の隣を過ぎて薬品室のほうへ歩んだ。ウィンストンが注文通りに地上への出口を作っているかどうかは問題ではない。
ジュリアは当然のごとく、ヴィクトルが去ったことに気付いていなかった。たとえ認識したとしても、なにもしなかったろう。
『これで永遠に二人きりですね!』
オブライエンが不死者になったとき、ジュリアは喜びのあまりそう言ったのだが、彼の表情に歓喜はなかった。
『そうかもしれない。そうならないかもしれない。いつか誰かが僕を破滅させるかも、って思うんだ。これから色々準備して、その可能性をとても低い値に変えられても、可能性そのものは消えない』
なんでこの人は、こんなに悲しいことを言うのだろう。ジュリアは率直にそう思ったし、共感してくれない彼に少しだけ腹が立った。それでも従順なのが彼女だ。
千年の時間のなかで、段々と分かったことがある。
――彼は私を愛していない。
仕事に対する麗しい報酬はあれど、それは愛を示してはいないのだ。
ジュリアの身体が溶けつつ縮む。手指が消え、頭が溶ける。
――彼はグレキランスだけを愛していた。特別な愛情なんてどこにもなくて、強いて言うなら肉親と、ラルフとかいう家庭教師だけ愛され方が違った。
身体の凹凸が消える。
――愛してほしかった。心から。でも、無理ね。だって彼は天使で、私はなんでもないただの人間だもの。不死はなんの言い訳にもならない。なってくれない。それでも私は、一緒に居られて幸せだった。愛は一方的なもので、寂しいけれど見返りを求めちゃいけない。
やがてジュリアは一個の、白銀色の球体に変化した。ヴィクトルでも消せないほどに頑強で、高密度の球体。
――彼のいない世界で永遠を生きるのは無理。アルテゴを使って自殺するのもいいけど、それよりもっと素敵な方法がある。千年の時間を永遠に繰り返す。自分の頭のなかだけでオブライエンを想い続ける。誰にも邪魔されない場所で、ずっと。ずっと。
かくして不死者ジュリアは、他者からの干渉を一切受けない物体となり、果てしなく繰り返される記憶へと旅立った。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジュリア』→魔具制御局のメンバー。オブライエンの部下。オブライエンの実験による最初の不死者。彼を心の底から愛している。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築されている。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ヴィクトル』→白イタチに似た獣人。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」幕間.「少女と獣の恩返し」』にて
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事をしている魔術師。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。魔女を殺害したオブライエンへ、並々ならぬ復讐心を持っている。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』にて
・『ケットシー』→獣人の一種で、猫に似た姿をしている。しなやかな毛で小柄。五感が優れている
・『液体魔具』→読んで字のごとく、液状の魔具。オブライエンが『シルバームーン』と名付けた銀の流体。グレキランスの西方に暮らす、流体力学と魔術の研究者と共同開発したもの。グレキランスの地下に存在する変幻自在の空間も『液体魔具』の産物。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『固形アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。固形。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『液化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。液状で、外気に触れると『気化アルテゴ』となる。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『気化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『液化アルテゴ』が気化したもの。膨張を繰り返し、急速に広がる。吸引した人間は多くが魔物となり、一部が他種族に、ごくごく一部が『黒の血族』へと変異する。オブライエンは双子の兄であるスタインの体内に『液化アルテゴ』を設置し、生命活動の停止に伴って外気に触れるよう仕組んだ。スタインが処刑されたことにより、ラガニアは滅亡することとなった。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は血族の土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より




